なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

ドラマ『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.2。なぜ、9.11を防げなかったのか。 

time 2021/10/14

ドラマ『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.2。なぜ、9.11を防げなかったのか。 

1998年8月7日、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館がほぼ同時に爆破されました。これを受けて、CIAはテロに対する反撃の計画を練り、FBIはテロを計画した首謀者の特定と、次に起こるであるテロ行為の予防に向かいます。

アイキャチ画像の人物はFBI の対テロセンター ” I-49″作戦部長のジョン・P・オニールの写真です(本人)。

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亀仙人2

倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道 Vol.2 (dvd2枚目)

2枚目のDVDにはエピソード2とエピソード3が入っています。

エピソード2”我が宗教の喪失”

1998年8月7日、ケニアのナイロビでのアメリカ大使館爆破事件のテロ実行者二人のうち一人(ムハンマド・オワリ)は、職員の気を引くため手投げ弾を投げた後、急いで現場を離れましたが爆発の影響を受け背中に大怪我を負ってしまいました。彼はアジトで逃走資金を受け取った後、爆破事件の負傷者を収容している病院に行き、そこで気を失ってしまいます。

病院のベットで気が付いたムハンマド・オワリは急いで病院を離れ、途中で新しく衣服を買い整えて(着ていた服は爆発の影響で、ボロボロになっていました)いずれかへと去って行きました。

ワシントンDC のFBI本部では、FBIのジェイソン・サンチェスが今回の海外米大使館爆破についてCIAのマティン・シュミットと対策を練っていました。そこにFBIニューヨーク支局のオニールがやって来て、この事件はずっとビンラディンを追及してきたニューヨークの担当だと訴えましたが、拒否されてしまいました。

FBIワシントン支局はCIAによって大使館爆破はヒズボラ(レバノンのイスラム教過激派組織)が行ったと見ていましたが、スーファンはこの事件はアルカイダの仕業だと説明しようとしましたが、話を聞いてもらえませんでした。

業を煮やしたオニールはテロ対策担当大統領補佐官リチャード・クラークの所に行き、今回の事件はアルカイダの仕業だと訴えました。根拠は爆破事件の起きた8月7日で、スーファンの説明によると、8年前の1900年8月7日に、湾岸戦争でアメリカ軍がサウジ・アラビアに駐留を開始した日でした。これに対してビン・ラディンは、イスラム教の聖地メッカマディーナのあるサウジ・アラビアに異教徒のアメリカ軍の駐留を認めたサウジ王家を激しく批判し、これがもとでサウジ・アラビアから国外追放され、最終的にタリバンの支配するアフガニスタンに移りました。

ウサマ・ビン・ラーディンがアメリカの敵となった詳しい説明は、こちらに書いておきました。 ↓

なぜ、アメリカの援助を受けていたウサマ・ビンラディンが敵となったのか

スーファンの説明を聞いた家安全保障会議のクラークは、休暇中だったFBI長官ルイス・フリーに電話をかけ、オニールの捜査参加を認めさせました。

オニールは、最初に大使館爆破の犯行声明を載せたアラブ系新聞のあるロンドンにスーファンを派遣し、事情を探らせます。

スーファンはロンドン警視庁のバリー・ジェームズ警視正と共に発行元の新聞社を訪ね、記事の元ネタを聞きました。それで分かったことは、犯行声明はアラビア語で書かれており、場所はあらかじめ空欄になったところに、英語で書き加えて、なんと事件の起きる2日前ににパキスタンからロンドンにあるアラブ人の経営する書店に送られ、そこからある人物の依頼により、事件前日の19時30分に新聞社に送られた事が分かりました。ただ、その人物が誰かまでは、特定できませんでした。

ナイロビに滞在していたFBI捜査官のボビーは、アメリカ本国から送られて来た捜査官と共に、使用された爆弾や車の調査、犯人の追跡などの捜査を開始しました。

FBIのボビー(ロバート・チェズニー)自身もアルカイダの支部がある『ヘルプ・アフリカ・ピープル』の事務所に行きましたが、すでに事務所はもぬけの殻になっていました。

また、彼は瓦礫に埋もれていた負傷者から、爆破の1年前に大使館爆破の予告があり、上司のCIA職員デボラ・フレッチャー通じて本国に報告しましたが、何の対処もなかったとの証言を受けました。

また病院で負傷者たちからの聞き取りで、事件の前日に頬に大きな傷跡のあるアラブ人が、門番に入り口のゲートの開け方を聞いていたことも分かりました。

更に事件の1カ月前に9人のアラブ人がヒルトップホテルの同じ階に宿泊していて、その名簿を手に入れました。その中の一人、アナス・リービーはエジプトのムバラク大統領暗殺の容疑で指名手配を受け、イギリスに亡命を求めてきていました。この当時はマンチェスターに住んでいました。

