なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

アニメ 『動物農場』”労働者の天国”を目指したソ連が、独裁国家に変わった訳

time 2023/02/28

アニメ 『動物農場』”労働者の天国”を目指したソ連が、独裁国家に変わった訳

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亀仙人2

アニメ 『動物農場』

1954年 イギリス

マナー(荘園)農場で飼われていた家畜たちは、農場主ジョーンズのひどい扱いに耐えかねて彼を追い出し、自分たちで農場を経営することに成功しました。

始めは皆平等に生産物を受け取り、豊かな生活を過ごせるはずでしたが、指導者の黒豚ナポレオンが支配を強め、農場の生産物を独占するようになりました。

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アニメ「動物農場」

監督
ジョン・ハラス ジョイ・バチェラー

日本では2008年、「三鷹の森ジブリ美術館」によって公開されました。

原作者ジョージ・オーウェルと「動物農場」について

ジョージ・オーウェル

本名エリック・アーサー・ブレア

(1903年6月25日~1950年1月21日)

出典 ウィキペディア

彼は1903年、当時イギリス領だったインドのベンガルで生まれました。

エリックが1歳の時、5歳年上の姉マージョリーと共に母親に連れられ、イギリスに戻り、そこで教育を受けました。

1922年当時英領インドの州であったビルマに行き、インド帝国警察官として勤務しました。

1927年作家としての生活を望み、休暇を貰ってイギリスに戻った時に辞表を出し、警察官の仕事を止めました。

1927年から貧困層のルポータージュ記事を書こうと思い立ち、1928年から1929年にかけてパリで皿洗いの仕事をしながら暮らし、1930年から1931年にかけてロンドンとその周辺を、浮浪者に交じって放浪生活をして暮らしました。

1933年、この時の体験をまとめた「パリ・ロンドン放浪記」を出版し、作家デビューを果たしました。

1936年、スペイン内戦が起こるとスペイン政府側の民兵組織POUM(マルクス主義統一労働者党)という共和派の義勇兵に参加し、フランコ将軍率いる反政府軍と戦いました。当時のスペインはスペイン共産党に社会主義者、共和派などが連合して共和国政府を作り、ソ連が援助をしていました。対するフランコ将軍率いる反政府軍は、ヒトラーのナチス、イタリアのムッソリーニなどファシストが支援していました。

 

ところが翌1937年ソ連本国でスターリンの大粛清が起こり、ジョージ・オーウェルが属していたPOUM(マルクス主義統一労働者党)がスターリンの独裁に反対の立場をとっていたためトロキストと見られ、粛清の対象となってしまいました。この時ジョージ・オウェるは喉に弾丸を受け療養中で戦線を離れていたので助かりましたが、妻と一緒に急いでイギリスに戻りました。

1938年4月、スペイン内戦に参加した体験をもとに、『カタロニア賛歌』を出版しました。

第2次世界大戦が始まり、ジョージ・オーウェルはBBCに入社して、東南アジア向け宣伝番組を制作したり、『トリビューン』紙や、『オブザーバー』紙で記事を書いたりしました。

第2次世界大戦終了直後の1945年8月17日、『労働者の天国』を目指して始まったロシア革命が、スターリンの独裁政治によって裏切られていく過程を動物を使って寓話的に描いた『動物農場』を発表しました。

当時は第2次世界大戦で2500万人以上もの被害者を出しながら、ドイツと戦い大きく貢献したソ連のスターリンを批判した同書は受け入れられず、4軒の出版社から印刷を断られるなど苦労しました。

しかし、戦後アメリカとソ連が対立し冷戦が進むと、1949年に発刊された小説『1984』と共に反共作家の第一人者となり大成功を収めました。

彼は1947年から結核にかかり、『1984』を書き終えた後療養生活に入っていましたが、1950年ロンドンの病院で肺動脈破裂をおこし死亡しました。46歳でした。

 

アニメ『動物農場』

解説とあらすじ(ネタバレあり)

最初に

アニメ『動物農場』の制作にあたり、アメリカの中央情報局(CIA)が秘密裏に資金援助をしていました。このことは制作に当たったジョン・ハラスとジョイ・バチェラーには伏せられていましたが、出資者の意向ということで、ジョージ・オーウェルの原作に変更が加えられました。

