2024/09/20
2001年1月20日、ジョージ・W・ブッシュがアメリカ合衆国第43代大統領として就任しました。国家安全保障会議のクラークは、新たに国家安全保障問題担当大統領補佐官となったコンドリーザ・ライスにアメリカ国内でのテロ攻撃の危険を訴えましたが、聞いてもらえませんでした。
アイキャッチ画像の人物は、義足の男ハリドとして長らくその本性を知られなかったハリド・シェイク・ムハンマドの写真です(本人)。
彼はケニアとタンザニアの両アメリカ大使館爆破、駆逐艦コールへの攻撃、9.11同時多発テロを計画し、実行させた人物です。
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エピソード8”特別な関係”
“特別な関係”とは、ここまで謎に包まれて来たアメリカ合衆国とサウジアラビアとの関係のことです。
エピソード8では、最初から重要なシーンが続きます。
最初に、国家安全委員会のクラークがCIA長官のテネットに、ライス国務長官に国家安全上の問題について至急話し合いたいと申し込んだが、来週に延ばされてしまったと、ぼやいているところから始まります。
その訳を聞いたテネットにクラークは、彼女は黒人女性初の安保補佐官になった為、有名なファッション誌Vogueの取材で忙しくてダメだそうだ、と答えました。
これを聞いたテネット長官は、早速電話を取りライス補佐官に繋ぐよう命じました。そして帰ってきた答えは「後ほどこちらから電話する」とのことでした。これは、はっきり言えばそちらからの電話は、受け付けないということです。
ライス補佐官にとって、国の安全よりファッション誌の取材の方が重要なのですね。
FBIのニューヨーク支局では、テレビニュースで1998年にケニアで起きたアメリカ大使館爆破の犯人に、裁判で終身刑が言い渡されたと流れました。
FBIの面々は、長年大使館爆破事件の捜査を続けてきたロバート・チェズニー(通称ボビー)にお祝いの言葉を掛けます。しかし、チェズニーは、これを機に退職するつもりだと言います。この事件で親しくしていた女性デボラ・フレッチャ―が犠牲になったことが、よっぽど堪えたみたいです。
しかし、CIAとしては、しっかりと証拠を固め、容疑者を逮捕して裁判にかけて有罪とするよりは、容疑者の居ると思える場所にミサイルを撃ち込んで一挙に片付ける方が好きみたいです。
次は1分ちょっとのシーンですけど、とても重要です。
場面はワシントンDCにあるサウジアラビア大使館に移ります。大使の妻がランニングマシンで運動しながら、誰かと携帯電話で話しています。大使は妻のハンドバックから小切手帳を取り出し、
「君の口座の方が、都合がいい」
と言って、妻からサインをもらいます。妻はサインしながら
「今の電話はローラからよ。双子が寂しがっているから、来週末テキサスに行けるかどうか聞いてきたの」
「大統領の飛行機でか」
「もちろんよ」
一瞬”えっ”と思いますよね。電話で話していた『ローラ』とは、いったい何者なのでしょう。
答えは、もうちょっと待ってください。
大使から受け取った小切手で、銀行から現金を受け取ったのは、なんとアルカイダのハズミとミダルがアメリカに着いたとき接触してきた、サウジアラビア領事館に勤めていた男でした。
つまり、駐米サウジアラビア大使は、アメリカ国内のアルカイダにお金を出していた、ということです。
先の電話で話していた『ローラ』とは新しく大統領になったジョージ・W・ブッシュの妻ローラ・レーン・ウェルチ・ブッシュで、双子とはブッシュの娘ジェンナとバーバラです。
1990年のブッシュ一家の写真、妻のローラと双子の娘ジェンナとバーバラ。
出典 ウィキペディア
この時の駐米サウジアラビア大使はバンダル・ビン・スルターン(通称バンダル王子。駐米大使としての任期1983年~2005年)で、大統領になったばかりのジョージ・W・ブッシュの父親で元大統領のジョージ・H・W・ブッシュが、レーガン大統領の時に副大統領を務めていた頃(任期 1981年1月20日 – 1989年1月20日)からの付き合いでした。
さらにその前のフォード大統領の時には、CIA長官を務めていました(任期 1976年1月30日 – 1977年1月20日)。
2002年、ジョージ・W・ブッシュ大統領と話しているバンダル王子。
