なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画「ヒロシマ ナガサキ」アメリカ在住の日系3世、スティーヴン・オカザキ氏の撮った原爆映画です。

time 2017/07/28

映画「ヒロシマ ナガサキ」アメリカ在住の日系3世、スティーヴン・オカザキ氏の撮った原爆映画です。

2007年 アメリカ

監督
スティーヴン・オカザキ

製作
スティーヴン・オカザキ

製作総指揮
シーラ・ネヴィンス
ロバート・リクター

ナレーター
塚田正昭
秋元羊介
坂東尚樹
定岡小百合

音楽
フクダ・ユキ

撮影
川崎尚文

編集
スティーヴン・オカザキ

解説

制作までの経緯

日系3世の映画監督スティーブン・オカザキが、14人の被爆者の証言と、実際に原爆投下に関与した4人のアメリカ人の証言を軸に、原爆の詳しい説明と、その後の出来事を描き出しています。

きっかけは1980年代の初め監督の友人たちが、中沢啓二著作の「はだしのゲン」の英訳に取り組んでいて広島の原爆について興味わ持ったこと、同じころ米国被爆者協会に参加し参加者から「原爆について映画を作って欲しい」と言われ、映画を作ることにしたとのことです。

はじめは、アメリカのスミソニアン協会や、日本のテレビ局がスポンサーになって、原爆投下の50周年目にあたる1995年に映画公開を目指して制作を始めました。

ところが1995年スミソニアン博物館がレストア中のエノラゲイを展示すると同時に、原爆投下50周年を記念して、広島の原爆被害や歴史的背景も一緒に展示する計画を発表しました。1995年1月この計画に対してアメリカ退役軍人会などから強い抗議が出て、原爆に対する展示が中止される事件が起きました。そしてスミソニアン協会や日本のテレビ局が映画の製作から手を引いたため、制作は中止となりました。

この時のことについて、スティーヴン・オカザキ監督はこう述べています。

「その時のことは苦い教訓になりました。テレビ局や政府や大組織によって支配され、真実は語られぬまま、無難な物語にすり替えられるのです。僕は苦い怒りに満たされました。被爆者の映画を作る夢を断たれたのです。」

原爆投下から60周年目の2005年、アメリカの大手ケーブルテレビ局HBOから「ヒロシマとナガサキ」を題材にした映画を作ってくれと連絡を受け、長年温めていたアイデアを伝えたところ「君にまかす」と言われ、この映画が出来上がりました。

あらすじと感想

初めに日本による真珠湾攻撃から、広島への原爆投下までのアメリカの短いニュース映画が流れます。

場面は変わり現在の渋谷。1945年8月6日と9日に何が起きたのか道行く若者にインタビューしても、誰も答えることができませんでした。ドイツでは今でも第2次世界大戦でナチスドイツが何をしたか、学校でしっかり教えているのに日本はこれでいいのかと思います。

この映画は14人の原爆被爆者(その中に「はだしのゲン」の作者 中沢啓二氏もいます)と、原爆投下にかかわった4人のアメリカ人の人たちが、淡々と当時の思い出を語っています。またそれ以外に貴重な写真や映画、実際に原爆に出会った時に描いた絵なども出てきます。

B-29が広島上空に来た時、なぜ皆防空壕に入らなかったか(実際爆心地から数百メートルの距離にいながら、坊空壕にいたため、助かった人もいます)も、当時の人の話で分かりました。

興味を持ったのはアメリカ人4人のうち、実際に広島に飛び爆発の瞬間を機上で体験した3人の話し手でした。今までアメリカ側の話を直接本人から聞く機会がなかったため、大変ためになりました。爆発の瞬間、彼らが実際体験したことを書いてみます。

「機内全体が眩しく真っ白な光で満たされたよ。そして機体が激しく揺れた。」

「きのこ雲がどんどん大きくなって観測機が大きく揺れた。そして地上が土煙で覆われていくのが見えたよ。」

「全員が、もう、茫然としてた。まさかあれほど強力な爆弾だとはね」

ヒロシマへの原爆投下を題材にした映画はこちらをご覧ください。↓

映画 『決戦攻撃命令』ヒロシマに原爆を落としたエノラゲイ号機長のお話

映画で広島と長崎の被爆直後の写真や映像、当時を思い出して描いた絵などが流されますが、その後被爆者として生きていくことの長い苦しみが語られます。

「私たちはせっかく生き残ったのに、人間らしく生きることも、人間らしく死ぬこともできませんでした」

「原爆が落とされてから長い間、国は何もしてくれなかった。(「原子爆弾被爆者の医療に関する法律(原爆医療法)」ができたのは原爆投下から12年後の1957年でした)その間に、ご両親が原爆で殺されて、家が焼かれて食べ物がなく自殺した子供がたくさんいたんですよ」

映画の最後に「はだしのゲン」の作者中沢啓二はこう言っています。

「憲法九条ができて陸軍も、海軍も、空軍も持たない。兵器は一切作らない。僕はこれは最高にいい憲法をもらったんだと、これはどんなことがあろうと、守らなくちゃいけない」

また当時原子爆弾にかかわったアメリカ人たちは、こう言っています。

「我々はパンドラの箱を開けた。そして箱の中身は飛び出し、もう元には戻らない。つまり世界はこれから核戦争の可能性と共に生きていくしかない、ということだよ」

「その気になったら、知識と金さえあればだれでも作るだろうね。核兵器を欲しいと思う国が持つことは、間違いない」

「あれよ、あれよという間に起こりえる核戦争の危険を、私は現実的なものとして、考えているけどね」

「何人か集まると必ずバカが居てこう言う、イラクに原爆を落としゃいいんだ。核兵器は何なのかまるでわかっちゃいない。わかっていたら言えないことだ」

これらの発言を聞くと、原爆を落とされた日本よりアメリカの方が次に核戦争の起きる危険を大きく感じているのがわかる。今の日本はあまりにも核に対して、無防備すぎるのではないか。嫌なことは、考えたくも、見たくも、思いたくないのも分かるが、このままでは、原爆で死んだ多くの人々の死が、無駄になってしまう気がします。

このように言うと「軍備を拡張して核戦争に備えよ」と取る人がいると思いますが、核兵器を使わないようにするにはどうすべきかを考え、広く世界に知らせることが大切だと思います。

多くの被爆者たちの証言から、怒りや憎しみなどの部分を取り除き、事実だけを淡々と語るように編集するには大変な苦労があったのでしょう。

日本への原爆投下の解説はこちらをどうぞ ↓

日本に原爆投下するまでの経緯 ヒロシマ・ナガサキ原爆投下

原爆で被爆した人本人の経験談は聞く機会が多いのですが、この映画では実際に原爆を開発した研究員、原爆を投下した「エノラゲイ号」の搭乗員の話が本人から直接聞けます。この点でも貴重な資料と言えます。

 

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