特に大きな変更点は、ラストの部分で動物たちの指導に当たっていた豚たちが、自分たちを食い物にしていたことが分かり、反乱を起こす場面です。

原作では反乱を起こす場面は省かれ、自分たち動物を人間からの搾取から解放するはずだった指導者の豚たちが、いつの間にか人間に変わって動物たちを支配し、搾取していることに気が付く場面で終わっています。

詳しくは映画「動物農場」の公式サイトに掲載されている、川端康雄氏の解説、”冷戦下の『動物農場』“をご覧ください

 

あらすじ

マナー(manor 荘園)農場を経営しているジョーンズ氏は仕事を怠けて、村の酒場で酒浸りの生活をしている為、家畜たちに十分な餌を与えられずほ、家畜たちは不満を募らせていました。

ある春の夜、農場で最長老の雄豚メージャー爺さん(モデルはマルクスかレーニン)が農場で働く家畜たちを集めて、自分が見た夢の話をしました。

・・・我々が辛うじて生きていけるだけの餌しかもらえないのはなぜか。

ニワトリ達が産んだ卵が、ヒナに孵る前に売られるのはなぜか。

母親たちが生んだ仔馬や仔牛、子豚たちが成長する前に売られるのはなぜか。

馬や犬などが年を取り役に立たなくなると、屠殺業者に売られたり、殺されるの

はなぜか。

それは人間(資本家)どもが我々家畜(労働者)が生み出したものを奪い取っているからである。

同志たち反逆せよ。

農場の経営を人間の手から奪い取れば、我々はもっと楽に生きられる。・・・

そしてメージャー爺さんは昔覚えた歌を唄いだすと、他の家畜たちも声を揃えて歌い出しました。自分の思いが伝わったことで安心したのか、メージャー爺さんは歌っている途中で亡くなりました。

翌朝、農事主のジョーンズ氏は朝寝坊をしてしまい、動物たちに餌を与えるのを忘れてしまいました。怒った動物たちは、白豚スノーボール(モデルはトロツキー)の指示に従い、穀物の入っている納屋を壊し、中に貯めていた穀物を食べてしまいました。騒ぎに気が付いたジョーンズ氏が納屋に駆け付け鞭を振るって動物たちを退散させようとしましたが、逆に動物たちに迫られ、農場から逃げ出しました。

農場を追い出されたジョーンズ氏は、村の酒場で飲み仲間の農場主を誘い、武器を手に農場に舞い戻ってきました。

この時もスノーボールが動物たちを指揮して、農場主を追い返すことに成功しました。スノーボール自身もジョーンズ氏の打った弾に当たり怪我をしましたが、かえってこれにより農場の動物たちから英雄と認められ、農場の指導者となりました。しかし、これを快く思わなかった黒豚のナポレオン(モデルはスターリン)は、騒動で母親が死んで孤児となった番犬の子犬を引き取り。ひっそりと飼い慣らし始めました。

 

スノーボールは、農場を経営するにあたって、農場の名前を『動物農場』に改め、農場で暮らす動物たちが守るべき「掟」を納屋の壁に、白ペンキで大きく書きました。

  • 動物はベットで寝てはならない。
  • 動物は酒を飲んではならない。
  • 4本脚は良い 2本足は悪い。
  • 動物は他の動物を殺してはならない。
  • すべての動物は平等である。

 

翌日から動物たちは農作業にかかった。しかし作業に使う農具は人間用に出来ていたため、スノーボールはそれぞれの動物に適した使用法を考え出し、動物たちはそれに従った。こうして動物たち全員が力を合わせ、農作業にいそしんだ、と言いたいところですが、一部の動物は違っていました。それは豚たちでした。多くの動物は目の前に事柄に対処できても、これからどうしようかとの問題については、うまく考えをまとめることが出来ませんでした。それに反して豚の多くは考えをまとめることが出来たので、農作業の指導、監督役に付くことになりました。

