なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 「ヒトラーに屈しなかった国王」終戦までヒトラーと戦い続けた国王のお話

time 2019/04/24

映画 「ヒトラーに屈しなかった国王」終戦までヒトラーと戦い続けた国王のお話

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亀仙人2

映画 「ヒトラーに屈しなかった国王」

2016年  ノルウェー

1941年4月9日、ナチスドイツは突然ノルウェーに侵攻を開始しました。ヒトラーは公使ブロイアーを通じて、ノルウェー国王ホーコン7世に、降伏文書に署名するよう求めました。

これに対して、ホーコン国王は『No!』と答えます。

ヒトラーに屈しなかった国王 [ イェスパー・クリステンセン ]

ブルーレイ

4568円

DVD 

3863円

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監督

エリック・ポッペ

製作

ペーター・ガルデ
フィン・イェンドルム
スタイン・B・クワエ
製作総指揮

ヘンリク・ツェイン

キャスト

イェスパー・クリステンセン  (ホーコン7世)
アンドレス・バースモ・クリスティアンセン  (オラフ)
カール・マルコビクス  (クルト・ブロイアー)
カタリーナ・シュトラー  (アンネリーゼ・ブロイアー)
ツバ・ノボトニー (マッタ)

解説とあらすじ

ホーコン7世について

映画の初めに、

『1905年6月ノルウェーがスウェーデンから独立し、デンマークのカール王子が国王として迎えられ、1905年カール王子はホーコン7世(アイキャッチ画像の人)として戴冠した。』

との説明と共に当時のフィルムが流れます。なぜデンマークのカール王子がノルウェーの国王として迎えられたのか、そのいきさつを書いてみます。

デンマーク=ノルウェー連合王国の起源は、1380年、デンマーク王女でノルウェー王妃であったマルグレーテが夫ホーコン6世(ノルウェー王)と父のヴァルデマー4世(デンマーク王)の死後、両国の摂政となったことに端を発する。さらにマルグレーテはスウェーデンを降し、カルマル連合を締結して北欧に覇をとなえた。

引用ウィキペディア

この後、1397年にデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3ヶ国間でデンマークを盟主とした同盟(物的同君連合=それぞれの君主国の君主が同じ1人の君主である体制。この場合デンマークに各国の君主国を統治するための共通政府が置かれていたため、物的同君連合と言われています)が締結されました。

この同盟の締結場所が現スウェーデンのカルマルであったので「カルマル同盟」と呼ばれています。

16世紀始め頃の最盛期のカルマル同盟

出典ウィキペディア

1920年、スウェーデンでかねてから独立運動を展開していた運動家たちを大粛清した「ストックホルムの血浴」が起こりました。しかし、これはかえって独立派を刺激し、独立戦争が起こり、1923年スウェーデンはカルマル同盟から離脱しスウェーデン王国となりました。

スウェーデンを失ったデンマークはノルウェーの支配を強化し、「デンマーク=ノルウェー二重王国」として再出発します。

デンマーク=ノルウェー二重王国。

出典ウィキペディア

1803年5月18日から始まったナポレオン戦争で、デンマーク=ノルウェー二重王国はフランス側に、スウェーデン王国は反フランス側に立ちました。

デンマークがナポレオン戦争で敗戦国になり、1814年のに結ばれたキール条約によって、ノルウェーはスウェーデンに割譲されることになりました。

1905年6月7日ノルウェーは同君連合の解消を宣言。国民投票での圧倒的な賛成とスウェーデンとの交渉の結果、無血の独立を達成しました。

11月にデンマーク国王フレデリク8世とその妃でスウェーデン=ノルウェー国王カール15世の娘であるロヴィーサの次男デンマーク王子カール(兄はデンマーク王クリスチャン10世)が、カルマル同盟前の最後の国王ホーコン6世の後を継ぎ、ホーコン7世として、独立ノルウェーの国王に迎えられました。カール王子は王位受諾の前に自分が国王にふさわしいがどうか国民投票を望み,その結果過半数を取りノルウェー国王に即位しました。

そんな国王ですから、自分のことよりノルウェーの人たちのことを大事にしました。

 

なぜ、ナチスドイツはスウェーデンを侵略したのか

第2次世界大戦まで、ドイツは石油と鉄鉱石の大部分を輸入に頼っていました。1939年9月ドイツのポーランド侵攻をきっかけにフランスがドイツに宣戦布告をした為、フランスのロレーヌ地方から輸入していた鉄鉱石の供給が立たれてしまいました。

