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亀仙人2映画 ライブ・フロム・バグダット
2002年 アメリカ
ケーブルテレビCNNの報道陣が、湾岸戦争開戦の初日の夜、空爆を受けるバグダットの実況中継を世界中に流しました。そのクルーの活躍を見てみます。
監督 ミック・ジャクソン
製作 ジョージ・W・パーキンス
製作総指揮 サラ・コレトン
ロザリー・スウェドリン
原作 ロバート・ウィナー.
脚本 ロバート・ウィナー
リチャード・チャップマン
ジョン・パトリック・シャンリー
ティモシー・J・セクストン
撮影 アイヴァン・ストラスバーグ
音楽 スティーヴ・ジャブロンスキー
出演
マイケル・キートン
ヘレナ・ボナム・カーター
リリ・テイラー
ジョシュア・レナード
マイケル・カドリッツ
ハミッシュ・リンクレイター
ブルース・マッギル
マット・キースラー
ロバート・ウィズダム
ポール・ギルフォイル
トム・アマンデス
チェット・グリッソム
あらすじ(例によってネタバレ有り)と感想
この映画の部隊となった湾岸戦争の原因については、こちらをご覧ください ↓
1992年8月2日、イラクがクウェートに侵攻し、それに反対するアメリカと対立が深まり戦争に発展する兆しが見えました。
CNNのプロデューサー、ロバート・ウィナーは
「戦争になったとき、敵陣から実況放送が出来たら月面歩行に等しい」
と言って、過去何回もコンビを組んだイングリット・ホルマネクを誘い、8月23日クルーと一緒に開戦間近のバグダットに乗り込みました。
バグダット空港でイラク情報省のマジンと合流します。彼はアルラシド・ホテルで予約もしていないのにドルにものを言わせて部屋を確保した時、
「金は王なり」
と言って周りを驚かせました。この言葉は、現大統領のトランプ氏の自伝に載っているもので、彼はアメリカの事情に詳しく、油断できない人物です。以後取材活動は、すべて彼の監視下におかれます。
アメリカのブッシュ大統領(父親のジョージH.Wブッシュの方です)が、フセイン大統領がアメリカと関係の深い国の民間人を自国の軍事施設などに「人間の盾」として監禁していると非難した声明をテレビ演説で流しました。
それに対してフセイン大統領は、人質とされているイギリス人の少年と面会している場面をイラク・テレビで流しました。
CNNの報道陣はこの録画画面をアトランタの本社に送ります。
ただこの映像は何の解説もつけずにフセイン大統領の一方的なメッーセージを流したため、他の局の記者から非難されます。
しかし、ここで仲間のホルマネクが善い事を言います。
「私たちは裏方に徹して目に見たものを流すだけ。判断は見る人に任せましょう」
この報道姿勢でイラク側の信頼を得ることが出来ました。
ウィナーは新たな報道機器を提供してもらうことと、フセイン大統領との会見を申し込むため、イラク情報省に行きます。
局長との面会は午前8時の予定でしたが、夕方になって受付の男性が帰る時間になっても、会見できません。一緒に帰ろうとすると、受付の男は
「ここにいてください。いいですね」
と言って帰りました。入れ替わりに局長のナディ氏が現れました。開口一番
「私の名前の発音が正しい」
と言いました。待っている間様子を見ていたみたいです。
ウィナーはナディ氏に4線式電話機と、フライアウェイの設備提供を申し込みます。
・4線式電話機とは
相手の電話機と1対1の専用回線で接続する電話機です。一般回線の電話機と違い他の電話機と話せませんが、電話局の中継器を通さないため通信施設が破壊されても、専用線が切断されない限り、いつでも話すことが出来ます。
・フライアウェイとは
小型(と言っても自動車がなくては運べません)の衛星通信用の機器です。帯域幅が広いため、取材した映像を送ることが出来ます。これがあれば、どこからでも映像を送れます。
フセイン大統領とのインタビューの目的はと聞かれ、戦争を防げるのは対話だけだと答えました。
次に、アメリカ大使公邸に避難しているアメリカ人達から話を聞くために、取材に行きます。彼らは「人間の盾」に使われることを恐れて、誰も取材に応じようとしませんでした。
その中でボブ・ヴィントンだけが撮影に協力してくれました。しかし、彼は放送されるとすぐにイラク当局に逮捕され、消息が分からなくなります。
ウィナーは、ナジィ局長に会いボブの安否を確かめようとしました。
ナジィ局長は顔を見るように言いました。そして、言います。
「彼が無事か、(ここで小さく頷きます)話せないのだ、分かってくれ。」
これを見てウィナーはボブの無事を確認しました。
ナジィ局長は、「ナイラ証言」が本当かどうか、クウェートにある病院の取材を許可しました。
「ナイラ」なる女性(当時15歳)が1990年10月10日に非政府組織トム・ラントス人権委員会(英語版)にて行った証言。イラクによるクウェート侵攻後、イラク軍兵士がクウェートの病院から保育器に入った新生児を取り出して放置し、死に至らしめた経緯を涙ながらに語った事で知られる。当時のマスコミはクウェートへ入れなかったため、この証言が信憑性のあるものとされ広く喧伝された。アメリカ合衆国上院議員や大統領も幾度となく引用しており、湾岸戦争の布石を敷くこととなる。引用 ウィキペディア
この映画の時代には、これが真実であると信じられていました。