結局、動物たちは農耕馬ボクサーの、『俺がもっと働けばいいのだ』との言葉に従い、働けばもっと楽な暮らしが出来ると信じ、一生懸命働きました。

「動物農場」では毎週会議が行われ、今までの成果や今後の行動について話し合いが持たれましたが、先に述べた理由により会議の主導権は、豚たちが持っていました。

こうして夏が過ぎ、収穫が終わると皆の熱心な働きによって、「動物農場」の生産高は前年を大きく上回ることが出来ました。スノーボールはこの成果を他の農場にいる動物たちに知らせ、仲間を集めようとしましたが、失敗してしまいました。多くの農場では動物たちは大切に扱われており、動物たちは今の状態から変わることを恐れたのです。しかしぞんざいに扱われていると感じていた一部の動物は、飼い主に対して反抗するようになりました。

トロツキーの世界革命論とスターリンの一国社会主義論

ロシア革命が成功したことにより、レーニンやトロツキーは世界中の共産党にロシア共産党の指導によって、各国で革命を起こそうと運動を開始しました(世界革命論)。

昔は5月1日のメーデーになると、日本全国で労働者の集会が行われ、労働者の待遇改善を求めてデモ行進が行われたものです。

その時に歌われたのが、下の歌でした。

1924年レーニンが亡くなった後、スターリンは世界革命が成功しなくてもロシアでの社会主義国建設計は可能だ(一国社会主義)と、唱えたのがスターリンでした。

この論争は、権力闘争に勝ったスターリンの理論が公式見解となりました。

『動物農場』では、白豚のスノーボールがトロツキー、黒豚のナポレオンがスターリンを表しています。

次にスノーボールは、動物たちに文字や簡単な算数を教えようとしましたが、ロバのベンジャミンを除いて物覚えが悪く、失敗してしまいます。しかし、ロバのベンジャミンは簡単な文章なら読むことが出来、その意味を理解できました。

スノーボールは皆の生活を向上させるため、風車を建設する為の設計図を書き上げ、集会で披露しました。

風車を作って電気をおこせば、暗い夜でも照明が灯され、寒い冬にはヒーターやお湯が使え、電気で機械を動かせば毎日働く無くても、週に3,4日働けばよいようになる、と説明しました。

動物たちはスノーボールの風車建設に賛成しようとしましたが、黒豚のナポレオンはその計画に反対し、密かに育てていた番犬たちを使って、スノーボールを農場から追い出していまいました。

この番犬たちは、かって農場主だったジョーンズが農場を襲ったときに殺された番犬の子たちで、その後ナポレオンに育てられ、今では一人前の猟犬に成長していました。

スノーボールを追い出した後で、ナポレオンが周りに犬を従えて再び集会に現れ、これからは指導者になった私がすべて決定し、皆は私に従うように言いました。

動物たちはいっせいに反対の声をあげましたが、周りに従っていた犬が牙をむき唸り声をあげたため、全員黙ってしまいます。

そして改めて風車の建設を命令し、動物たちはそれに従います。

今までの農作業に加えて、風車建設のための労働が加わったことで、労働条件はより厳しくなってきました。しかし屈強な農耕馬ボクサーの「お俺がもっと頑張ればいい」との言葉に励まされ、他の動物たちも、より良い生活を夢見て一生懸命働きました。特に先立って働いたボクサーは、親友のロバのベンジャミンと共に、皆が仕事を終えた後も夜遅くまで働き続けました。

仕事が増えた割には動物たちの餌は増えませんでしたが、豚たちは、腹いっぱいになるまでの食べ物が与えられていました。

ナポレオンの側近で弁の立つスクィーラーは、豚たちは農作業や工事の監督が終わった後でも、次の日の手順や、工事の資材の都合を付けるために働いているので認めて欲しいと言いました。

ある日ボクサーたちが仕事を終え夜遅く農場に帰ると、豚たちが揃ってジョーンズ氏がかって住んでいた家に入っているのを、見ました。翌朝様子を見に行った鳩たちの話で、豚たちは、ジョーンズ氏の家にあるペットで寝ていたことが分かりました。

