なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 『ヒトラーの忘れ物』第二次大戦終戦後、デンマークの残されたナチスの少年兵に課された過酷な仕事とは

time 2023/04/25

映画 『ヒトラーの忘れ物』第二次大戦終戦後、デンマークの残されたナチスの少年兵に課された過酷な仕事とは

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亀仙人2

映画 『ヒトラーの忘れ物』

2015年         制作 デンマーク ドイツ

第二次世界大戦後、デンマークで捕虜となったナチスの少年兵たちは、戦時中連合国の上陸を阻止するためにデンマークの海岸に埋めた220万個もの地雷を、処理する仕事に就きました。

また、この映画に出てくる地雷の説明も書いておきました。

 

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監督 マーチン・サントフリート英語版
脚本 マーチン・サントフリート
製作 マルテ・グルナート
ミカエル・クリスチャン・リークス
出演者 ローランド・ムーラー
ミケル・ボー・フォルスゴー
音楽 スーン・マルティン
撮影 カミラ・イェルム・クヌーセン
編集 ペール・サンドホルト
モリー・マリーヌ・ステンスゴード

映画の背景

第二次世界大戦のデンマーク

1940年4月9日午前4時15分、ナチス・ドイツは国境を越えデンマークに侵攻しました(ヴェーザー演習作戦)。この戦いは同日午前8時34分に国内のことについての政治的独立の保持を条件にクリスチャン10世とデンマーク政府はドイツに降伏しました。降伏の理由はドイツ軍との間に圧倒的な戦力差があるため、国王クリスチャン10世が国民の命を守るためであるとしています。午前10時には、デンマーク国内での戦いはすべて停止し、第二次世界大戦中最も早く終わった戦争となりました。

ノルウェーとデンマークの地図

赤い丸で囲んだところが、ナルヴィク港

出典 ウィキペディア

ナチス・ドイツがデンマークを侵攻した理由は、前年の1939年9月1日のポーランド侵攻により9月3日にフランスがドイツに宣戦布告をしたため、それまでフランスのロレーヌ地方から輸入していた鉄鋼石の供給が絶たれてしまいました。代わりに中立国スウェーデンのキルナ鉱山から産出する鉄鉱石の重要な積み出し港であるノルウェーのナルヴィク港確保のためノルウェーを侵略することとなり、その攻撃拠点としてデンマークに侵攻したのでした。

このあたりの詳しい話は、下のサイトに書いておきました。↓

映画 「ヒトラーに屈しなかった国王」終戦までヒトラーと戦い続けた国王のお話

ナチス・ドイツの侵攻直後ドイツ軍と戦った、デンマークの自転車部隊の映画もあります。↓

映画 「エイプリル・ソルジャーズ  ナチス・北欧大侵略」祖国がすでに降伏したとも知らずに、戦い続けた自転車部隊の若者たち

戦い直後にデンマークが降伏したことと同じゲルマン民族であることから、ドイツはデンマークを保護国として自治を認め、またドイツ軍が基地から出ることを禁じたため、デンマーク国民は平常通りの生活をすることができました。

しかしそうは言っても、ドイツ軍の占領に反対するパルチザンの活動が始まり、1943年2月ソ連のスターリングラードの戦いでドイツ軍が負けた後には、連合国から援助を受け活動がより一層活発になりました。

1943年8月28日、ドイツはデンマーク議会にドイツに対する抵抗活動の取り締まりを強化するように要求しましたが、議会はこれを拒否します。

1943年8月29日ドイツは議会を解散させ、戒厳令を敷きデンマークはドイツ軍の軍政下に置かれてしまいました。

しかし、デンマークがドイツ軍の支配下に置かれたことでかえってパルチザン活動が激しくなり、1944年6月に行われたノルマンディー上陸作戦の時には全土の鉄道がストライキを行い、ドイツに抵抗しました。

デンマークの解放

1945年4月30日、ナチスドイツの国家元首アドルフ・ヒトラーがベルリンにあった総統地下壕で自殺しました。ヒトラーの後を継いで大統領となった海軍総司令官カール・デーニッツ元帥は、降伏は避けられないがドイツの将兵をソ連の赤軍ではなく、米英軍側に降伏させたいと考え、米英軍と戦ったいた部隊から順に降伏させました。

