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亀仙人2映画 「シー・バトル 戦艦クイーン・エリザベスを追え!!」
1次世界大戦で起きた「ガリポリの戦い」で連合国側から攻め込まれたトルコが作った映画です。オスマントルコが衰退する中、国を救った戦いとして有名です。
2012年 トルコ
監督: イェシム・セズギン
脚本: トゥルグット・オザクマン
出演者: バラン・アクブルト 、 バリス・チャクマク 、 ブラント・アルキス 、 セリル・ナルジャカン
映画の解説
日本でいえば、日露戦争の「日本海海戦」と「二〇三高地」が一緒になったような映画です。100年前当時世界最強の大英帝国を破った戦いは、トルコの人にとっては忘れられないものだったはずです。
「ガリポリの戦い」の経緯についてはこちらをご覧ください ↓
映画の方もこの流れに沿って話が進んでいるので、今回はあらすじはありません。
映画では戦う兵士や、後方にいる家族の話が盛り込まれています。また昔の日本みたいに、やたら愛国心や宗教を強調して、武器の不足は精神で補う的な描写があります。
ここでは映画に織り込まれたいろいろなエピソードを中心に、説明していきたいと思います。
1915年2月19日、ガリポリ半島先端へレス岬への砲撃で戦いが始まりました。
1915年3月8日、イギリス艦隊がダーダネルス海峡に侵入してくることを予見したトルコは、夜間暗闇に紛れてカランクル湾に機雷を設置しました。上の図の11番の機雷原です。
機雷敷設艦 ヌスレット
出典 ウィキペディア
この排水量365トンの小さな船が、ガリポリの戦いを大きく変えました。
1915年3月18日、イギリス艦隊が海峡奥深くまで侵入してチャナッカレ海戦が始まりました。
イギリス軍は、陸からの砲撃に耐え切れずUターンしたところ、新たに設置した機雷にやられてしまいました。
イギリスによる艦砲射撃の後、反撃しようとしましたが砲弾を運ぶ台車のレールが破壊されいました。指揮官が砲撃できず悔しがっているのを見た、一人の兵士が275キロもある砲弾を背負い大砲まで運びました。下は当時の写真です。
これはトルコでは有名な話らしく、この兵士をたたえる銅像があちこちに建てられています。
この戦いでイギリス側は、新たに設置した機雷と陸からの砲撃で戦艦3隻が沈没し、さらに5隻が損害を受けて撤退しました。トルコ側は大砲9門がやられただけで済んでいます。
海からの攻撃では作戦を成功させられないと知った海軍は、陸軍に助けを求めました。
助けを求められた陸軍は、1915年4月25日ガリポリ上陸作戦を決行しました。
ガリポリ半島先端のセドゥバエシュの守備隊では塹壕で待機している間に、激しい砲撃により兵士たちは土に埋もれてしまいます。兵士たちは砲撃がやむと土をかき分けて反撃しました。しかしトルコ軍はあまりにも少人数だったため、塹壕に動けなくなった70名の重傷者を残して後退しました。残していく負傷者一人一人に、パンを渡していく場面が、心に残ります。
ベンガーリ村にいたケマル中佐は待機の命令を無視して、アンザック軍の上陸で苦戦しているアリブヌの戦場に向かいました。戦場に着いた彼は片肘をついた独特のポーズで、戦地を観察します。(下の写真)
このポーズは彼のトレードマークになっているらしく、あちこちでこの姿をした銅像が建てられています。
またアイキャチの写真で、負傷したオーストラリア軍の兵士を敵の塹壕まで送り届けた話もこの場所での出来事です。
戦死した兵士の作った詩に曲をつけ、部隊全体で歌う場面もあります。
この映画では首都コンスタンチノーブルで婦人たちが看護婦に志願する話や、地方の新兵徴収所に帰らなかった夫と息子のために編んだ靴下を届ける老婆の話なども織り込まれています。
全体的にトルコの人たちの愛国心をくすぐる作りになっていますが、ガリポリの戦いの流れを知るのには良い映画だと思います。
同じくガリポリの戦いに参加したオーストラリア兵の話です ↓
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