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亀仙人2

映画 間諜X27

1931年 アメリカ

1915年戦火のさなかのウィーン、オーストリア帝国の落日を飾るあだ花のように怪しげなものたちが暗躍した。そうした者たちのうち陸軍省の機密文書にX27と記された人物がいた。そのものは偉大なスパイとなっただろう、もし、女でなかったら。

監督: ジョセフ・フォン・スタンバーグ
脚本: ダニエル・N・ルービン
ジョセフ・フォン・スタンバーグ
撮影: リー・ガームス

キャスト
X27 – マレーネ・ディートリヒ
クラノウ大佐 – ヴィクター・マクラグレン(ロシアのスパイ)。
オーストリア諜報部部長 – グスタフ・フォン・セイファーティッツ
ヒンダウ大佐 – ワーナー・オーランド
コフリン大佐 – ルー・コディ
銃殺隊の若い中尉 – バリー・ノートン

あらすじと感想

「嘆きの天使」「モロッコ」と続いて、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督と女優マレーネ・ディートリヒがコンビを組んだ3作目の作品になります。

1915年秋、オーストリア、ウイーンの裏街で一人の娼婦がガス自殺しました。たまたま通りかかった諜報部部長は、集まった娼婦のなかで、「私は生きるのが怖くない」とつぶやいた娼婦に目をつけ、彼女の部屋に上がり込みます。彼女をスパイとして徴用しようとしましたが、彼を敵国のスパイと勘違いした彼女はワインを買いに行くふりをして、警察官を連れてきました。

彼女が確かな愛国者であることを知った彼は、逮捕に来た警官に身分を明かし、彼女に、翌日役所に出頭するよう命じました。

昨晩、部長を騙し逮捕させようとした手際の良さと、彼女の夫が前年戦死したオーストリア軍の士官であることから、彼女をスパイとして採用することにしました。

手始めとして、参謀総長の側近を務めているヒンダウ大佐の調査を命じました。ヒンダウ大佐は売国奴であることはわかっていますが、諜報部員の顔が知られているため、新人の彼女を送り証拠を証拠をつかむことにしたのです。この時から彼女はX27の暗号名で呼ばれることになります。

X27は仮面舞踏会で標的のヒンダウ大佐に近づきます。X27がヒンダウ大佐の家に行くとき、ピエロの仮装をしたクラノウ大佐が途中まで一緒に車に乗りこんできます。邪魔者が入ってきたヒンダウ大佐はいらいらして来ますが、クラノウ大佐は「イライラするな。タバコでも吸うか」と言ってタバコを渡し、途中で降りていきました。

彼女と家に帰ったヒンダウ大佐のところに、情報部の部長から電話が入りました。彼が別室で電話に出ている間、部屋を物色し始めました。部屋に入ってきた執事に見つかった彼女は

「タバコが吸いたいの。タバコはどこ」

と聞きます。

「旦那様はタバコをお吸いになりません。買ってきましょうか」

との執事の言葉に気が付いた彼女は、執事の去った後ヒンダウ大佐のコートを探り、問題のタバコを見つけました。そのたばこには小さい紙片が隠されていました。

彼女がタバコを吸っているのを見たヒンダウ大佐はすべてを悟り、自ら命を絶つのでした。

X27は、ヒンダウ大佐の車に乗り込んで来てタバコを渡した男(クラノウ大佐)を、罠に引っかけようとしますが寸前で逃げられてしまいます。

クラノウ大佐の方が格上であることを知った情報部の部長は、彼女に別の任務を与えました。それはロシア軍の司令部に潜入し、情報を手に入れることでした。

出発の直前、クラノウ大佐は彼女の寝室に忍び込みこの指令書を見つけました。X27は彼を見つけますがあらかじめ電話線が切られ、拳銃の弾も抜かれていたため、彼を取り逃がしてしまいます。指令書を読まれたことを知らない彼女は、掃除婦としてロシア軍の司令部に潜入しました。

この時のマレーネ・デートリッヒの変装が見事で、見ている私も最初は気が付きませんでした。

彼女はロシア軍の将校を引っかけ、手に入れた情報を楽譜にして記録します。ところが、司令部に彼女のペットの黒猫がいるのを見つけたクラノウ大佐は徹底的に捜索し、彼女を捕らえてしまいました。

尋問のためクラノウ大佐と二人になったX27は、隙を見て彼に睡眠薬を飲ませ彼を眠らせてしまいます。しかし、彼に恋をしたX27は殺そうとした相手をそのままにして、脱出に成功します。

やがて始まった戦いで、クラノウ大佐は捕虜としてオーストリア軍にとらえられてしまいました。その場にいたX27は彼を尋問するという名目で部屋に連れ込み、逃がしました。

国家反逆罪の罪で、法廷に出た彼女は

「重要な任務を負ったなぜ敵の逃亡を助けた」

との問いに、堂々と

「愛したからです」

と答えました。

「国に仕えて人生をやり直せたのに、そのチャンスをなぜ、むざむざ棒に振った」

「私は多分賢くないのでしょう」

刑は確定し、死刑が宣告されました。

このシーンと次の死刑執行のシーンの、無表情で自分の死を受け入れていくマレーネ・デートリッヒの冷めきった演技は、彼女独特のものです。彼女にとって、自分の死も「ドナウ川のさざ波」のように通り過ぎていく、ただの風景にしか過ぎないのでしょう。