なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 「素晴らしきヒコーキ野郎」1910年、ロンドン―パリ間の(架空)飛行競技大会の映画です。この映画に出てくる珍しい機体について、詳しく解説してあります。

time 2021/02/14

映画 「素晴らしきヒコーキ野郎」1910年、ロンドン―パリ間の(架空)飛行競技大会の映画です。この映画に出てくる珍しい機体について、詳しく解説してあります。

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亀仙人2

映画 「素晴らしきヒコーキ野郎」

1965年        イギリス

1909年7月25日、ルイ・ブレリオはブレリオ単葉機(アイキャッチ画像の飛行機、ブレリオ XI)を駆ってドーバー海峡横断に成功しました。この映画は、その翌年ロンドン・パリ間の飛行機レースが行われたという設定の下で、作られました。

英語による題名は「Those Magnificent Men in their Flying Machines; Or, How I Flew from London to Paris in 25 Hours 11 Minutes(飛行機に乗る素晴らしき男達、または、ロンドンバリ間を25時間11分で飛ぶ方法)と非常に長いものです。

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監督 ケン・アナキン
脚本 ケン・アナキン
ジャック・デイヴィス
製作 スタン・マーガリーズ
出演者 ジェームズ・フォックス
スチュアート・ホイットマン
サラ・マイルズ
ジャン=ピエール・カッセル
アルベルト・ソルディ
ゲルト・フレーベ
石原裕次郎

あらすじ

ライト兄弟が1903年に初飛行を成功させてから7年、ルイ・ブレリオがドーバー海峡横断に成功した翌年の1910年、イギリス近衛兵の士官であるリチャード・メイズは、恋人の パトリシアの父ローンズリー卿にロンドン・パリ間の飛行レースを持ちかけました。ローンズリー卿は、海の王者であるイギリスが、飛行機の先進国であるアメリカやフランスに後れを取らないためにレースの開催を決定しました。

1万ポンド(現在の換算で1億4千万円位)の賞金を目当てに世界各国の飛行機愛好家や、祖国の名誉のために出場した軍人たち、賞金目当てできた者など、14名の参加者が集まりました。

ストーリーは、ただロンドンからパリまで飛行機を使って飛びだけなのですけど、何しろこの時代の飛行機は、本当に飛ぶか分からないものが混じっている為、故障あり、墜落あり、不時着あり、他の人からの妨害工作で飛べなくなってしまう者ありで、飛行機を中心としたイギリス風の皮肉のきいたセリフとドタバタ劇を、積み上げて作られています。

飛行機好きの私としては、飛行機の黎明時代の古典機が実際に空を飛んでいるだけで、満足でした。

登場する飛行機の説明

この映画のために1910年代の飛行機20機が復元され、そのうち実際に飛べるように、現代の技術で改良して作られた6機が飛行しています。これに保存されていた本物の「ブラックバーン単葉機」が加わります。

これらの飛行機は風に弱いため、飛行している時の撮影は、風が弱まる朝や夕方に行われました。

最初に、信じられない程変な形をした飛行機から紹介していきます。

その1 Cyclogyro

 

映画の導入部に出てきた、この変な飛行機はCyclogyroと言います。

模型で、ヘリコプターみたいに飛んでいる動画がありました。 ↓

飛ぶ原理は電気通信大学学術機関リポジトリのPDFに詳しく書いてありました。

その2 ビッツ・スカイカー

同じく、自動車に傘を付けたようなこの車は、デトロイトのJohn W. Pittsが制作した「ビッツ・スカイカー」です。 ↓

造られたのは1920年で、実際に飛ぶことはありませんでしたが、ユニークな構造をしています。詳しくは、TOP WAR さんのサイトを見てください。

 

出場者の一人イタリアのポンティチェリ伯爵は、飛行家でもあり大資産家であるため、いろいろな飛行機を買いあさっていました。

イタリア代表、ポンティチェリ伯爵の飛行機

その3 多翼機

映画に出てきたのは、なんと翼が21枚あるブラインドみたいな飛行機です。

イギリスの航空工学者ホラティオ・フレデリック・フィリップスが研究の結果、翼の長さ対幅の比(アスペクト比)を152:1にすると一番効率が良いのが分かり、たくさんの翼を付けて作った飛行機です。記録では13mほど飛んだそうです。