物覚えの良い者が確か

「動物はベットで寝てはいけない」

はずだと思い、動物農場の掟の書いてある納屋の壁を見ると

「動物は〈シーツの敷いてある〉ベットで寝てはいけない」

と書き換えられていました。

…この辺は政治家が自分の都合が悪くなると、勝手に法律を変え、「自分は法律違反をしていない」と言い張るのに似ています。…

「動物農場」の風車は村の酒場でも話題になりましたが、他の農場主たちは、必要な資材が手に入らないため風車建設は挫折するだろうと話し合っていました。

これを聞いた商人のウィンスパー氏は、ナポレオンの大好物であるジャムを車に積んで動物農場に行き、農場で取れた卵との交換を申し出ます。ナポレオンは喜んでこの取引に応じ、めんどりたちに産んだ卵は全て農場に差し出すよう、命じました。

何若のめんどりが卵を差し出すのに反対しましたが、反対しためんどりと応援していた羊、ガチョウは共に裏切り者として、番犬たちに食い殺されてしまいました。

納屋の壁に書かれていた

「動物は他の動物を殺してはならない。」

という掟の下に、殺された動物たちの血で

「ただし、特別の理由がある場合は除く」

との文字が書き加えられました。

ウィンスパー氏との取引は拡大し、風車に使う資材や機械などの他に、肥料など農場に必要なものまで扱うようになり、ウィンスパー氏は大儲けできるようになりました。

こうなるとウィンスパー氏を妬ましく思う人々が出て、近くの農場主は武器を手に「動物農場」から動物たちを追い出すために、襲撃することに決めました。元リ農場主ジョーンズ氏は、農場を動物たちに乗っ取られたため馬鹿にされ、仲間に加えられませんでした。

そこでジョーンズ氏は爆薬を手に、一人風車に向かいました。

農場では、襲ってきた大勢の農場主たちと激しい戦いになり、ボクサーが右足に銃弾を受け大怪我をしたほか、何匹もの動物が死んだり怪我をしたりしましたが、農場主たちを追い返すことに成功しました。

皆が勝ったと思って喜んでいたところ、風車がジョーンズ氏の仕掛けた爆薬によって大爆発を起こし、バラバラになってしまいました。

再び風車再建の辛い日々が続きました。ボクサーも怪我をした右足を引きずりながらだんだんと体力が衰えてきました。そしてついに、ボクサーは運んでいた石の下敷きとなり、動けなくなってしまいました。

次の日も風車建設の仕事は続けられましたが、親友のベンジャミンはボクサーに寄り添って看病していました。

農場に白い車がやって来て、ボクサーを運ぼうとしました。その車が採殺業者のものであることに気が付いたベンジャミンは、急いで風車の所に行き、働いていた動物を集めました。

皆が戻ってきたときには、ボクサーは車に積まれ、出発するところでした。動物たちはボクサーを助けようと追いかけましたが、間に合いませんでした。

そしてナポレオンのもとに、ウイスキーの入った箱が届けられました。そのウィスキーは、ボクサーを売った代金で買われたものでした。

ナポレオンの側近であるスクィーラーが、病院に送られ治療していたボクサーの臨終まで見届けたと言いましたが、その言葉を信じていないことは皆の目を見らば明らかでした。

ここからは「動物農場」の小説と、アニメでは結末が大きく異なっています。

アニメの結末

年月は流れ風車は完成して、電気も得られるようになりました。

しかしその電気は、農場を取り囲む鉄条網や、穀物を運ぶベルトコンベアー、穀物を精製する機械に使われ、動物たちは相変わらず寒くて暗い畜舎で暮らし、少ないエサで、ため池の水を飲み辛い仕事とに従事する生活が続いていました。

そして、納屋の壁に描かれていた掟はただ一言、

「すべての動物は平等である。ただしある動物はもっと平等である」

に変わっていました。

ある日全国から豚の代表たちが集まり、「動物農場」の成功を祝う集会が開かれました。ロバのベンジャミンは気になって、その集会をのぞいてみました。

その時、ナポレオンは『より少ないエサで、より長時間』動物たちを働かせることに成功した豚たちに、勲章を授けるところでした。

「動物農場」の実態を知ったベンジャミンは、急いで他の動物たちに知らせ、さらに「動物農場」の成功に期待していた近くの農場からも動物たちが集まってきました。

集会が終わり、動物たちが宴会をしている場面を見ているベンジャミンの目には、ナポレオンがもとの農場主ジョーンズと重なって見えていました。

怒った動物たちが、農場を支配している豚たちに反乱を起こすところで、映画は終わります。

 