1945年5月4日、ハンス=ゲオルク・フォン・フリーデブルク海軍大将がオランダデンマーク・北ドイツの全艦艇が無条件降伏し、5月5日午前8時(英国夏時間)に停戦する文書に調印した。5月5日午後、連合国遠征軍最高司令官アイゼンハワーはフリーデブルクに対して、即座の無条件降伏とドイツ軍の各部隊は現在位置にとどまって、兵器を連合軍に引き渡すよう要求した。これによってデンマークにおけるナチスドイツの支配は終了しました。

戦争終了後、2000人以上のドイツ人捕虜が、ユトランド半島の西海岸に敷設された広大な地雷原の地雷を撤去する作業に当てられて、その半数近くが死亡または負傷しました(アイキャチ画像の写真)。

映画のあらすじと解説

第二次世界大戦終戦直後の5月、デンマーク軍のラムストン軍曹はジープで勤務地に行く途中、捕虜となった大勢のドイツ軍少年兵たちが行軍している脇を通りました。

そのうちの一人がデンマーク国旗を持っているのを見つけ、その少年兵を思いきり殴りつけて国旗を奪いとり、

「ここは俺の国だ。さっさと消え失せろ。」

と怒鳴りながら、少年兵たちを追い立てました。

ラムストン軍曹がジープで到着した新たな任務地は、鉄条網で細かく区切られた広い砂浜でした。ワムストン軍曹に与えられた任務は、この砂浜に埋められた4万5千個の地雷を処理することでした。ラムストン軍曹が目印となる黒い旗を立てたところで

『LAND OF MINE』

との英語のタイトルが流れます。英語の『mine』には、代名詞の「私の(もの)」の他に、名詞で「地雷」という使い方があり、先に出てきた「俺の国」と同時に「地雷の地」と2つの意味を掛け表しています。 ちなみにデンマーク語の題名は「Under sandet(砂の下)」です。

デンマークの海岸に大量の地雷が埋められた訳

第二次大戦中ナチスドイツは、イギリスからの連合国の侵攻を阻止するため、フランスからノルウェーにかけて「大西洋の壁」と呼ばれる長大な防衛線を造りました。

下の図の黄色い部分。

1942年から1944年までの大西洋の壁

出典 ウィキペディア

デンマークではドイツ本土と陸続きになっているため、イギリスに面している西海岸には大量の地雷を敷設し、海岸沿いに要塞や砲台を設置しました。

映画に出てくる砲台跡 19分20秒付近

下の写真はベルギーに残っている砲台の跡。中に赤錆た大砲が据えられている。

ベルギーの沿岸ラフェルスアイデにある沿岸防衛の要塞

出典 戦跡散歩 大西洋の壁

12名のナチスドイツの少年兵たちは、まず地雷処理の訓練所に送られ、埋められた地雷の見つけ方や、実物の対戦車地雷を使って地雷を爆発させる信管の外し方を習います。しかし、メンバーのうち1名が、信管を外すのに失敗して亡くなってしまいました。

残った11名の少年兵たちはラムストン軍曹の下に送られ、地雷撤去の仕事を始めました。

仕事を始めてから2日たっても、食料が配われてきませんでした。

仲間を代表してセバスチャンが、軍曹に食事の掛け合いに行きましたが、

「今は食糧が不足して、ドイツ人の分はいつ届くのか分からん。勝手に餓死しろ。」

との返事でした。

その晩、元下士官だったモアバッハは近くの農家の家畜小屋に忍び込み、家畜の餌を盗ってきて皆で食べてしまいました。

翌朝体調不良を訴えるものが出ましたが、ラムストン軍曹はそのまま作業を続けさせます。

対人地雷の信管を外す作業をしていたヴィルヘルムは、途中で嘔吐して手元が狂い両腕に大けがをし、救急車で野戦病院に運ばれました。

その晩から全員が食中毒を起こして、作業は中止されました。餌を盗んだモアバッハから話を聞いたラムストン軍曹は、農家の主婦に原因となった家畜の餌を見せてもらいました。すると餌の中にネズミの糞が混ざっていました。話を聞いた農家の主婦は「いい気味だ」と言って笑っていました。

数日後、ラムストン軍曹は怪我をしたヴィルヘルムを見舞いに行きましたが、彼は既に亡くなっていました。帰りがけに軍曹は補給班からパンと野菜を分けて貰い、少年たちに持って帰りました。

食事もとれるようになって、地雷除去の仕事もはかどり、少年兵たちは与えられた任務を終え、帰国して何をするかなどを話し合うようになりました。

そして、第2の悲劇が生まれました。

信管を外した地雷を掘り出そうとしていたセバスチャンは、地雷の下にもう一つの地雷が隠されていることに気がつきました。2つの地雷はワイヤーでつながれており、上の地雷を持ち上げると、下の地雷が爆発するようになっていました。