出典ウィキペディア
彼は豊富なオイルマネーを、ブッシュ親子が経営する各種事業に融資しており、親密な関係を築いています。バンダル王子は若いころ空軍のパイロットとして勤めており、アメリカ合衆国のマックスウェル空軍基地で追加トレーニングも行っていました。空軍時代の経験から、サウジアラビア空軍のE-3早期警戒管制機やジェット戦闘機F-15の購入に関係しています。
ちなみにジョージ・W・フッシュも、州空軍でジェット戦闘機F-102のパイロットをしていました。
このあたりの詳しいことは、映画『華氏911』の解説に書いておきました。 ↓
ここまでが初めの7~8分の部分で、”特別な関係”とは、アメリカ合衆国とサウジアラビアとの関係を指しているのが、何となく分かると思います。
テロリストとして潜入しているハズミとミダルですが、リーダのモハメド・アタに連れられて、本格的に大型ジェット旅客機のパイロットの養成に使うフライトシュミレーターで訓練を始めました。その結果この二人は大型ジェット機の操縦には不向きと分かり、以後は機内で乗客を襲撃したり、抑えるための訓練をすることになります。
理由は英語が堪能ではないのと、飛行機の操縦法をなかなか覚えられなかったことです。いかに優秀な戦闘員でも、飛行機の操縦は別ものなのです。リーダーのアタは、飛行訓練を終了して、ライセンスを習得出来ました。
9.11で4機の飛行機を操縦していたのは、アタがドイツに留学していた時に知り合ったイスラム教徒のもと留学生二人、それと初めから業務用大型旅客機の操縦ライセンスを持っていた、アルカイダ―のメンバーの一人でした。
イエメンから帰国させられたFBIのオニールは、再入国を求めましたがイエメンのボーディン大使によって拒否されてしまいました。大使からはよっぽど嫌われたらしく、大使は彼のことを”kind of an asshole”と呼んでいました。
イエメンに残っているスーファンは、同じくイエメンで捜査しているCIAのジョン・チホインにクゥソとアルカイダの連絡係であるハッダとの会話で、マレーシアで会議が有ることを分かったけれど、それ以上の情報は渡せないと言われたそうです。
怒ったスーファンはCIAアレックス支局の局員全員にメールを出し、ハラドやマレーシア会議、ハッダとの通話の情報を渡してくれるように頼みました。
アレックス支局の局員全員が、局長のダイアンにスーファンに情報を渡すように頼みましたが、拒否されてしまいました。しかし、CIAアレックス支局の職員て、全員女性なんですかね。
その中でも情報を渡すように粘る人がいて、ダイアンはFBIがどのような情報を欲しがっているか、探ってから決めようといいます。
そのためFBIから出向していたトニー・アンにハリド、アズミ、ミダル3人の写真を渡し、FBIがどこまで知っているか、探らせました。
トニー・アンはFBI のI-49に行き、ボビーたち3人に写真を見せ、「誰だか分からない」との答えを聞くと、写真をしまい「CIAは何かを知っているのだろう、教えろ」の声を後にさっさと帰っていきました。一体どっちの職員なのだ。CIAかFBIか。
ダイアンが家に帰ろうとすると、前局長のシュミットが局員のエイミーと待っていました。シュミットはダイアンにエイミーが納得するように、説明してほしいと頼みます。
以下はダイアンが説明した内容の要約です。
“情報を渡せばFBIは、サウジの小物たちをすぐ逮捕する。そうすると国民は政府とサウジ王家との特別な関係、サウジ王家は裏でテロリストたちと密接な関係にあり、アメリカはそのサウジを支援していることを知ってしまう。
サウジに居るイスラム原理主義者たちは一斉に蜂起し、王族は追放され、原理主義者たちが実権を握ってしまう。私たち(アレックス支局)の任務は、そうならないようにサウジを守りることなの。”
CIAはどこの国の機関なのだ。アメリカか、サウジアラビアか。
ダイアンが隠したいと思っていたことは、2004年映画監督マイケル・ムーアが2004年(大統領選挙の年)に公開した映画『華氏911』で暴いてしまいました。それにもかかわらず、ブッシュ大統領は再選され、サウジ王家は現在も続いています。
イエメンに居るスーファンは、再びクゥソを尋問して、クゥソをビンラディンに紹介したのが、アブー・ジャンダルだと聞きだしました。しかし、ジャンダルに対する尋問はアミン署長も、カミッシュ将軍も許可しませんでした。