アブ・アナス・リービー

出典 CNN

FBIはアメリカに亡命したアルカイダの元幹部ジャマル・アル・ファドル(ドラマではジュニアと呼んでいます)に聞いたところ、今回の爆破には義足の男ハラド(本名ハリド・シェイク・モハメド エピソード1で、ナイロビの大使館の周りの写真を撮っていた男)が関与していると伝えました。この男はこの後度々出てくるので、覚えておいてください。

この頃CIAのマーティン・シェミットは上司であるCIA近東部門の責任者レナード・ブリスを訪ね、衛星写真から調べたビンラディンの居そうな場所20カ所の一斉爆撃を提案しました。しかし、これは多くの民間人が巻き添えで死ぬことから、拒否されてしまいます。

次にテロ対策担当大統領補佐官クラークの元に行き、ビンラディン誘拐計画を持ち込みましたが、居場所の分からないビンラディンをどうやって誘拐する、現地人を買収して探らせるにしても、大勢の地元民を買収すれば計画が漏れて失敗するに決まっている、としてこれも拒否されてしまいました。

更にテロ対策会議で直接軍人に話を持ちかけましたが、我々が戦っているのはアルカイダという組織であって、アフガニスタンという国ではない、交戦国でない国を勝手に攻撃することは許されないとして、これも断られてしまいました。

その上、この会議ではFBIのオニールから、1年前にあった大使館爆破予告をなぜ隠していると詰め寄られ、そのようなことは記憶にないと、とぼけてしまいました。

それでも諦めきれないシュミットは、クリントン大統領に直接説得する方法を考えます。

強硬手段を使っても一挙にビンラディンを滅ぼそうとするCIAと、あくまでも犯人を捕らえ、法の下で裁判をして罰しようとする FBIの対立はだんだん激しくなっていきます。

 

エピソード3 “犯された過ち”

エピソード3に移り場面は2004年に行われた、9.11米国同時多発テロ合同調査委員会で、CIAのシュミットが査問されている場面が出てきます。

議長

“アメリカ大使館が爆撃された後、アメリカは2回報復攻撃を行いましたね。”

シュミット

“はい、記録の通り2度の報復攻撃がありました。”

議長

“それについて、いかほどの熟慮がありましたか。”

シュミット

“熟慮とは”

議長

“爆破事件については選択肢が2つありました。

1つは犯罪として扱い、FBIの言う通り犯人を捕らえ、起訴する方法。

もう一つは、戦争状態とみなし、やられたらやり返す方法です。”

シュミット

“意味が分かりません。”

議長

“われわれは後者の軍事力を利用する方法を選びましたが、それについてどれ程考えたかということです。”

シュミット

“ではどんな行為なら、戦争行為とみなしますか。”

議長

“戦争状態なら、標的に何が起こっても構わないと。”

シュミット

“そうです。”

議長

“罪のない人々に対しても。”

シュミット

“過ちは起こる。”

議長

“標的に何が起きても構わないと。たとえ罪のない人でも。”

シュミット

“相手が非アメリカ人なら、何が起こっても構わない。”

議長

“なんと。”

CIAのこの考え方は、第2次世界大戦後アメリカの『国益』にそぐわない国は、強大な軍事力を背景に、威嚇もしくは侵攻することによってアメリカに従わせようという、従来のアメリカの外交姿勢を受け継ぐものです。

しかしこの姿勢は、FBIのクラークが心配している通り、反米感情を産みだし、中東で国家という枠を超え、反米感情を持ったイスラム教徒たちが結束した組織、アルカイダを産みだす結果となったわけです。

『国益』という利益に目がくらんだアメリカは、侵略する相手国の「自由」と「人権」を侵し、果ては「生命」までも奪っていることに鈍感になっているか、または気が付いていませんでした。

アメリカの『国益』にさえ適えていれば、サウジアラビアのように王家による独裁国家で、イスラム教により女性の「自由」と「人権」に制限が加わっていても、お構いなしとなります。

 

これと正反対なのが、イギリスの姿勢です。

アルカイダのメンバーがイギリスに居るとの連絡を受けたオニールは、早速イギリスに渡り旧知のジェームズ警視正と部下のスーファンと共に、アナス・リービーに会うためにマンチェスターの住居に向かいました。

アナス・リービーは逮捕され尋問されましたが、コンピューターメモリを消去した為、具体的な証拠が得られず、釈放されました。

釈放に対して、オニールはジェームズに対して強く抗議しましたが、

「証拠がない限り、この国でも君の国でも逮捕はできない。それをしてしまうと社会が崩壊する。」

として拒否されてしまいました。

 

