なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

ヒロシマに原爆を落としたエノラゲイ号機長のお話 映画 決戦攻撃命令

time 2017/07/25

ヒロシマに原爆を落としたエノラゲイ号機長のお話 映画 決戦攻撃命令

「映画」 決戦攻撃命令

1952年 アメリカ

キミがそのブザーを押せば、戦争は終わり50万人のアメリカ人と敵の命も救われる。だがブザーを押すことで10万人以上の命が奪われる。

監督:メルヴィン・フランク  ノーマン・パナマ

製作:メルヴィン・フランク  ノーマン・パナマ

原作:バーン・レイ・Jr
脚本: メルヴィン・フランク  ノーマン・パナマ  バーン・レイ・Jr
撮影: レイ・ジューン
音楽: ヒューゴ・フリードホーファー

出演:

ロバート・テイラー
エリノア・パーカー
ジェームズ・ホイットモア
ジム・バッカス

解説とあらすじ

第2次世界大戦終盤の日本に対する原子爆弾投下の映画です。

日本への原爆投下作戦(シルバープレート プロジェクト)の司令官で広島へ原爆を落としたB-29・エノラ・ゲイ号のパイロット、ポール・ティベッツ陸軍大佐(当初は中佐)が主人公です。計画の初めから原爆投下までの経緯が史実に沿って克明に描かれている。私たちが思っているよりもずっと大変な苦労を重ねて、原爆投下に成功したことがわかります。

また、主人公のティベッツ大佐はもちろん、彼の家族も大きな犠牲を強いられました。

映画は、原爆投下の大任を果たしたティベッツ大佐の妻ルーシーが空港で、夫の凱旋帰国を待つところから始まる。

その2年前、北アフリカで爆撃の任務に就いていたティベッツ中佐は、新型機B-29のテストパイロットを探しに来ていたブレント将軍によってスカウトされ、アメリカに向かった。途中ワシントンの空港で乗り継ぎの30分間妻ルーシーと会い、次の任務地カンサス州のウィチタに向かった。当時、ウィチタにあるボーイング社の工場では最新鋭の爆撃機B-29の量産に備え、試験飛行が繰り返し行われていた。

もう一人の主役、B-29

ボーイングB-29「スーパーフォートレス」

写真は広島市に原爆を投下したB-29エノラ・ゲイ

全長:30.2 m
全幅:43.1 m
全高:8.5 m
翼面積:151 m2
自重:32.4 t
全備重量:62.0 t
最大離陸重量:64.0 t
エンジン:ライト R-3350-23 エンジン 2,200馬力 4基
最大速度:576 km/h
巡航速度:350 km/h
航続距離:6,600 km(爆弾7,250 kg搭載時)
実用上昇限度:9,720 m
最大爆弾搭載量:9 t
武装:12.7 mm AN/M2機銃 12門、20 mm 機関砲 1門
乗員:10名

高度1万メートルの飛行に耐えられるよう、エンジンには2基の排気タービンが装備され、室内は与圧されていた。

B-29の泣き所はエンジンで、星型エンジンを2つ重ねたため後部のシリンダーがオーバーヒートをおこし、それが軽量化のため使用されたマグネシウム合金の部品に着火し、度々火災を起こした。

試作第1号機が飛んだのは1940年6月27日で、これは日本が真珠湾を攻撃する1年半前でした。

ルーシーは、一度ウィチタを訪ねたが、その時ティベッツはエンジントラブルを起こした機体で着陸を試み、事故を起こしたしまった。いたたまれなくなったルーシーは、しばらくウィチタを訪れることはなかった。

試験飛行が終わりB-29が量産体制に入ると、ティベッツはやっと家庭でくつろいだ時を過ごすことができた。一週間家族で山荘に行こうと準備しているとき電話が鳴り、コロラドスプリングの司令部に出頭するよう命じられた。

司令部で待っていたのは。ティベッツをアフリカから連れてきたブレント将軍でした。将軍はティベッツにブザーを鳴らすためのボタンを渡した。

「キミがそのブザーを押せば、戦争は終わり50万人のアメリカ人と敵の命も救われる。だがブザーを押すことで10万人以上の命が奪われる。どうするかはよく考えて決めろ。ただ、一度押したら元には戻れない。」

ティベッツはしばらく考えて、ブザーのボタンを押した。

部屋に入ってきたのは海軍のパーソンズ艦隊参謀と、ロスアラモスから来た4人の科学者であった。彼らから受けた説明は、陸・海・空の三軍から優れた隊員を選び、日本に対して史上初となる原爆を投下する部隊の隊長になることでした。

部屋から出たティベッツは「なんてこった」とつぶやき妻に二か月は家に帰れないと電話した。

広島・長崎への原爆投下の詳しい説明はこちらをご覧ください。↓

日本に原爆投下するまでの経緯 ヒロシマ・ナガサキ原爆投下

原子爆弾の開発と製造までの説明はこちらをどうぞ ↓

アメリカの原子爆弾開発プロジェクト 「マンハッタン計画」

ティベッツはユタ州のウエンデバー基地に乗組員を集め日々過酷な訓練に明け暮れた。その一方、作戦の機密を守ることや、必要な機材の調達、科学者たちとの連絡など多忙を極め、妻ルーシーへの手紙や電話のやり取りも途絶えがちであった。

機密保持担当のウアナ少佐は、部隊の秘密を守るため隊員の家族をウエンデバー基地むに集めるよう提案した。ティベッツはその提案を受け入れ、自分も妻の手料理を食べられると喜んだが、ウアナ少佐はルーシーを呼び寄せることに反対した。理由は、今のティベッツの考え方とルーシーはそりが合わず、やがていがみ合い、作戦の実行に支障をきたす恐れがあるためでした。

二人目の子供を一人で産んだルーシーは、寂しさに耐えきれず、一緒に住むもうとしてウエンデバー基地に押し掛けてきた。しかしそこで見たものは、作戦を成功させるため、ほかの人に嫌われようが、どう思われるか気にしないで強引に自分の意志を押し通す、わがままな夫の姿であった。はじめは我慢していたルーシーだったが、やがて二人は言い争うようになり、ルーシーは別居するため子供を連れてワシントンに戻っていった。ウアナ少佐の予言は、当たってしまった。

作戦は実行段階に入り、部隊はユタ州のウエンデバー基地から太平洋に浮かぶテニアン島のノースフィールド基地に移動した。

出撃直前、ティベッツは心の不安を母親エノラ・ゲイ・ティベッツツあての手紙に綴った。書き終わって外に出たティベッツは整備員に搭乗する機体の名前をどうするか聞かれ、「エノラ・ゲイ」と答えた。

広島に原爆を投下し、激しい閃光ののち焦土と化したヒロシマを見つめるエノラ・ゲイの搭乗員たちは重苦しい雰囲気にに包まれた。

基地に戻り取材のために来た記者たちに取り囲まれたティベッツは、すべての質問にただ「ノーコメント」だけ答えた。

ワシントンで夫が広島への原爆投下に成功したニュースを聞いたルーシーは、ラジオの前で泣き崩れるのであった。

映画を観た感想です

アメリカ政府が、原爆投下後25年間は被害の様子を写した写真や映画の公開を禁止したため、爆撃後の広島の惨状を詳しく伝えていないのは気になったが、原爆を投下したティベッツ大佐を英雄扱いせず淡々と描いている点は好感が持てます。

広島にどのようにして原爆が投下されたか知るには、良い映画だと思います。

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