イギリスの航空学者、ホラティオ・フレデリック・フィリップスが作った21翼機(1904年)

出典 ウィキペディア

その4 羽ばたき機(ornithopter オーニソプター)

映画に出てきた羽ばたき機

羽をパタパタさせて飛ぶこの飛行機は、空想の乗り物だと思っていましたが、実際に作っていた人が居ました。

1910年ウィンブルトン(イギリス、ゴルフで有名)に住むH.J.Bパサート氏は、4~5馬力のオートバイの後輪からチェーンを介して、羽ばたきさせる飛行機を作りました。横方向の安定のため前にも羽を付け、1912年120~150ヤード(約110~135m)飛ぶことに成功しました。

こちらのサイトに当時の写真があります→their flying machiens

 

Passat ornithopter 複製

出典 oldrhinebeck aerodrome

1942年、ドイツのアダルベルト・シュミットがミュンヘン・ライムで人力による飛行を行い900m飛びました。さらにこの飛行機に3馬力のエンジンを付け最長15分の飛行に成功しています。

シュミットの1942オーニソプター

出典 Wikipedia

この飛行機の動画がありました。羽ばたきの仕組みがよく分かります。↓

 

その5 リー・リチャーズ環状複葉機


映画で使用されたリーリチャーズ環状複葉機のレプリカ

本物は1910年に製造されましたが、1911年秋の暴風雨で格納庫が崩壊し、強風で飛ばされて破壊してしまいました。

この機体はイギリスのノッティンガムシャー州にある、ニューアーク航空博物館に展示されています。

出典 Wikipedia

映画の中でこの飛行機は、ドイツのホルスタイン大佐とフランスのパイロット、ピエール・ディボアが、気球に乗って互いに銃で撃ち合いをする決闘の最中、二人の真ん中を通ってエンジンを撃たれ、墜落してしまいます。

気球に向かって飛んでいくポンティチェリ伯爵

開発者のセドリック・リーとG.ティルマン・リチャーズはさらに研究を重ね、1913年彼らの作った「Lee-Richards環状モノプレーン」は安定した飛行が出来るようになりました。

Lee-Richards環状モノプレーン

出典 WeirdWings

特徴は機体の周りに翼が在るため、横幅が狭く、また重心が狂っても安定して飛べることです。1914年に第1次世界大戦が起きたため、これ以上の発展はありませんでした。

 

最終的にポンティチェリ伯爵は、イタリア皇帝から贈られたビッカース22単葉機で出場しました。しかし、ゴール直前でエンジンが火を噴き、失格となってしまいます。

この映画のために作られたビッカース22単葉機のレプリカ(飛行可)。

映画で使われた機体番号2、が付けられています。

出典 トニー・バンハムコレクション

その6 先尾翼機

先に述べたポンティチェリ伯爵に、変な飛行機ばかり売り付けていたハリー・ポッパーウェルも選手として出場しています。

彼の使った飛行機はこれ ↓

審査員に「座り方が逆では」と注意されているところ。ちなみに右側が前。

映画ではフランスに向かうはずが、風に流されて逆方向のスコットランドに行ってしまいます。

この飛行機のモデルのなったのが、ディクソンニッパー単葉機です。↓

出典 the oakington plane 

この飛行機は飛ぶのには成功しましたが、パイロットが降りようとしてエンジンを切ったところ、墜落して壊れてしまいました。

その7 菱形飛行機

菱形の翼をもつ飛行機で、映画の中では、飛ぼうとしてジャンプを繰り返すうちに壊れてしまいます。

 

ウォレス氏の操縦する菱形飛行機

この飛行機はイギリスの英国EWエドワーズの設計によって作られた、一対の菱形の翼を持った複葉機です。

この飛行機は1911年初頭、映画のモデルとなったブルックランズ・サーキットの内側に作られた飛行場でテストされましたが、飛ぶことはできませんでした。

 

ブルックランズで試験中のエドワーズ菱形機

出典 Wikipedia

ここまで7機の変な飛行機を紹介しましたが、これらすべてがイギリスの飛行機なのです。飛行機先進国のアメリカやフランスの真似をしたくないという、意地があるみたいですね。

 

そのほかに出場した飛行機

アントワネットIV

飛行中のアントワネットIV(飛行可)

