なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 「サウルの息子」 ゾンダーコマンドのサウルが見たアウシュビッツ

time 2018/10/13

映画 「サウルの息子」 ゾンダーコマンドのサウルが見たアウシュビッツ

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亀仙人2

映画 サウルの息子

2015年 ハンガリー

ゾンダーコマンドのサウルは、ガス室で偶然生き残った男の子を見つけました。その子はすぐ殺されましたが、なぜ生き残ったか調べるため、解剖されることになります。サウルはその子の死体を盗み出し、ユダヤ教にしたがって正式に埋葬するため、ラビ(ユダヤ教の聖職者)を探し始めるのでした。

監督 ネメシュ・ラースロー
脚本 ネメシュ・ラースロー
クララ・ロワイエ
製作 シポシュ・ガーボル
ライナ・ガーボル
出演者 ルーリグ・ゲーザ
音楽 メリシュ・ラースロー
撮影 エルデーイ・マーチャーシュ
編集 マチュー・タポニエ
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解説とあらすじ

映画「灰の記憶」と同じく、1944年10月7日、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のゾンダーコマンドによる武装蜂起の時の様子を描いた映画です。

「灰の記憶」と違いこちらは、主人公のウースランデル・サウルの周辺で起きた出来事だけを取り扱っています。

当時強制収容所で働いていたゾンダーコマンドたちは、収容所で何が行われていたかを細かく記録した紙を瓶に入れ、地面に埋めるなどして残していました。大戦終了後この記録が発見され、『Des voix sous la cendre』(『灰の下からの声』・『アウシュヴィッツの巻物』) として出版されます。これを見た本作の監督ネメシュ・ラースローが映画化を決定しました。

アイキャッチの写真は実際にゾンダーコマンドによって撮られた写真です。(出典 My Footsteps ) これを撮影した時の様子は、映画の中にも出てきます。

監督ネメシュ・ラースローはハンガリー人で、ユダヤ人虐殺にハンガリーも国として大きく関わった歴史があり、それを後世に伝える目的もありました。

ハンガリーとホロコースト

第1次世界大戦では、ハンガリーは国王にオーストリア人のフランツ・ヨーゼフ1世が兼任するというオーストリア=ハンガリー帝国となっていました。

オーストリア=ハンガリー帝国の説明はこちらに乗せてあります。↓

海外ドラマ 「エリザベート 愛と哀しみの皇妃」 その1

オーストリア=ハンガリー帝国建国の陰の功労者である、オーストリア皇紀エリザベートとハンガリーのアンドラーシ伯爵の話はこちら ↓

海外ドラマ エリザベート 愛と哀しみの皇妃 その2

第1次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗北したのち、1918年10月ハンガリーは新たにハンガリー共和国として分離独立しました。

翌1919年3月、第1次世界大戦でロシア軍の捕虜となり、2月革命で釈放された共産党員のクン・ベーラが帰国してハンガリー革命を起こし、ハンガリー・ソビエト共和国を成立させました。

しかし、この政権は国民的な支持が無く、フランスの支援を受けたルーマニア軍の干渉や反革命軍の蜂起によって同年8月に崩壊し、権力は反革命の国民軍司令官ホルティが掌握し、ハンガリー王国となります。

しかし、ハプスブルク家の国王カール4世(スイスに亡命中)を復活させようという動きに対して国内で反対が多かったため、ホルティはカール4世の王位継承権を剥奪し、ハンガリーは「国王なき王国」となり、摂政のホルティが国家元首として国を治めました。

1920年6月20日、ハンガリー国内で政権争いが続いたため連合国との講和条約締結が遅れていたハンガリー王国は、トリアノン条約を成立させました。

ハンガリー王国の領土。黄が1920年、緑が1941年の領域。

出典ウィキペディア

しかし、この条約で北部ハンガリー、トランシルヴァニア、ヴォイヴォディナなど、伝統的な国土の大半を正式に失なうことになり、ハンガリー国内には不満が鬱積し、右派・愛国者を中心に失地回復運動が起こります。

