なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 「エイプリル・ソルジャーズ  ナチス・北欧大侵略」祖国がすでに降伏したとも知らずに、戦い続けた自転車部隊の若者たち

time 2019/05/02

映画 「エイプリル・ソルジャーズ  ナチス・北欧大侵略」祖国がすでに降伏したとも知らずに、戦い続けた自転車部隊の若者たち

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亀仙人2

映画 「エイプリル・ソルジャーズ  ナチス・北欧大侵略」

2015年 デンマーク

第2次世界大戦でデンマークはナチス・ドイツの侵略を受けましたが、戦争開始からわずか4時間で降伏してしまいました。それとは知らずに戦い続けたあるデンマーク軍の部隊の話です。

監督

ロニ・エズラ

製作

トマス・ラドアー
ルネ・エズラ

脚本

トビアス・リンホルム

キャスト

ピルウ・アスベック(サン少尉)
ラース・ミケルセン
メット・ムンク・プラム
マーティン・グレイス
アリ・アレクサンダー

解説とあらすじ

1940年4月9日、ナチス・ドイツはヴェーザー演習作戦を発動してデンマークとノルウェーに侵攻を開始しました。計画の目的はノルウェー北部にあるナルヴィク港からの鉄鉱石の輸送を確保することでした。

特にユトランド半島本部のオールボーにある空港(下の図で半島北部の落下傘の書いてある場所)の確保が最重要目標でした。

4月8日、国境付近でのドイツ軍の行動が活発になってきたため、ポーランド軍は休暇中の兵士を訓練と称して集め、臨戦態勢で兵舎に待機させます。

この時の兵士は名前ではなく、「212」や「225」といった番号で呼ばれていました。彼らは上官の「早く寝ろ」との命令を無視してはしゃいでいました。

一方幹部たちは国境警備隊から送られてくる、ドイツ軍の動きに緊張していました。国境付近にドイツ軍部隊が集結している様子が次々と報告されています。

アイキャッチ画像の自転車の写真は1940年4月9日(ドイツ軍の侵攻が始まった日)のデンマーク自転車歩兵の写真です。出典 wikipedia

ドイツ、ヴェーザー演習作戦の計画を示すデンマークの地図

映画の舞台になったのは、ユトランド半島の右下の部分

出典 wikipedia

4月9日早朝、国境守備隊からドイツ軍が国境を突破したとの知らせが入り、ボンゴ―軍曹の率いるオートバイ部隊がまず出撃し、サン少尉らの自転車歩兵部隊がそのあとに続きます。

夜が白んできたころ、前方から砲撃や機関銃の発射音が聞こえてきました。

しばらく行くと前方からホンゴ軍曹のオートバイ部隊が撤退してきました。装甲車2台の足止めに成功しましたが優勢なドイツ軍にかなわず、体勢を立て直すために後方に下がるところでした。

自転車部隊のサン少尉たちは、20分待てばハザレスレウやセナボーから増援部隊が到着すると判断して、ドイツ軍を足止めすることに決めました。

しかし、Ⅱ号戦車や装甲車を相手に軽機関銃や小銃では歯が立たず、部隊は散り散りになって撤退しました。

この戦闘で兵士コリングが戦死してしまいました。

サン少尉の部隊は他の部隊とはぐれて、ヒンツ中佐の居る前線司令部に向かいました。前線司令部では無線で連絡を取ろうとしていましたが、通信が出来ませんでした。

サン少尉はハザスレウまで撤退して守備隊と合流、新たな防衛線を作るよう命令されました。

映画での移動経路

北に移動する途中の村で、バイク部隊がバリケードを築いてドイツ軍を迎え撃つ準備をしていました。サン少尉もそれに参加することにしましたが、戦闘態勢をとる部隊は大勢の野次馬に囲まれてしまいます。

村民の一人がドイツ空軍が撒いていったビラを見せにきました。それには「ドイツ軍への抵抗をやめるよう」書いてありました。

1940年4月9日のドイツの侵略の間に、デンマークにまかれたビラ。デンマーク語とノルウェー語で書かれている。

出典 wikipedia

ドイツ軍がやって来ると、木材と荷車で作られたバリケードはドイツの戦車に簡単に破られてしまします。牛乳を売っていた少年が、犠牲となりました。

サン少尉の部隊は村で見つけたトラックに乗り、再びハザスレウに向かいます。

ハザスレウの街では、市民たちがドイツ軍が近づいてくるのにも関わらず普段通りの生活をしていました。

また迎撃態勢をとっている兵士の周りには、子供や見物人が集まっています。

1940年4月9日朝、ハザスレウのHertug Hansgades病院の外で37mm対戦車砲を持つ5人のデンマーク兵

出典 wikipedia

映画では、この写真の大砲の向こうに、サン少尉の部隊を乗せたトラックが通ります。兵士やその周りの子供の位置、向かいの建物の看板などが再現されていました。じき戦闘が始まるのに、大勢のヤジ馬がたかっているのが分かります。