小説の結末

ある日「動物農場」に近隣の農場主(人間たち)がやって来て、「動物農場を見て廻りました。夕方になると高位の豚たちと、訪れた農場主たちは屋敷に入り、大きな声と歌声が屋敷から聞こえてきました。

興味を持った「動物農場」の動物たちは裏庭から屋敷に入り、台所の窓からのぞき見をしていました。

部屋では12人の農場主達と、12匹の豚達が酒を飲みながら仲良くカードゲームに興じていました。

カードゲームの途中で、フォックスウッドの農場主ピルキントン氏がナポレオンに向かって、

本日、私と私の友人が動物農場を訪ね、その隅々まで自分の目で調べて目にしたものは何でしょうか? その最新の技術、規律と秩序は全ての農場主が手本とすべきものです。私は自信を持って言うことができますが動物農場の下層動物たちはこの国のどの動物よりも少ない食べ物でどの動物よりもよく働いています。間違いなく本日、私と私の同行者たちは自分たちの農場でもすぐに取り入れたい多くのことを目にしました。」

と賛辞を述べ

「あなた方に戦うべき下層動物がいるとしたら、私たちには下層階級がいる!」。この機知に富んだ言葉にテーブルはおおいにわき立った。ピルキントン氏は動物農場で目にした配給の少なさ、長時間労働、低福祉に対してもう一度、豚たちに賛辞を述べた。

最後に彼は同席者にジョッキを満たして掲げるよう頼んだ。「紳士諸君」ピルキントン氏は締めくくりに言った。「紳士諸君。動物農場の繁栄に乾杯!」

ちょうどその時、歓声がやんで列席者がカードを取り上げて中断していたゲームを再開したので動物たちは静かにその場を立ち去ろうとした。

しかし二十ヤードも進まずに彼らは立ち止まった。農場の屋敷から叫び声が聞こえてきたのだ。彼らは駆け戻って再び窓をのぞき込んだ。そこでは猛烈な口論の真っ最中だった。叫び声、テーブルを叩く音、疑いのまなざし、猛烈な罵声。騒動の原因はナポレオンとピルキントン氏が同時にスペードのエースを出したことのようだった。

怒りに満ちた十二の声が響き渡り、それはどれも同じように聞こえた。今度は豚たちの顔に起きた変化は明らかだった。その動物の姿は豚から人へ、人から豚へ、そして再び豚から人へと変わっていった。もうどちらがどちらか区別することはできなかった。

 

引用部分 青空文庫 「動物農場(Animal Farm, 1945) 日本語訳 」のラスト

 

この違いは、アメリカのCIA(中央情報局)が「動物農場」のアニメ制作の費用を出していて、出資者の意向として、最後の部分を変えたように見えます。

 

農場の指導者豚のナポレオンのモデルになったスターリン

 

小説版のラストでは、農場の支配者豚たちが、農事主(資本家)達と同じように動物(労働者)達を搾取しているように取られる恐れがあったことです。

資本主義と社会主義の違いは、個人が資本を持てるのが資本主義、個人が資本を持てず変わって国が資本を持つのが社会主義になります。

したがって工場はもちろん、農場や商業施設、鉱山などすべての生産施設は国が持ち、上がった利益は国民に平等に配分されることになっていました。

ロシア革命を起こしたレーニンの死後ソ連のトップに就いたスターリンは、権力についてはかなり強欲な人物でした。ただ日常の生活については割と質素な生活を送っています。

ロシア革命を指導してきたレーニンですが、1921年ごろから健康状態が悪くなり、1922年5月最初の脳卒中を起こし、話す言葉が不明瞭となり、右半身の麻痺が見られるようになりました。下の写真はゴールキの邸宅で療養しているレーニンを、スターリンが見舞いに訪れた時のものです。