仕方なくスーファンは一旦、本国に帰ることにしました。
アメリカではオニールが機密書類の入ったカバンを盗まれたことが、ニューヨークタイムズにすっぱ抜かれてしまい、支局長のサンチェスから、辞職するよう言われてしまいました。
これも何かおかしいですね。FBIの幹部職員が機密書類の入ったカバンが盗まれたことを、大手新聞社に漏らした人がいたのですかね。
そしてカバンが盗まれた状況も変です。カバンが盗まれた場所は、勤続25年以上で退職間近なFBIのベテラン職員に対して、退職後の年金や保険を説明する会場です。愛人から電話がかかって来て、一時席を離れたにしろ、そんな場所から置き忘れたカバンを盗もうとする者が居るのかしら。
CIAのシュミット同様、上の人の言うことを聞かないオニールが居ては、困ることが有るみたいです。
この間、テロリストのハズミとミダルは「腕力ハイジャッカー(コックピットを襲い、乗客を制圧するための工作員)」として、小型のナイフ(実際には刃を短くして刃先だけ出せるようにした大型カッターナイフ。このナイフなら洗面道具と一緒に機内に持ち込めることを、アタは確認していました。)を使って操縦席に座っているパイロットを殺す訓練をしていました。
その脇でアタは、ラスベガスやボストンなど全米9カ所の口座に、海外から資金が振り込まれていることを確認していました。
国家安全保障会議のクラークが、新しく就任したライス補佐官にアルカイダの脅威について説明していました。しかし、ライス補佐官は説明を途中で止め、報告をもっと簡潔に分かりやすく伝えるよう要求して、席を立ってしまいます。
これはCIAやFBI、軍部までも参加した全体会議でも同じでCIA長官のテネットや、テロが行われる脅威があると説明しても、ライス補佐官はテロが行われる可能性ではなく、もっと具体的な内容を知らせるように要求しました。
しかし、テロリストたちは何月何日、どこでどのような攻撃を行うか、相手に分からないようにするので、ライス補佐官の言う通りにすると、テロを防ぐことはできません。
彼女はアメリカ国内ではアルカイダのテロは行われないか、起きても大した被害ではないと思っているようです。
9.11同時多発テロを防げなかった理由 その4
ブッシュ政権によるアルカイダの軽視。
上に書いた会議でテロ対策大統領補佐官のクラークが、
「アルカイダのテロリストがアメリカ国内に居る。」
と話し出すと、ライス大統領特別補佐官は
「その人物は懸念すべきほど、明らかな脅威なの?。それともハエと同じかしら?。大統領はハエ叩きに興味はないと言っていた。」
として、話を終わらせてしまいました。
これに関する話題では、後に出てくる、2001年8月6日のPDB(米国政府の担当部局が毎日作成し、米国大統領に毎朝届けられる最高機密文書)で”ビンラディンが米国内での攻撃を決意”と書かれていたにもかかわらず、アメリかに対する脅威の対象ではないので大統領に伝えていないと、ライス補佐官が言及していました。
また9.11同時多発テロ後、クラークがサウジアラビアの要人たちを国外に脱出させるために、飛行禁止を一時解除して彼らの飛行をの許可を求めた時、ライス補佐官は
「国防長官(ドナルド・ラムズフェルド)は、この事件をフセインに結びつけろ」
と言っていました。
つまり当時のブッシュ政権にとって、アメリカの安全を脅かす最大の敵はイラクのサダム・フセインであり、ビンラディンのアルカイダは、イスラム過激派に属するテロ集団の一派だと、思っていた節があります。
ジョージ・W・ブッシュ政権のネオコンと呼ばれる閣僚、国防長官ドナルド・ラムズフェルド、副大統領ディック・チェイニーや国務長官コリン・パウエル、国家安全保障問題担当大統領補佐官コンドリーザ・ライスのうちラムズフェルドを除いた3人は、ジョージ・W・ブッシュの父ジョージ・H・W・ブッシュ政権で一緒に働いていました。ラムズフェルドは、1988年アメリカ合衆国大統領選挙の時、共和党予備選出馬候補としてジョージ・H・W・ブッシュと争ったため一切の役職には就いていませんでした。
次のビル・クリントンの時代(1993年1月20日 – 2001年1月20日)になると、それぞれは政権を離れ、民間企業や大学に移って行きました。ところがアルカイダが活動を始めるのは、この時になってからです。主なテロ事件は次の通りです。