そこで、スウェーデンにあるキルナの鉄鉱石鉱山がドイツの需要な供給源となりました。キルナからの鉄鉱石は鉄道によって夏季はスウェーデンのルーレオ港、冬季はバルト海が凍結するため隣国ノルウェーのナルビク港から運び出されていました。ナルビク港からの輸送船のルートの大部分は、中立国ノルウェーの領海内を通るため、イギリス海軍はこれを阻止することが出来ませんでした。

このためイギリスは上陸部隊を送ってキルナ鉱山からの鉄道を確保する作戦(R4計画 )と、ノルウェーの領海内に機雷を仕掛け、ドイツの輸送船がそれを避けるため外海に出たところを攻撃する作戦(ウィルフレッド作戦)を立て、1940年4月に実施する予定でした。

キルナ鉱山とナルビク港、ルーレオ港を結ぶオーフォート鉄道(紫色の線)

出典 pupupukaya  world 

ヒトラーはノルウェーが中立を維持する限り、ノルウェーに侵攻するつもりはありませんでした。

1939年12月14日に、アルフレート・ローゼンベルクレーダー提督の斡旋で、ノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングは、ヒトラーと会談したが、彼は、イギリスがノルウェーの同意のもとノルウェーを占領する可能性、ノルウェー内の親英勢力の動き、自分の勢力によるクーデター案を述べ、支援を訴えた。ヒトラーは、クーデター案を支持はしなかったが、クヴィスリングに金銭的援助は約束した。

引用ウィキペディア

クヴィスリングは4月9日にドイツがノルウェーに侵攻した後、ドイツの傀儡政権を立て、その首相に収まります。

この会談で、連合国がノルウェーに侵攻する可能性を信じたヒトラーは、ドイツ国防軍最高司令部に侵攻作戦(ヴェーザー演習作戦)を立てることを命じました。

この作戦は4月5日に実行に移され、4月6日から4月8日にかけて陸戦隊を乗せたドイツ海軍の船が次々と出航しました。

同じ4月5日、イギリスは「ウィルフレッド作戦」を実行に移し、イギリス艦隊がスコットランドから出航しました。

また「R4計画 」実施のため上陸用の兵士を輸送船で運ぶ用意をします。しかし、4月9日ドイツ軍が先に侵攻したのをうけ、イギリスは海上で戦う準備をしていなかったので、輸送船に乗船していた兵士たちは陸に下ろされました。

 

ここまで書いていて、もしドイツがもうすこし遅れていたら、ドイツ軍より先にイギリス軍が侵攻してきてもおかしくない状況だったのが分かると思います。

したがってドイツの侵攻に対して、ノルウェーは侵攻を予定していたイギリス軍に助けを求めることが出来ました。

そのためドイツは、平和的に、ノルウェー政府の合意のもとで、侵略ではなく軍をノルウェー国内に進駐するという形式にこだわりました。

ノルウェー政府合意の上での軍の進駐ならば、イギリスはノルウェーに軍を派遣することが出来なくなります。同じ様にドイツ軍から侵略されたデンマーク(ホーコン7世の2歳年上の兄クリスチャン10世が国王を務めていました)では、ドイツ軍の進駐を認め、イギリスとドイツがデンマーク国内で戦闘することは避けられました。

無理に軍を派遣すれば、今度はイギリス軍の方が侵略者となってしまいます。

そのためにノルウェー側の合意文書の作成が、絶対必要だったのです。

映画の中でドイツ軍の将校が言っていた、ドイツはノルウェーをイギリスの侵略から守るためにやってきた、というのも一理あります。

 

4月8日、午前11時15分にノルウェー南岸沖の国際海域で、ポーランド潜水艦オジェウ(この時オジェウは祖国ポーランドがドイツによって占領されたため、イギリスに逃げ込みイギリス艦隊と一緒に活動していました)によりドイツの輸送艦リオ・デ・ジャネイロが撃沈されました。約100名の乗組員が救助されましたが、生存者がドイツ軍の制服を着ていたため、ノルウェー政府はドイツがノルウェー侵攻するつもりであることを知り、対応を始めました。この事件は、映画冒頭のラジオニュースで流れます。

4月8日、イギリスとフランスのノルウェー駐在海軍武官は、ノルウェー海軍に、(中立を無視して)ノルウェー領海内に機雷敷設を行った事を通知しました。同じ日の午後10時ドイツ公使のクルト・ブロイアーはラジオニュースでイギリスがノルウェーの領海に機雷を敷設したことを、知りました。

4月8日午後11時30分、オスロの入り口にあたるオスロフィヨルド奥のオスカースボルグ要塞が、国籍不明の軍艦がオスロに向かって航行しているのを発見しこれを攻撃し、撃沈しました。