湾岸戦争が終わった1992年1月6日、ニューヨーク・タイムズの記者ジョン・マッカーサーが記事『ナイラを忘れるな。クウェートの証言』を掲載しました。
この記事で、ナイラは当時駐米クウェート大使の娘であることを明らかにしました。さらにこの証言が、クウェート政府の意向を受けた広告会社ヒル・アンド・ノウルトンが作成したものであることも分かりました。
しかし、この記事が出たときには、湾岸戦争は終了していました。
詳しくはこちらをご覧ください ↓
1990年10月17日、CNNの取材陣一行はクウェートに入ります。
病院に向かう途中、戦闘後の破壊と殺人の跡を目にしますが取材は許可されませんでした。
イラク兵に囲まれた病院での取材では、保育器に入った赤ん坊と担当の産科医による「報道されたような残虐行為はなかった」との証言を撮影しただけで、バクダッドに帰ることとなります。
バグダットに向かう車中、まだニュースにもしていないにかかわらずBBCから
『イラク通信によれば、CNNは今日クウェートを取材、ナイラ証言が虚偽であると断定した』
と言うニュースが流されました。彼らはうまくイラクに利用されてしまっのです。
ウィナーはナジィ局長に抗議して、代わりにフセイン大統領とのインタビューを約束させました。
ナジィ局長は前にCBSでやったと言いましたが、ウィナーはたとえかみ合わなくても、フセイン大統領に何度でも話し続けるように頼みました。
話し合いをやめると戦いが起こり、罪のない人々が大勢死んでしまいます。そうならないためにも話し合いを続けるしかないのです。
1990年10月29日、CNNからアンカーマンのバーナード・ショーが派遣され、フセイン大統領とのインタビューが行われました。
1990年11月29日、国連安保理はイラクに対する武力行使を容認する決議を採択しました。決議内容は、「1991年1月15日までに、イラクがクウェートからの即時・無条件撤退を守らなければ、 国連加盟国はあらゆる手段を行使できる 」 と言うものです。
バクダッド市内は、戦争の準備をする兵隊たちをあちこちで見かけるようになります。
1990年12月8日、フセイン大統領は、イラクの全人質の解放を行いました。空港で祖国に向かう人質たちを取材していたウィナーは、その中に無事に帰国するボブを見つけ安心しました。
1月15日に向け、アメリカとイラクの主張は激しさをまし、市内の各所に高射砲が設置されました。
フセインとブッシュ両大統領の言い分を報道するだけでは、戦争を回避できないとウィナーはあせり始めました。
ここでナジィ局長から4線式電話機が届きました。これでイラク国内の通信施設を介せずに、ヨルダンのアンマン支局と直接話すことが出来ます。アトランタにあるCNN本社でも、イラクとの専用通信回線が出来たことを喜びました。
1991年1月9日、ナジィ局長から電話が入り、撤退期限の1月15日にフセイン大統領とのインタビューをセットしたとの連絡が入ります。インタビューに備えバーナード・ショーは再びバクダッドに向かいました。
これとは別に、長い間従軍記者を務めてきたベテランのジョン・ホリマンもやってきました
1991年1月13日、バグダットに着いたバーナード・ショーはホテルに向かう車の中から、住民がみな避難して無人と化した町並みを眺め
「”真昼の決闘”の世界だな。主演はジョージ・ブッシュだ」
との感想を述べました。
1991年1月15日、クウェートからの撤退期限終了の日。CNNは開戦に備えて準備する町の人たちの姿を、送りました。
1月16日、15日に予定していたフセイン大統領とのインタビューが流れて、情報省のナジィからスケジュールを調整中との連絡が入りました。その最中、アメリカ本国から『子供が鼻かぜ』との連絡が入りました。これはアメリカが攻撃を開始するとの合図です。
ホワイトハウスから本社に、記者をバクダッドから出国させるよう要請が来ました。従軍経験の長いピーター・アーネットは
「サイゴンでも政府はメディアを追い立てた。我々がいたら、情報をコントロールできないからだ。残って報道すべきだ。」
と言って、技術者のニックと共に、ウィナーと残ることにしました。
その他のスタッフは、アメリカが用意した17日朝のチャーター便で帰国することにしました。
現地時間1月17日午前2時30分、バクダッドがアメリカの攻撃を受けます。ABC,CBS,NBCの3大ワットワークなど他の局は、爆撃開始早々イラクの通信施設がやられたため、放送することが出来ません。
いまやバクダッドの様子を伝えられるのは、4線式専用回線を持つCNNだけになりました。世界中の放送局は、CNNから送られてくる中継を流すしかなくなり、CNNの一人勝ちになります。
なぜ、CNNだけがイラクで放送を続けられたのか
最大の理由は、CNNは放送衛星を使い世界中にニュースを配信していたため、3大ネットワークと違い内容がアメリカ寄りでなかった為と思います。この点がイラク政府に好感され、ニュースを流すことが許されました。
逆に言えばアメリカ国内では、ニュース内容がイラクに偏っているとの批判が出ました。
湾岸戦争では戦争報道でトップになりましたCNNですが、イラク戦争では徹底的にアメリカ政府の意向に沿った報道を流したFOXテレビに負けてしまいます。
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