- 1993年2月26日 世界貿易センター爆破事件
- 1993年10月3日 モガディシュの戦闘
- 1994年12月11日 フィリピン航空434便爆破事件
- 1995年1月21日 ボジンカ計画未遂
- 1996年 本拠地をスーダンからアフガニスタンへ移動
- 1998年8月7日 ケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件
- 2000年10月12日 米艦コール襲撃事件
ここまでのアルカイダによるアメリカ国内での被害は、1993年2月26日の世界貿易センター爆破事件(死亡者 6人、負傷者 1042人)だけでした。
クリントン政権時代の 1998年にラムズフェルドは、連邦議会の嘱託による超党派の「弾道ミサイル脅威評価委員会」(ラムズフェルド委員会とも呼ばれる)で委員長を務め、北朝鮮やイラン、イラク(いわゆるの悪の枢軸国)の弾道ミサイルの脅威増大を警告する報告書を発表し、米国本土ミサイル防衛(NMD)構想の必要を訴えました。
イランイラン戦争時に、サダム・フセインは、イランとの国境付近に住むクルド人を毒ガスによって大量虐殺(ハラブジャ事件)していました。
イラン、イラク戦争では越境してきたイスラエル空軍によって、原子炉が破壊されています。2ヵ所あった核燃料施設も、湾岸戦争後ジョージ・W・ブッシュによって破壊されました。
しかし、クリントン時代になってもフセインは大量破壊兵器保持をほのめかして、国連による査察を妨害していたため(イラク武装解除問題)、イラクが本当に大量破壊兵器を持っていないか、確信が持てない状態でした。
政権交代したばかりのジョージ・W・ブッシュにとって、アルカイダの脅威は、サダム・フセインに比べるとハエみたいなものだったのでしょう。
ある日、アルカイダとの連絡係をしている領事館の男が、アタやミダルの居る隠れ家を訪ねると、すでに引き払ってしまった後でした。サウジアラビア大使は、CIAのテネット長官に、「大切な話がある」と電話しました。
エピソード9 ”火曜日”
題名の”火曜日”とは、2001年9月11日火曜日のことです。ついに、9.11アメリカ同時多発テロが実行されてしまいました。
冒頭でCIAのダイアンは元局長のシュミットに、ハズミとミダルが行方をくらましたと伝えました。サウジアラビア大使の電話は、このことだったみたいです。
アネックス支局に戻ったダイアンは、アタとミダル、ハズミ3人の情報を別のファイルにして、壁に貼り付けた会ったテロ対策ボードから外しました。どうやらこの3人は、居なかったことにしたいみたいです。
2004年に行われた9.11当時多発テロ合同調査委員会の聴聞会でCIAのテネット長官が、200年1月15にちにアメリカと戦っているテロリストの一人ミダルが、アメリカに潜入したとの報告を受けたにもかかわらず、FBIに伝えなかったことの責任を問われていました。テネットはその報告は誰も読まなかったので、報告できなかったと、言い訳しています。こちらも3人のうちミダルは、はじめから誰も注意を払っていないことに、していました。
実際にはCIAの53人が、読んでいました。CIAに連絡係として出向していたFBIの ヴィンス・ステュアートがこの公電に気が付き本部に知らせようとしたところ、CIAからこのことを外部に漏らしたら反逆罪として控訴すると言われていました。
つぎに議長は、ライス特別補佐官に2001年8月6日のPDB(米国政府の担当部局が毎日作成し、米国大統領に毎朝届けられる最高機密文書)の内容を大統領に伝えたかどうか尋ねました。ライス補佐官が長々と説明を始めたので、議長しそれを遮って”Yes”か”No”だけで答えるように言うと、会場から大きな拍手が起こりました。
答えは”No”でした。大統領に知らせなかったのです。
次に議長は、そのPDBはアメリカ国内での攻撃の可能性について警告していましたが、このPDBの題名を覚えているかと尋ねます。
ライス補佐官が、確か”ビンラディンが米国内での攻撃を決意”と答えると、会場は騒然となりました。それでも、ライス補佐官は大統領に伝えてなかったのです。
「ビンラディンが米国でのテロ実行を決めた」と報告する2001年8月6日の大統領日報の抜粋