製造 フランス 

初飛行1908年10月19日

製造数 1機

機首に Antoinette と書かれています。

出典 Wikipedia

パイロットは、リチャード・メイズ(イギリス)

近衛兵で、この大会の主催者ローンズリー卿の娘パトシリアと恋仲ですが、まだ婚約はしていません。パトリシアは父親に隠れてオートバイを運転するお転婆娘で、飛行機に乗るのが夢です。

アブロ三葉機IV

アブロ三葉機IV(飛行可)

製造 イギリス 

初飛行1910年9月 

製造数1機

製造後はブルックランズサーキットの中に作られた、アプロフライイングスクールで練習機として飛んでいました。映画同様、サーキットの外側に作られた汚水処理場の、ため池に2回突っ込んでいます。

映画では、このため池に、飛行機3機、気球2台、サイドカー付きのオートバイ1台が落ちています。

出典 Wikipedia

パイロット パーシーウェア卿(イギリス)

自称大飛行家の彼は、賞金目当てに直接ローンズリー卿に逢い、出場申し込みました。勝つためには手段を選らばない男で、パイロットが飲むぶどう酒に下剤を仕込んだり、夜間格納庫に忍び込んで機体を壊したりします。

最後はパリに向かう線路の上空を飛んでいたところ、後ろから来た蒸気機関車の煙にまかれ客車の上に落ちてしまい、そのまま列車がトンネルに入り、飛行機が大破して棄権となりました。

この飛行機の実機は、飛行学校の生徒によって何度も墜落したため、翌年の8月に廃棄処分になりました。

ブリストルボックスカイト

ブリストルボックスカイト(飛行可)

製造 イギリス

初飛行1910年7月30日

製造数 76機

乗員2名

フランスの飛行機ファルマン III(Farman III)のライセンス生産で作られた飛行機です。第1次世界大戦が始まると61機が軍用機仕様に改造され、使われました。

出典 Wikipedia

パイロット オービル・ニュートン (アメリカ)

自分の飛行機を壊してしまい、賞金目当てに、借金をしてやって来ました。

ローンズリー卿の娘パトシリアにせがまれて彼女を乗せてしまい、危うく飛行停止になるところでした。

パーシーウェア卿の妨害工作で、離陸直後に右側の車輪が外れてしまいました。着陸の時、脚部の橇は壊れましたが、機体本体は無事でした。

ついでに言うと、映画にも出てきた汚水処理場のため池に、歴史上最初に落ちた飛行機です。

ピカット・デュブレイユ

 

ピカット・デュブレイユ単葉機(フランス)

この飛行機に関してはMarquis Picat du Breuiltが設計し、1911年フランスで作られたことしか分かりませんでした。1965年に作られたレプリカは、飛ぶことが出来ませんでした。

出典 youtube

パイロット パーソンズ海軍大尉+犬のネルソン(イギリス)

愛犬のネルソンと共に出発しましたが、ドーバー海峡を横断中、エンジン故障で着水してしまいます。

Eardley Billing Tractor Biplane(イギリス)

ドイツ仕様(飛行可)

出典 ww2aircraft.net

日本仕様(飛行可)

出典 imcdb

この飛行機は、1911年破棄されていたヴォワザン複葉機の翼を利用してEardleyBillingによって作られました。

Eardley Billing Tractor Biplaneはこの飛行機(↓)の翼を利用して作られました。

1907年ヴォワザン複葉機

出典 Wikipedia

映画では2機のレプリカが作られ、ドイツ用はほぼ原形に近い形で、日本用は胴体を布で覆い、翼間支柱に唐獅子(?)を描いた幕を張って使用されました。

パイロット(ドイツ) ランペルストス大尉からマンフレッド・フォン・ホルスタイン大佐

パイロットのランペルストス大尉が、競技会前日にパーシーウェア卿から下剤入りのワインを飲まされてしまい、当日乗ることが出来なくなりました。そこで上官のホルスタイン大佐が参考書を見ながら飛ぶことになります。

ドーバー海峡を飛んでいる時、参考書が飛ばされ機体はひっくり返って、着水してしまいました。

着水寸前の様子

パイロット(日本)  山本(石原裕次郎)