ゴールキの邸宅で病気療養中のレーニン(左)を訪れたスターリン(右)

1922年9月1日

出典ウィキペディア

レーニンは晩年の大半をゴールキの邸宅で過ごした。

出典ウィキペディア

レーニンは、1922年10月に一旦回復してモスクワに戻りましたが、12月に2度目の脳卒中の発作を起こし、再び療養生活に戻りました。1923年3月3度目の発作を起こした後症状が悪化し、1924年1月21日、昏睡状態になり、そのまま死亡しました。

レーニンは病気療養中に、妻のナデジダ・クルプスカヤに口述筆記させた遺書が、1924年5月22日の第13回党大会で公開されました。

それにはスターリンに対してこう書かれていました。

スターリンはあまりにも粗野であり、この欠陥は、私たちの中で、また私たち共産主義者の間で対処する際にはかなり許容できますが、事務総長になると耐えられなくなります。だからこそ私は、スターリンをそのポストから解任し、他のすべての点で同志スターリンとは唯一の利点、すなわちより寛容でより忠実であるという点で異なる別の人物を代わりに任命する方法について同志に考えることを提案する. 、仲間に対してより礼儀正しく、より思いやりがあり、気まぐれが少ないなどです。この状況は、無視できる詳細に見えるかもしれません。しかし、分裂に対する安全策の観点から、また、スターリンとトロツキーの関係について上で書いたことの観点からすると、それは[マイナーな]詳細ではなく、決定的な重要性を想定できる詳細であると思います。

引用 Wikipedia

 

スターリンの「寛容でない」性格は彼の行った第一次五ヵ年計画の実施時に見られました。レーニンの時代でも革命派と反革命派の戦いや、外国勢による対ソ干渉戦争などの戦いで農村で無理な食料徴発を行ったうえ、旱魃にみまわれ大飢饉「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」が発生しました。

1921年2月、これに対してレーニンは「新経済政策 (NEP、ネップ) 」を実施して1922年から穀物の強制徴収の代わりに10%のとの現物税を支払い残りの穀物の自由販売を認めました。これにより第1次世界大戦前に比べて半分近くも落ち込んでいた農業生産も元に戻り、農業生産は復活しました。

しかしスターリンはレーニンの行ったネップは資本主義的な行いであると批判し、1928年から実施した第一次五ヵ年計画では、自営農家を廃止して集団農場化を進めました。

集団農場では第一次五ヵ年計画で行われた工場の建設や機械類を輸入するのに必要な外貨を獲得するため、穀物の強制徴収が行われました。このため農村部では大飢饉(ホロドモール)が起こりましたが、スターリンは一切妥協せず集団農場化を進めてしまいました。これに反対した農家は農地を取り上げられたうえ強制収容所に送られてしまいました。

このため1930年から37の年にかけて飢餓や強制収容所での死んだ人合わせて1450万人が犠牲になったと言われています。

 

資本家による労働者の搾取を防ぐための社会主義政策でしたが、国家による搾取が、より酷いことになってしまいました。現代の日本では労働基準法や、独占禁止法や公正取引委員会などによる「優越的地位の濫用」により労働者の搾取は抑えられています。

それに反して、すべての産業が国有化されたソ連では、政治権力と資本家が一緒になっており、スターリンの第一次五ヶ年計画では、労働者(特に農民)の保護は政府から無視されてしまいました。

アニメ「動物農場」では、指導者の豚たちは、自分たちの欲望を叶えるため次々と農場の掟を変える一方、労働者である動物たちは、より一層過酷な労働(風車の建設)に駆り出されることになりました。

 

スターリンのために少し言っておくと、スターリンは社会主義国建設のためや自分の地位を守るためには、情け容赦のない政策を行ってきましたが、反面禁欲的な面もあり服装は何の飾りもない軍服で暮らし、車も政府より供与されましたが運転手を雇わず自分で運転していました。モスクワ郊外に建てられた屋敷も国のものであり、借家住まいでした。

 

スターリンが行ったホロドモールを暴いた映画はこちら ↓

ウクライナの映画 ホロモドール 「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」

 

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