9.11同時多発テロを防げなかった理由 その2

非アメリカ人に対する、人権と生命の無視

イスラム系の人たちにとって、アメリカの外交政策は気に入らなくても、容疑者は法に則って裁かれると思っていました。

しかし、この後で述べるスーダンの薬品工場や、アルカイダのキャンプ爆撃で無関係な一般人が無くなったことで、アメリカは無法者の集まりと見られるようになってしまいました。

このことがもとで、イスラム過激派は良心の呵責なしにアメリカを攻められるようになります。

 

困ったオニールはCIAに連絡係として出向しているヴィンスに電話して、押収されているマブルクのHDDを手に入れるよう命じました。しかしこの途中でシュミットに見つかり、今度やったら反逆罪で訴えると言われてしまいました。

 

1998年8月20日

アフガニスタンのザワルキリにあるアルカイダのキャンプでは、ザワヒリや義足の男ハラドらが集まって、大使館爆破後のテロ活動の計画を練っていました。メンバーの一人が太平洋上で12機の旅客機を同時に爆破させる案を提出しました。それに対してハラドは太平洋上でなく、アメリカ本土で爆破すれば地上にいる人も被害を受け、より効果が大きいと計画を修正しました。

会議の後、ザワヒリはロンドンに有るイスラム系の新聞社に、衛星電話を使い次の犯行予告の声明を送りました。

CIAは、ザワヒリがロンドンの新聞社に送った衛星電話の信号をキャッチしました。CIAのシュミットはそのキャンプ地にビンラディンがいると判断して、テロ対策担当のクラークと共にCIA長官テニットの元に行き、かねてから毒ガスノVXガスの製造を疑われて、いたスーダンの薬品工場と共に爆撃することを提案しました。

クリントン大統領はこの提案を受け入れ、インド洋と紅海に居るアメリカ海軍にトマホーク巡航ミサイルの発射を命じました(インフィニットリーチ作戦)。

アフガニスタンのザワルキリにあった、アルカイダの訓練キャンプ(衛星写真)。

出典 Wikipedia

爆撃後、クリントン大統領はテレビを使って、大使館爆破に対する報復攻撃を行った声明を発表しました。

後になって、アフガニスタンのキャンプを爆撃した時には、アルカイダの幹部全員が立ち去った後でした。これはザワヒリが通話した衛星電波をキャチしてから、トマホークミサイルの発射を決定するまで5時間、さらに紅海に居た潜水艦USSコロンビアが発射した巡航ミサイルがアルカイダのキャンプに到達するまで2時間かかった為です。

スーダンの薬品工場の爆撃では1人が死亡、11名が負傷し工場が破壊されたことが分かりました。この工場はスーダン全体の約50%近くの薬品を生供給しており、特にこの工場で作っていたマラリアの治療で必要なクロロキンは供給が止まって多数の患者が死亡し、大問題となりました。スーダン政府は爆撃後、現場をそのまま保存してアメリカに調査団の派遣を求めましたが、アメリカはこれを拒否しました。

当時クリントン大統領はモニカ・ルインスキーとの不倫スキャンダルの最中であり、この爆撃は「不倫スキャンダルから目をそらせるために仕組まれた」と非難されました。

「モニカのための戦争に反対」する現地の人々。

ナイロビの現場でチョウサシテイルFBI捜査官ボビーのもとに、ホテルに怪しい男が泊まっている、との情報が入りました。

その男は、大使館爆破の際、現場から逃走していた犯人の一人ムハンマド・オワリでした。

ボビーはオワリを尋問して、組織の電話番号を手に入れました。

 

ミサイルによって爆撃されたアルカイダのキャンプ地では、戦闘員の他その家族も一緒に生活していてそのほとんどが死んでしまいました。しかし爆撃の翌朝、一人の少年が意識を取り戻し、キャンプ地跡から去っていきました。

 

各DVDの内容と解説のリンク下に張っておきます。

DVD1枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.1

エピソード1”始まり”

製作スタッフによる、エピソード1の解説

DVD2枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.2

エピソード2”我が宗教の喪失”

エピソード3”犯された過ち”

DVD3枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.3

エピソード4”水銀”

エピソード5”2000年問題”

DVD4枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.4

エピソード6”戦場の少年”

エピソード7 “将軍”

DVD5枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.⒌

エピソード8 “特別な関係”

エピソード9 “火曜日”

DVD6枚目 『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』Vol.6

エピソード10 “9.11”

スタッフによる最終回の解説

 

このブログを書くにあたって、下の本を参考にしました。

9.11アメリカ同時多発テロで、息子さんの陽一さんを亡くした父親の住山 一貞 が一人で7年の年月をかけて、2001年米国同時多発テロ調査委員会の報告書を翻訳して、9.11から20年たった2021年9月11日に出版されました。

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