セバスチャンは大声で作業中止を呼びかけましたが、双子の兄弟の兄ヴェルナーは離れたところにいたため声が届かず、地雷を取り出し爆死してしまいました。2個の戦車用の地雷が一度に爆発したため、彼の体は消えてしまいました。

弟のエルンストが亡くなった兄の姿を求めて、地雷原の砂浜に行こうとしたため皆で取り押さえて、宿舎に連れ帰りました。ベッドの中でも「兄を探さなくては」と言って暴れ続けたため、軍曹が鎮静剤を打ち寝かしつけました。

翌日、ラムストン軍曹は作業を休み、少年兵とともにサッカーをしました。その時、補充兵としてグスタフとアルベルトの2名がチームに加わりました。ただエルンストは遊びに加わらず、草むらで見つけた野ねずみを捕まえて、ペットとして飼うことにしました。

サッカーが終わっての帰り道、ラムストン軍曹の飼っていた犬が地雷に触れて死んでしまいました。その場所は地雷を除去して安全だとされていた場所です。

かわいがっていた飼い犬が死んだことで、ラムストン軍曹はより一層の安全を求めて少年兵たちを横一列に並べて地雷を除去した場所を歩かせることにしました。

いつか帰れると思っていた少年兵たちの心に動揺が生まれ、ルードリッヒが脱走を企てましたが、他の少年兵達によって、ベットに縛り付けられてしまいました。

翌早朝、農家の主婦が少年兵たちが宿舎にしている納屋に飛び込んできました。何でも大切な娘が、地雷原に入り込んだそうです。

少年兵たちが着いたとき、娘は地雷原の真ん中でに人形を相手に遊んでいました。セバスチャンは急いで、娘を助けるために間に設置された地雷を掘り出しにかかりました。すると寝ているはずのエルンストが歩いて娘のところに行き、人形を相手に一緒に遊び始めます。その間にセバスチャンが二人の所に到着して、無事に娘さんを助けることに成功しました。

ところがエルンストは皆の元に戻らず、地雷原に向かって歩き始めて爆死してしまいました。

軍曹は、気落ちしたセバスチャンに

「もうすく終わる。終われば家に家に帰れる。元気を出せ。」

と励ましました。セバスチャンも

セバスチャンも

「もうすく終わる。元気を出せば家に帰れる。」

と繰り返すことで、元の元気を取り戻すことができました。

 

撤去作業も終わりに近づき、少年兵たち6人が処理済みの地雷をトラックに積み込むことになりました。少年兵たちはもうすぐ家に帰れると思い、はしゃいでいました。気が緩んだ少年兵の一人が地雷をトラックの荷台に投げ入れ、その衝撃で何百個の地雷がいっぺんに爆発して、全員死亡してしまいました。

 

残ったロドルフ、ルードリッヒ、セバスチャン、ベルムートの4人は無事任務を終え、軍曹と農家に親子に見送られ迎えに来たトラックで、ドイツに送られることになりました。

ラムストン軍曹は危険地帯を表す黒は田を回収し、部隊に戻るとドイツの帰るはずだった4人の少年兵たちが呼び戻され、新たにスカリンゲンの海岸で地雷撤去の任務に就くことを知りました。

ラムストン軍曹は隊長のエベ大尉に、残った4人を国に帰してくれるよう必死に頼みましたが、上からの命令だとして断られてしまいました。

翌日ラムストン大尉は4人を呼び出しトラックに乗せ、誰のいない平原の真ん中で4人を降ろしましたました。そして、平原の一方を指さし、

「ここを行けば500メートル先にドイツとの国境がある。早く行け」

と言って4人を逃がしました。

映画は、国境に向かって一生懸命走って行く4人の後ろ姿を写して終わります。

 

最後に4人が地雷処理をする予定だった、デンマークのスカリンゲンの海岸は「デンマーク最後の地雷原地帯」とされ2012年に撤去完了の宣言が出されたものの、翌年には訪れた観光客によって未処理の地雷が見つかっています。

 

はじめはドイツ兵を目の敵にしていたラムストン軍曹でしたが、少年たちと一緒に暮らすうちに、彼らを無事に家に帰してやろうという思いが強くなっていく過程が良く描かれています。

特にエベ大尉に、生き残った4人を家に帰してくれるよう頼み込んでいた場面が、心に残りました。

 