ホルティのハンガリー王国は、1930年代ドイツにナチスが台頭すると、領土回復の好機ととらえてドイツに近づき、1938年のミュンヘン協定、ハンガリーのカルパト・ウクライナへの侵攻、1939年のスロバキア・ハンガリー戦争、二度のウィーン裁定等で一部領土を回復しました(上の地図の緑色の部分)。

ハンガリーでは1920年代からユダヤ人の活動を制限し、財産などを没収する反ユダヤ法が制定され、ユダヤ人への迫害が始まっていました。

ヒトラー政権と協力した30年代はユダヤ人の結婚や就職が制限され、強制労働で多くが命を失った。41年には2万人がドイツ占領下のウクライナに送られ殺害されました。

1944年になると戦局が悪化して、ハンガリーにもロシア軍が侵攻してくる恐れが出でました。ホルティは保守派のカーロイ・ミクローシュを首相にして、枢軸国からの離脱を計り、密かにイギリスやアメリカと交渉を始めました。

これを察知したドイツは1944年3月19日に『マルガレーテI作戦』を発動し、11個師団のドイツ軍がハンガリーに侵攻して全土を占領しました。続いてアドルフ・アイヒマン率いる対ユダヤ人問題の専門家チームが国防軍の背後からハンガリー国内へ侵入し、ハンガリー在住のユダヤ人約60万人のうち、43万7402人が強制収容所に送りました。

このためアウシュビッツの焼却炉では対応できなくなり、アイキャッチ画像のように地面に穴を掘り、ユダヤ人を殺して投げ入れ、火炎放射器で焼くなどの作業が行われました。

映画「サウルの息子」で、ハンガリー出身のユダヤ人が多いのは、この理由によるものです。

しかし、ユダヤ人を迫害したのはドイツ軍だけではありませんでした。

1944年10月19日ワシントン発行の『戦略情報局(OSS)レポート』と称する報告書には、次のように記載されている。

「……ハンガリー一般民衆のユダヤ輸送に対する反応は、尋常一様のものではない、という以外に言いようがない。ハンガリーのインテリや中産階級はナチスの反ユダヤ宣伝に完全に染まってしまっているようだ。この国のジャーナリズムの伝えるところでは、大多数の住民がユダヤ追跡、検挙に進んで協力を申し出、その熱意には政府も顔負けしたほどだという。
また、確かな筋からの報告によれば、ハンガリーの憲兵達のユダヤ摘発と迫害のやり方は、ナチスのゲシュタポの比ではないという。さらにナジヴァラドに於ては、2000人のキリスト教徒がユダヤ人たちの残していった財産を横領し、そのかどでいま訊問を受けているという。……ユダヤ人迫害政策に対する抗議といったものは、どこにも見当たらない……」

引用 ヘブライの館

 

とあるように、ハンガリー政府や国民も積極的にユダヤ人迫害に手を貸していました。この映画は、それを告発する意味もあります。

ラウル・ワレンバーグ


1944年のラウル・ワレンバーグ 出典ウィキペディア

ワレンバーグはスウェーデンの外交官で1944年7月、駐在先のハンガリーで約10万人のユダヤ人たちにスウェ-デンの保護証書を発行することにより、スウェーデンの保護下にあることにしました。

これは国際法的にはまったく効力のないものであったが、杓子定規な書類仕事を好むナチス・ドイツに対して、不思議とよく機能し多くのユダヤ人の命を救うことになります。

ナチス軍の敗北後、ハンガリーに侵入してきたソ連軍によってスパイ容疑で拉致され、その後、行方不明となってしまいました。

1986年に始まったゴルバチョフ政権のグラスノスチによって多くの機密資料が解禁され、その中にワレンバーグが1947年7月に収容所で病死したとする資料が発見され、1989年、ソ連政府は、ワレンバーグの遺族をモスクワに招待し、彼の遺品を遺族に返還しました。

映画のあらすじ

始まったとたん全体にピンボケの画像が映し出され、一人の人間が近づいてサウルの顔が大写しになります。この映画のほとんどがサウルの顔のアップで占められ、周囲の様子は顔の脇からボケた映像で映し出されます。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所でゾンダーコマンドとして働いていたサウルは、ガス室で死体を処理しているとき、まだ生きている少年を見つけました。少年は駆け付けたドイツ兵によってすぐ殺されましたが、なぜ生き残ったか調べるため、同じゾンダーコマンドの医師の元へ送られます。