オスカースボルグ要塞に設置されていた28㎝要塞砲

出典 ウィキペディア

この撃沈された船は、ドイツのブリュッヒャー (重巡洋艦)でした。

ブリュッヒャー (重巡洋艦)

出典ウィキペディア

艦は上陸に備えて甲板上に大量の弾薬を積み上げていたため、砲撃を受けて大火災を起こし、さらに2発の魚雷を受けて撃沈させられてしまいました。

4月9日午前4時20分、ドイツ公使のブロイアーはドイツ軍の派遣に協力を要請する文書を持って、ノルウェー外務省に訪れます。文書を手渡されたコート外務大臣は、ほかの閣僚と協議の上

「他国の侵略に屈する国家は、存在する価値がない」

とのヒトラーの言葉を引用して、文書への署名を断りました。

 

4月9日もう一つの「NO !」

ドイツ軍がオスロに侵攻するのがはっきりしたため、皇室一家と閣僚、議員達は7時発の特別列車に乗ってオスロから、避難しました。

途中ドイツ軍の空襲に逢いましたが、無事目的地のハーマルに着きます。途中でドイツ軍が主要な港湾都市を占領したこと、ホーコン7世の兄クリスチャン10世が国王を務めているデンマークがドイツに降伏したことを知らされました。

ハーマルに到着した一行は、一緒に避難した閣僚と議員を集めて臨時議会を開きました。

この時、首相のニュゴールスボルは自身の辞任と、内閣の総辞職をホーコン7世に申し入れました。

ホーコン7世はハンブロ議長と協議の結果、この申し入れを拒否しました。ここにいる人たちは、すべて国民の投票によって選ばれています。したがってどんな状況になっても、国を率いる責務があります。国民が最も政府を必要としているこの非常事態の最中に、辞任することは許されない、ということです。

この場面は、重要視されていませんが、私はとても大事なことだと思います。

ニュゴールスボル首相はイギリスに逃れた後、ロンドンで亡命政権を立ち上げドイツに抵抗し続けました。

この時ドイツのブロイアー公使は軍から今日中に同意文書をもらえない場合は、明日から侵攻作戦を開始するとの連絡を受けました。でも、肝心の閣僚たちはオスロから避難していて、どこにいるか分かりません。国王と閣僚たちを追跡する部隊はハーマルに向かって出発しました。そこにウェルハーヴェン警視総監がやって来て「すべての軍事行動を止めれば、交渉に応ずる」との政府の意向を伝えましたが、すでに手遅れでした。それでもブロイアー公使は警視総監に対して、いつでも、どこにでも出向いて交渉に応じます、との意向を伝えました。

4月9日午後7時30分、かねてからヒトラーに親しかったクヴィスリングが新政権を樹立して、国民にドイツに従うよう、ラジオで放送します。

今までノルウェー政府と交渉の道を探してきたブロイアー公使は、ドイツ本国のリッベントロップ外相に抗議の電話をしましたが、なんと電話の途中でヒトラー本人が出てきました。ヒトラーは、ドイツ公使のブロイアーに「政府の閣僚ではなく、国王に直接会って、降伏協定書に署名を求めよ」と命令します。

夫が外交官ではなく、軍とヒトラーの言いなりになっているのを見たブロイアーの妻アンネリーゼは、夫と別れる決心をして荷造りを始めました。

4月9日夜、ホーコン7世はドイツ軍が追ってきているとの報告で内陸部のエルヴェルムに移動します。途中のミッツコーゲンで軍がドイツ軍を防ぐための防塞を築いたいる現場に出会いました。ホーコン7世が現場で働いている少年兵にお礼を言うと、

「すべては国王のために」

との返事が返ってきました。それを聞いた国王は、

「すべては祖国のために」

と、言い直しました。

エイヴェルムに到着したホーコン7世は、皇室の断絶を防ぐため、オラフ皇太子の妻とハーラル王子ら子供たちを隣国スウェーデンに逃がすことに決めました。

そうこうしているうちに、ドイツ軍が近くまで迫っているとの知らせに、再び移動を開始しました。

日付は変わって4月10日午前0時30分、ミッツコーゲン防塞に国王を追跡してきたドイツ軍とノルウェー軍との間で戦闘が始まりました。

ドイツ軍はこの戦闘で指揮官を失い、さらに弾薬が尽きたため、退却しました。

当時の戦場は『Midtskogen War Memorial』として残されており、戦闘の様子を描いた看板や、記念の石が置かれています。

Midtskogen War Memorialに置かれた記念の石。「ここでノルウェー軍は、王、皇太子、国会議員、閣僚を捕獲するという敵の試みを阻止した」と、彫られている。