映画に出てくる地雷

火薬と爆薬

普通の燃焼

燃焼とは炭などの燃えるもの(可燃物)が、酸素と結合して熱や光を出すことを言います。

C+O2→CO2

2H₂+O₂→2H2O

炭や石炭などが燃えているときは、酸素に接している表面だけで、酸素が届かない内部は燃焼できません。ガスもパイプの先から出て空気に触れる部分が燃え、パイプの中のガスは燃えません。

それに対して火薬や爆薬は、それ自身の中に酸素を発生する物質を持っているため、燃えるのに外部からの酸素を必要としません。また物質内部深くにも酸素を発生するため、瞬間的に物質全体が燃焼し大量の熱とガスを発生し、爆発となります。

黒色火薬

火薬として昔から使われてきた黒色火薬は硝石(硝酸カリウムの結晶)と硫黄と炭を一定の割合で混ぜたものです。

黒色火薬に使われる硝石は熱を加えると分解して酸素を発生します。この酸素が炭と結びついて燃焼し、分解した硝石のカリウムは硫黄と結びつき硫化カリウムとなり、残りの窒素はお互いに結び付き窒素ガスとなります。

その結果大量の熱と気体の圧力が生じ、それが次の反応を起こし連鎖反応となって爆発が起きます。

2KNO₃(硝石)+S(硫黄)+3C(炭)→K2S(硫化カリウム)+N2(窒素)+3CO2(2酸化炭素)

燃焼が連鎖反応で起きるため、燃焼速度が5cm/s – 400cm/sと遅いのが特徴です。

爆薬

火薬類の中で燃焼速度が音速(約340 m / s)を超えるものを、爆薬と言います。たとえば、ニトログリセリンの燃焼速度は約8㎞/s、TNT火薬は約7km/sです。これにより一瞬の間に大量の熱と気体を発生させ、大きな破壊力が生まれます。

ニトログリセリンやTNT火薬の分子には、分離しやすい酸素を含んだ部分(ニトロ基、下の化学式の赤い部分)があり、分離した酸素が同じ分子内の炭素や水素と結びついて、燃焼が起こります。反応が分子内で起きるため、燃焼時間が極めて短くなります。例えば1リットルのニトログリセリンの燃焼時間は12.5μ秒(100万分の12.5秒)となります。

ニトログリセリンの燃焼式

2C₃H₅(NO2)₃→5H₂O+O₂+3N2+6CO2

TNT(トリニトロトルエン)の燃焼式

2C₆H₅CH₃(NO2)₃→3N2+5H2O+7CO+7C

TNTは茶褐色の結晶で、1863年にドイツのヨーゼフ・ヴィルブラント (Joseph Wilbrand) によってつくられました。当時は黄色の染料として使われ、爆薬との認識はありませんでした。

TNTが爆薬として認識されたのは、1891年ドイツのプロイセンで爆発物の研究をしていた化学者カール・ハウサーマンが爆薬として使用できることを解明してからのことです。

TNTの発火点は475℃で水に溶けにくく、摩擦および打撃に対しては比較的鈍感で、安定性もよいため爆薬として使いやすい性質を持っています。

また結晶を81℃まで熱すると溶けて液状になるため、いろいろな形の容器に装填しやすい特徴があります。

81 °C (178 °F)で液状になるTNT

出典 ウィキペディア

また開けた所で火を点けても爆発しない。

このように安定した性質があるため、爆発させるのには密閉した容器に入れ他の爆薬を爆発させ、瞬間的に熱と強い衝撃を与える必要があります。

テーミーネ(Tellermine)42型対戦車地雷

映画の最初の訓練の時に使われた、対戦車地雷です。

真ん中のキャップを外して信管を取り付け、その周りにある花びらのような形の圧力板を踏むと爆発します。

圧力板は人や獣が踏んでも爆発しないよう、強力なバネによって調節されています。

 

テーラーミーネ42型対戦車地雷

出典 Wikimedia commons

 

 

テーラーミーネ42の内部構造

1) T.Mi.Z.42ディストリビューター(信管)

2) ストライカー(撃針)の頭。

3) 雷管。

4) 圧力板スプリング(120~200㎏の重さが掛かると下がる)

5) 起爆薬

6) TNT火薬(黄色の部分)