大会開始直前に日本からやって来て、大会では1番手に飛び、すぐ墜落してしまいました。

墜落したのは、前夜パーシーウェア卿が操縦系統に細工をした為でした。墜落した山本は、ワイヤーに絡まって出られなくなり、駆け付けた消防士にナイフを貸してくれるよう頼みましたが、「ハラキリするのか」と疑われてしまいます。

サントスデュモンデモワゼル(フランス)

Demoisellet(イトトンボ) No.22(レプリカ)(飛行可)

出典 Wikiwand

この飛行機を作ったアルベルトサントスデュモン(Alberto Santos-Dumont)は、1906年10月26日、彼の作った飛行機14bisで60メールの飛行に成功しました。

14bisの絵葉書

出典 Wikipedia

14bisは自力で離陸、飛行、着陸できる最初の飛行機になりました。

ライト兄弟の作ったライトフライヤーは、エンジンが非力だったこともありやぐらを組み、その上からおもりを落とし、その力でレールに乗せた機体を引いて、離陸していました。

1906年11月12日、サントスデュモンは、21.5秒で220メートル(722フィート)を飛行することにより、国際航空連盟によって認められた最初の世界記録を樹立しました。

この後、彼は飛行機の普及を目指し1907年、軽量・安価な飛行機サントスデュモンデモワゼル19を開発、発売しました。

サントスデュモン19号機

出典 Wikipedia

このシリーズは22号機まで続き、この間にサントスデュモンは当時の科学雑誌1910年6月版のポピュラーメカニックスにすべての図面を無料で公開し、「最小限の費用と最小限の実験で結果を出したい人にとって、この飛行機はこれまでに製造された他のどの飛行機よりも優れています。」と紹介されました。

その後数年間、アメリカの企業が図面とデモワゼルの部品を販売して、飛行機の普及に大きく貢献しました。

パイロット ピエール・デュボア(フランス)

パイロットのピエール・デュボアは女癖が悪く、映画の中でブリジット/イングリッド/マレーネ/フランソワーズ/イヴェット/ベティ(女優のイリナ・デミックが一人ですべての役を演じています)と、次々に手を付けています。

飛行機は小型・軽量にもかかわらず、3番手でゴールに到着しました。

ブラックバーン単葉機

ブラックバーンタイプD(飛行可)

製作1912年

この飛行機は、古い飛行機や自動車などを動態保存しているシャトルワーストラストから映画のために、借りてきたものです。貴重な飛行機のため、あまり出番はありませんがちゃんと飛んでいます。

シャトルワースで実際に飛ばしている動画があります。こちらのシャトルワースのサイトでご覧ください。

動画の下の矢印をクリックすると、ブレリオ単葉機やタイガー・モス等、古い飛行機の動画も見れます

出典 Wikipedia

パイロット マクドゥーガル(イギリス スコットランド)

飛行機と同じであまり出番がありませんが、赤いマフラーを巻き、赤いキルト(スコットランドの男性が穿くスカート)を身に着けているので、出ていればすぐわかります。

お酒が好きで、空中でも操縦しながらポケット瓶でお酒を飲んでいます。

映画の舞台の元になった、ブルックランズ

この映画の舞台となった飛行場(ブルックリーモーターレーシングトラック)は、1907年に作られた世界初の自動車レース場で、トラックの内部にはイギリス最初の飛行場が作られました。

第1次世界大戦が始まるまで、ブリストル、アプロ、ビッカースなどの航空会社が飛行学校を開いたり、飛行機の製造をしたりで、英国最大の航空機製造センター兼教育センターとなりました。

1930年代中頃のブルックランズのサーキット

右上の直線部分はパドック。

中央下の広い部分が飛行場として使われました。

左下の建物の前に、飛行機が見えます。

出典 web CG

映画では1965年英国空軍のブッカー飛行場(Royal Air Force Booker)が民間に払い下げられる時、ブルックランズの1部を模したセットを作り撮影しています。

ブルックランズは第1次世界大戦と第2次世界大戦で軍用機の生産拠点のなり、滑走路の延伸のためコースの1部が壊され、戦後もコンコルドの製造等をしていました。施設は1986年に閉鎖され、現在では物流センターなどに使用されています。

跡地に建てられたブルックランズ博物館のサイトに「素晴らしきヒコーキ野郎」のページがありました。

クリックしてください ↓

 Magnificent Make Believe

 

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