出典 wikivividly.com

同じころブロイアー公使は、真夜中にもかかわらず国王との謁見を果たすため、ノルウェー外務省に訪れました。しかし職員は皆避難してしまい、ただ一人室長のヨハンセンだけが残っていました。

ブロイアーの「国王と対話したい」との申し出に対して、ヨハンセンは「そちらから攻撃を仕掛けてきたくせに、何が対話ですか」と言って断ります。

しかし、ノルウェー国内での戦闘を避けるためにブロイアーの要求を入れ、王家と連絡を取りました。

国王の「No!」

この映画の原題は『Kongens nei(ノルウェー語で「国王の拒絶」)』です。

4月10日 午前8時10分国王が避難したニーベリスンでは、ホーコン7世を会談場所に派遣するかどうか、白熱した議論が戦わされました。

ホーコン7世はドイツとの会談が今取れる最善の飲道と判断して会談場所に向かい、今まで逃げてきた道を戻って行きました。

4月10日午後0時30分、ホーコン7世は会談場所のエルヴェルム国民学校に着きました。そこにはコート外相と数人の閣僚が待っていました。

ブロイアー公使は、途中の検問所で他の人たちから引き離され、目隠しをされて会談場所に連れてこられました。

映画に出てきた主な地名とその位置。右側の細い線はスウェーデンとの国境線

出典 映画toほげほげ

交渉はドイツ側の要求したがって、ホーコン7世とブロイアー公使との二人だけで始まりました。

ヒトラーの要求は、ノルウェーの降伏と、クヴィスリングを新たな首相として認めるというものでした。

しかし、ブロイアー公使は独断で別の書類を作ってきました。それにはクヴィスリングに関する項目が削除されていました。ブロイアー公使はヒトラーがクヴィスリングの擁立よりも、ノルウェーの降伏を重視するだろうと読んだのです。

ブロイアー公使は、新たに作成した書面を出して、ノルウェーが戦争にならないためにホーコン7世に署名をお願いしました。

しかし、ホーコン7世はこう言って署名を拒否しました。

「この国は民主主義国家であって、最も尊重すべきは国民の意見だ。

今ここで私が決断すれば民主主義ではなくなる。

この国の未来はこのような密談で決めるものではなく、国民の総意によって決めるものだ。」

ブロイアー公使はノルウェーが戦争に巻き込まれないため、国王に署名を棚願しましたが、ホーコン7世は交渉の続きは国民から選ばれたノルウェー政府の閣僚たちと行うように言って、部屋から立ち去りました。交渉は決裂しました。

 

交渉に失敗したブロイアー公使が公使館に戻ると、館内はドイツ軍が支配していて、ブロイアー公使は執務室から締め出されてしまいます。

落胆したブロイアー公使が私室に戻ると、出ていったはずの妻アンネリーゼが迎えてくれました。

交渉の翌日4月11日午後5時40分、ホーコン7世の潜伏していたトリシルのヘッゲモーエン農場は、ドイツ空軍によって爆撃されました。

映画の後のノルウェーの戦い

この後ホーコン7世一行は、国土を横断して西部海岸の都市モルデに出て、そこからイギリス海軍の巡洋艦に乗り極北の都市トロムセに着きます。そこに臨時政府を作りノルウェーを離れるまでの約2か月、ドイツに対して戦い続けました。

6月7日イギリスを中心とする連合国軍は、ナチスドイツがフランスに侵攻したため、ノルウェーから撤退するイギリス海軍と共にイギリスに渡り、ロンドンに亡命政府を作り、祖国にドイツへの徹底抗戦を呼びかけるラジオ放送を流し続けます。

連合国は6月10日に撤退を完了し、ノルウェーは完全にドイツに占領されました。

当時ノルウェーは商船約1000隻、乗組員2万5千人を有しており、その大部分が海上に出ていたため、戦争の被害を免れました。そこで亡命政府は大規模な輸送船団を組織して、その収益でカナダで国外に脱出したノルウェー軍の訓練を始めました。こうして訓練を受けた亡命ノルウェー軍は、ヨーロッパ各地でドイツ軍と戦い続けます。

ホーコン7世ーは亡命してからちょうど5年たった1945年6月7日、再びノルウェーに戻りました。その時72歳になっていました。

ホーコン7世がノルウェーに戻ったときの動画です(音声なし) ↓

出典 You Tube

 

ホーコン7世の兄、クリスチャン10世が居たデンマークのお話です。 ↓

映画 「エイプリル・ソルジャーズ  ナチス・北欧大侵略」祖国がすでに降伏したとも知らずに、戦い続けた自転車部隊の若者たち

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