出典 MINES ET ALLUMEURS

テーラーミーネ42地雷の底と側面には、引くと反応する信管が付けられるようになっています。

これは地雷を撤去しようと持ち上げると、爆発が起きるようにするためでした。

信管につながったワイヤーが引っ張られると、爆発します。

出典 ウィキペディア

映画の中では、双子の兄弟の兄ヴェルナー・レスナーがこの罠に引っかかって、死亡していまいました。

テーラーミーネ42用の信管(T.Mi.Z.42)

 

テーラーミーネ42用の信管(T.Mi.Z.42)の仕組みです。

上から押されると、撃針を支えている細いピン(700グラムぐらいの重さで折れます)が折れ、バネの力で撃針が雷管をたたき、出た火花が点火用の火薬に引火して爆発が起こります。

出典 PANDIA

 

ストックマイン M43(Sto.Mi.43)対人地雷

2番目は、木の杭の先に鉄の破片を入れたセメントを付けた地雷です。

地雷に付けたワイヤーを引くと爆発し、周囲にいる人を負傷させます。

ダンケルクの記念館に展示されているストックマイン M43

出典 Wikipedia

映画「ヒトラーの忘れ物」56分付近

地面に埋めない地雷です。映画の中では、波打ち際に密集した状態で設置されています。

地雷に仕掛けられた信管のワイヤーを引くと爆発して、鉄とコンクリートの破片が70~100mの範囲で飛び散ります。

地雷が見えていても処理に手間取っている間に、こちらから銃や機関銃で撃てばよいので効果があります。

 

シュッツェンミーネ42(Schu-Mine 42)対人地雷

映画の中でテーラーミーネ42型対戦車地雷と共に、よく出てくる地雷です。木製の箱に信管と爆薬を入れた、簡単な構造になっています。入れる爆薬の量により、いろいろな大きさがあります。

シュッツェンミーネ42。木の箱に信管と爆薬を入れ、軽く蓋をしている。

地雷を踏むと信管に取り付けられているピンが抜け、爆発する。

左側は上から、爆薬(TNT火薬 200g)、信管、点火用火薬、信管の蓋(信管を使わないときに、点火用火薬の取り付け部に使う蓋)。

出典 ウィキペディア

信管ZZ42の頭部拡大写真。箱の蓋を踏むと、上部の輪になっている部分が下に押され、ピンが抜けます。

出典 KURLAND MILITARIA

映画では、同じ仕組みで対戦車用に爆薬を増やしたホルツマイン 42と言う地雷も出てきます。

ホルツマイン 42。

ホルツマイン 42の仕組み。

91㎏以上の重さで箱を踏むと、上の写真の手前にある厚板が下がり、信管のピンが抜け、内部に仕掛けた約5㎏の爆薬が爆発します。

出典 Wikipedia


映画でホルツマイン 42の信管を解除しているところ。1時間40分45秒付近

跳躍地雷 Sマイン(S-mine)対人地雷

映画に出てきたSマイン(茶色い缶に棒の着いたもの)。1時間27分30秒付近

跳躍地雷の名前は、踏むと空中に飛び出して爆発するところから付けられました。

跳躍地雷の概念説明図

  1. 小さい推進薬が爆発し、地雷本体を 1~1.5m空中に飛ばします。
  2. 本体が飛び上がったところで爆発します。
  3. 本体に仕込まれた金属の破片が周囲に一斉に飛び散ります。

出典 ウィキペディア

Sマインの仕組み

 

Sマイン。上部の3本の角のようなものだけを地表に出し、残りを

は土に埋めて使用する。

地雷本体は、底に黒色火薬を詰めた缶の中に納められています。

出典 ウィキペディア

 

  1. ①の感知器の部分を押すか触れると③~⑥の信管が作動して、⑫の遅延火薬を通じて4.5秒後に底に敷いた⑬の黒色火薬が爆発します。
  2. ⑬の爆発した黒色火薬は、地雷本体を空中に打ち上げると同時に、⑪の遅延用火薬に着火して0.2~0.4秒後に⑩の起爆用火薬を爆発させます。
  3. 70㎝~1.5m上がったところで、⑩の起爆用火薬は本体のTNT火薬⑯に引火して爆発させ、周囲に置かれた⑧の鉄球を半径70mに渡って飛散し、周囲にいる人たちを負傷させます。
  4. ①の感知器にワイヤーを付け、離れたところでワイヤーに触れた場合にも爆発させるようにできます。

 

これらの説明を読むと、地雷を踏んだとき足を離さなければ爆発しないというのは、嘘だと分かります。

映画を見ると1mに1個の割合で埋められているので、全部を取り出すのは大変な作業だと思いました。

 

 

 

 

 

 

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