サウルは、医師に死んだ少年は自分の息子だと伝え、ユダヤ教の儀式に則って埋葬するために、ラビ(ユダヤ教の聖職者)を探し始めました。

アウシュビッツの強制収容所では労働に適さない、婦人や子供、老人、身体不自由者、また危険思想(共産主義や自由主義など)の持主、ユダヤ教のラビなどはすぐ殺すことになっているため、なかなか生きているラビを見つけることができませんでした。

話を聞いた仲間が、ミエテックの班に背教者となったギリシャ人の元ラビがいることを教えました。サウルはその元ラビを探すために、焼却所から外に出る手立てを探します。

たまたまカポ長のビーダーマンが外の様子を撮影するために、錠前を修理できる男を探していると聞いて、サウルは錠前を修理できると偽って外に出ました。「カポ」とはドイツ人犯罪者から選ばれた、ゾンダーコマンドの監視役です。

ビーダーマンは外で作業をしていたカッツを仲間に加え、道具を持たせて錠前の修理に向かいます。

修理現場でカッツは隠しておいたカメラを出し、焼却所で処分できない死体を野外で野外で焼いている現場写真を撮ります。アイキャッチ画像は、実際にこのようにして写された写真です。

この現場で作業をしているのが、ミエテックの班だと知ったサウルは現場から引き上げるトラックに飛び乗り、次の作業場に向かいます。

この現場で背教者の元ラビを見つけましたが、彼はサウルの頼みを聞いて身分が暴かれるのを恐れ、入水自殺を図ります。

サウルは彼を助けますが、ギリシャ人のラビは射殺され、サウルは許されて元の班に戻りました。

その晩の点呼の時、サウルは親衛隊軍曹に呼ばれ、事務所で行われたパーティーの後かたずけを命じられす。そこへ報告のためにやってきたビーダーマンは、次回処分する70名のゾンダーコマンドのリストを作るよう命じられました。サウルは、自分たちの班が明朝ガス室に送られることを知ります。

サウルはアブラハムに代わって、ガス室に送られたユダヤ人の遺品を整理する部門にいる女囚エラに会い火薬を受け取ります。

その帰り道、焼却場で処分しきれなかったユダヤ人を野外で焼いている現場に出会いました。そこでラビを名乗る囚人のブラウンを見つけ、連れて帰ります。しかし、その途中で受け取った火薬をなくしてしまいました。

この野外焼却所の場面は例によってぼやけていますが、到着したユダヤ人たちは裸にされ、銃で撃たれ、目の前に掘られた穴で火炎放射器で焼かれています。人は状況次第では、このような残虐なことが出来るようになることが、恐ろしいです。

翌朝サウルたちは、ガス室に送られた囚人たちの衣類を集めているうちに、背中にバッテンの付いたゾンタ―コマンド達の服を見つけ、その中にゼーダーマンが入っていることを知り一斉に蜂起しました。

暴動にまぎれて、サウルはラビのブラウンを連れ、少年を外に運び出しました。逃げる途中、河原で少年を埋葬しようとしましたが、ブラウンがカディシュ(埋葬する時の祈りの言葉)を唱えられないのを知り、彼が嘘をついていたのが分かりました。

追手が迫ってきたため、サウルは死んだ少年を抱えて川に飛び込みます。川の中でサウルは少年の死体とはぐれ、自身も溺れかけましたが、逃げてきた仲間に助けられました。

更に逃亡を続け、途中見つけた小屋で一休みしているとき、一人の少年がサウルたち一行を見つけてしまいます。

サウルはその少年に向かって微笑みかけました。

少年はすぐ立ち去り、そのあと追手の親衛隊によって、サウルたちは殺されてしまいました。サウルたちを見つけた少年は、そのまま森の中に消えていきます。

最後に現れた少年と、彼を見たサウルの微笑は、なにを表しているのだろう?

 

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