出典ウィキペディア
2001年8月13日、アタ、ミダル、ハズミの3人は襲撃予定と同じ飛行機(ボーイング757)に乗り、ロスアンジェルスからラスベガスに飛びました。この機上でアタはトイレットの扉と間違えたふりをして、コックピットの扉を開け、ロックされていないことを確認します。
ラスベガスでは他の機に乗るアルカイダのメンバーも集まり、全員で歓楽の日を過ごしました。
2001年8月15日、フランス人のアルカイダ ”ザカリアス・ムサウィ” が飛行学校から、大型ジェット機のボーイング747(通称ジャンボジェット)の操縦シュミレーションを受けていたが、着陸に興味がなかったため不思議に思った教官によりFBIに通報されました。
FBIは全米の飛行学校に通うアラブ人の生徒800名の名簿を作り、アルカイダと関係があるかどうかCIAのアレックス支局に依頼しました。ダイアンはアルカイダと関係のある生徒98人の名簿の中に、ミダルとハズミの資料も混入してFBIでアルカイダ関係の捜査を担当しているI-29の調査課に渡すようFBIから出向しているトニー・アンに渡しました。この時ダイアンはトニー・アンFBIからCIAに移らないかと、誘いました。
ダイアンの意を汲んだトニー・アンはI-29の中でも新人中の新人、1週間前に赴任してきたテレンス‣ウォルディに98人分の資料を渡し、居所を調べるよう命じました。どうやら捜査を遅らせるつもりがあるようです。
9.11同時多発テロを防げなかった理由 その5
同時多発テロを阻止できた、最後のチャンス。
ザカリアス・ムサウィの逮捕は、9.11テロを伏せくことが出来た最後のチャンスでした。
なぜならCIAのダイアンが FBIに渡した書類の中に、ハイジャック犯のミダルとハズミの資料を紛れ込ませていたからです。この二人はパイロットになるため飛行学校に通っていましたが、英語力が貧弱なため途中で止めてしまいました。
この二人に対して詳しく調べ、飛行学校を退学した後1年以上もアメリカに滞在した理由を尋ねたら、事件を未然に防げたかもしれません。
マンハッタンを眺められ、ブルックリン橋のふもとにある高級レストラン『リバーカフェ』で、FBIを退職することになったオニールの送別会が行われました。オニールは退職後、世界貿易センタービルの保安主任に就くことが決まっていました。
送別会が終わるとスーファンは支局長のサンチェスから、駆逐艦コール爆破事件の再調査のため、イエメンに出張を命じられました。ムサウィの件で本部から爆破事件後のアルカイダの動向を、求められた為です。
イエメンに着いたスーファンは、ボーデン大使の勧めに従い、カミシュ将軍にジャンダルの尋問を助けてくれるよう頼みました。
2001年9月11日火曜日、19人のハイジャッカー達は、アタが用意し、凶器として探知されないよう加工した大型カッターを手荷物に忍び入れ、それぞれの飛行機に搭乗しました。
オニールは、新たに保安主任として就職した世界貿易センターに入っていきます。
各DVDの内容と解説のリンク下に張っておきます。
DVD1枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.1
エピソード1”始まり”
製作スタッフによる、エピソード1の解説
DVD2枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.2
エピソード2”我が宗教の喪失”
エピソード3”犯された過ち”
DVD3枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.3
エピソード4”水銀”
エピソード5”2000年問題”
DVD4枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.4
エピソード6”戦場の少年”
エピソード7 “将軍”
DVD5枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.⒌
エピソード8 “特別な関係”
エピソード9 “火曜日”
DVD6枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.6
エピソード10 “9.11”
スタッフによる最終回の解説