映画の中の一場面

サン少尉の部隊は町の北側の防御を命じられ、配置に着くと同時にドイツ軍が現れ、激しい戦闘が始まりました。

この戦いでユステスンが撃たれ、やがて死んでしまいます。

激しい戦いが続き部隊は弾切れを起こし、ドイツ軍に降伏してしまいます。

ドイツ軍指揮官の

「デンマーク政府は2時間も前に降伏しているのに、なぜ無駄な戦いを続けたのか」

との問いに、一同あっけにとられてしまいました。

部隊はドイツ軍の手配したバスで、兵舎に向かいます。

ドイツ軍が侵攻してから、デンマークが降伏を決定するまで

4月9日午前4時20分、輸送船Hansestadt Danzigがコペンハーゲン港に入り、約1000名のドイツ軍部隊が上陸しました。

Hansestadt Danzig(←輸送船の名前 何と読むか分かりません)からコペンハーゲン港に上陸するドイツ軍と集まったコペンハーゲン市民たち

出典 wikipedia

ドイツ軍は無抵抗のうちに市内中心部を囲むように造られた城塞(下の地図で半月状の鋸の歯のようになった部分)と、カステレット要塞(地図の左上)を占拠、王宮のあるアマリエンボーを包囲しました。

コペンハーゲン市内では、上空からHe111やDo 17爆撃機の編隊が降伏を呼びかけるビラを、撒き続けていました。


コペンハーゲンの航空写真 出典グーグルマップ

午前8時34分、コペンハーゲン市内が爆撃されるのを恐れたクリスチャン10世とデンマーク政府は、政治的独立を条件にドイツに降伏しました。

午前10時過ぎには、すべてのデンマーク軍部隊が戦闘を止めました。

サン少尉の部隊が降伏したのは、この頃です。

デンマークが素早く降伏したことで、ドイツは同じゲルマン民族であることもあって、しばらくは寛大な占領政策をとりました。

ナチスに抵抗した、デンマーク国王クリスチャン10世


デンマーク国王 クリスチャン10世(1870年~1947年)

出典 ウィキペディア

クリスチャン10世がどのようにナチス・ドイツに抵抗したか、いくつかの逸話を書いてみます。

その1

国王は占領後の翌日から、護衛のお供を一人だけつけて、毎日馬に乗り、街を散策しました。

敬礼するドイツ兵を無視して、あいさつするデンマークの人に対しては、やさしく言葉をかけるのでした。

 

その2

クリスチャン10世が占領中に王宮となっていたクリスチャンスボー城(当時はコペンハーゲンにおけるドイツ軍本部として使われていた)にナチスの旗が翻っていたのを撤去させたという話がある。国王宮にドイツ国旗が掲げられているのを嫌ったクリスチャン10世はドイツの将軍を呼び、彼に旗の撤去を命じた。将軍がそれを拒むと国王は「デンマークの兵が一人で、旗を撤去しに行くでしょう」と言った。将軍がそのような兵は撃つと言えば国王は「それはできますまい。そのデンマーク兵は私だから」と言ってのけた。やむを得ず将軍はただちに旗の撤去を命じた。

引用 ウィキペディア

その3

1942年、ヒトラーがクリスチャン10世の誕生日のお祝いに長い電報を打った時、国王は「どうもありがとう。国王クリスチャン(Meinen besten Dank. Chr. Rex)」とだけ返信しました。

怒ったヒトラーは、コペンハーゲンから大使を召還し、在ドイツのデンマーク大使を追放しました。さらにそれまでの内閣を解散させ、親ドイツ派の内閣を設立させました。

クリスチャン10世(Christian Ⅹ)を表す王冠とC とXの文字がデザインされたピンとボタン。

出典 wikipedia

デンマーク国民はドイツに対する抵抗と愛国心を表す手段として、クリスチャン10世(Christian Ⅹ)を表す紋章のあるピンやボタンを付けた服を着ました。

 

弟のホーコン7世のいたノルウェーも、同じようにドイツから侵略されました。 ↓

映画 「ヒトラーに屈しなかった国王」終戦までヒトラーと戦い続けた国王のお話

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