なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 「華氏911」なぜイラク戦争が起こったのか? その訳をマイケルムーア監督が暴きます。

time 2017/10/25

映画 「華氏911」なぜイラク戦争が起こったのか? その訳をマイケルムーア監督が暴きます。

 

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亀仙人2

映画 華氏911

2004年  アメリカ

この映画は、マイケルムーア監督自身が言っているように「2004年の大統領選挙で、ブッシュ再選を阻止しようとする政治的宣伝映画」です。何故そんなことをしたかというと、持ってもいない大量破壊兵器を言いがかりに、イラクを攻撃して、敵味方ともに多くの死者を出し続けているためです。9.11からイラク戦争までのアメリカを知るには、格好の映画です。

監督
マイケル・ムーア

脚本
マイケル・ムーア

製作
マイケル・ムーア
ジム・チャルネッキ
キャサリン・グリン

出演者
マイケル・ムーア
ジョージ・W・ブッシュ

あらすじと感想

この映画がブッシュ大統領の再選を阻止するために作られたことは、映画評論家の町山智浩さんが、マイケル・ムーア監督の合同インタビューに出席した時の記事
「2004-07-06 「華氏911」マイケル・ムーア自身がすべての疑問に答えました」

に載っています。上の青い文字をクリックしてください。

映画の前半は9.11からイラク戦争至るまでの経過をいろいろな映像を集めて、映しています。この部分でブッシュ大統領は、テロに対する戦争はどうでもよく、イラクに軍隊を派遣してサダム・フセインを倒すのが主目的であることを表しています。イラク戦争までの経過を順番に見てみます。

 

2000年アメリカ大統領選挙

2000年の大統領選挙は民主党のアルバート・ゴア副大統領と共和党のジュージ・W・ブッシュ・テキサス州知事都の戦いであった。

接戦のため集計が遅れたフロリダ州を残した時点の大統領選挙人の獲得数は、ゴア氏267名、ブッシュ氏246名でフロリダ州の選挙人25名を獲得した方が大統領に当選する。

フロリダ州州務局は選挙の翌日、ブッシュが290万9135票、ゴアが290万7351票、両者の差が1784票との集計結果を発表した。この票差が投票数の0.5%未満であったため州法により機械での数え直しが行われた。

フロリダ州パームビーチ郡で用いられたバタフライ方式投票用紙

真ん中の部分に針を刺して、下に置かれたパンチカードに穴をあける仕組みになっています。

1番上がジョージ・W・ブッシュ、3番目がアル・ゴアです。

出典ウィキペディア

ゴア陣営では、州法に定める抗議申し立て手続きで、パームビーチ郡、ヴォルシア郡、ブロワード郡、マイアミ=デイド郡での手作業再集計を求めた。民主党員の多いこれらの郡で有効票が増えれば、ゴア陣営側に有利になると見られていた。

これに対してブッシュ側は、手作業再集計の中止を求める訴訟を連邦地区裁判所に対して起こした。

なお州法では投票後七日以内に州務長官が公式決定をはっびうする規定があったが、ゴア陣営は手作業では集計が間に合わないと州裁判所にていそし、集計結果提出期限を26日に延長する判決を出した。しかし、マイアミ=デイド郡では手作業では26日までに間に合わないとして集計を中止してしまう。

26日、ハリス州務長官はブッシュ291万2790票。ゴア291万2253票、票差537票でブッシュの勝利を公式認定した。

これに対して、ゴア側は州裁判所に提訴し、12月7日フロリダ州最高裁は4対3で、州全体の手作業による数え直しを命じた。

ブッシュ陣営はこの決定を不服とし、翌8日連邦最高裁にこの決定の差し止め請求を行い、12月9日連邦最高裁は5対4で差し止めを承認した。

連邦法の定める選挙人確定期日である12月12日、連邦最高裁は再集計を禁じる判決を下し、ブッシュ勝利とする11月26日の州務長官による公式認定を確定させた。翌13日、ゴアは最高裁判決に同意できないが従うと宣言し、これによって争訟は決着をみた。

なお有権者による得票数では、ブッシュ側50.456.002票、ゴア側50.999.807票で、543.807票ゴア側が上まっている。

翌2001年1月6日の合衆国上下両院の合同会議にて、数名の下院議員(主に黒人)により結果認定への意義が上がったが、いずれも議事手続き規定する1名以上の上院議員(全員白人)による賛同の署名を得られず、却下されている。

・アメリカ同時多発テロ直後、大勢のアラブ人が出国

アメリカ同時多発テロの当日、複数の航空機がハイジャックされテロに使用されたため、連邦航空局はアメリカ国内の民間航空路の封鎖、アメリカ領空内への民間機の入域・通過が禁止し、領空内を飛行中の民間機は全て最寄の空港に強制的に着陸させた。

これらの措置は数日間続いた上、この措置が行われた地域はアメリカ本土のみならず、アメリカが航空管制を担当しているサイパンやパラオなどの太平洋諸国の一部地域や、北大西洋の一部地域など広範囲に及んだ。

さらにテロの後、飛行機の利用が控えられたため、テロの標的となったユナイテッド航空だけでなく、標的にならなかったノースウエスト航空、デルタ航空も、連邦倒産法第11章の適用を申請し経営破綻した。また、サベナ航空やスイス航空など、アメリカ以外の航空会社も多くが赤字に転落したうえ経営破綻し、そのうちのいくつかは姿を消した。

このような規制が敷かれているのも関わらず、政府の上層部は9月13日以降、オサマ・ビンラディン一族の24人を含むサウジアラビア人142名が航空機で国外に出国するのを許可している。

普通、警察が殺人犯を追う時、容疑者の家族を何の取り調べもせずに逃がすだろうか?

FBIを引退したジャック・クルーナンは9.11以前、CIAとの合同アルカイダ対策班で上級捜査官でした。その彼が、
「捜査官としては出国させたくない人々だった。ビン・ラディン一族にはは召喚状を出して事情を聴くべきだった」
と憤っています。

なぜこのようなことが出来たのか。「華氏911」では、ビンラディン一族とブッシュ家が経済的に大きく繋がっていたことを、いろいろな例を挙げています。なんとビンラディン一族は、ブッシュ家に対して14億ドル投資しているのだ。ちなみにアメリカ国民が支払っている大統領の給料は40万ドル。

ビンラディン一族は軍事会社カーライルの大株主であり、ブッシュ父子は同社の役員をしていました。カーライル・グループ傘下にはブラッドレー歩兵戦闘車を作っているユナイテッド・ディフェンス社があり、アメリカが戦争をすれば両家に大きなお金が入ることになっています。

ブラッドレー歩兵戦闘車

出典ウィキペディア

9.11が発生し、ブッシュ大統領はビンラディン一族との関係がばれることを恐れいろいろ妨害を始めます。

まず議会の調査をやめさせようとしたが、これに失敗すると事件の独立調査委員会の設置を妨害した。議会が作成した調査報告書もブッシュ政権は28ページにわたって検閲し、調査に必要な資料も出し渋りました。

おかげで、9.11に対して政府が何か隠しているとの憶測を生み、いろいろな陰謀説が出ることになりました。

・アフガニスタン侵攻

「オサマ・ビンラディンをリーダーとするアルカイダを9.11の犯人として断定し、オサマ・ビンラディンを匿っているアフガニスタンのタリバン政権に引き渡しを求めたが、拒否されたのでアフガニスタンに侵攻した。」

というのがアフガン侵攻の表向きの理由だが、華氏911では別の見方を示している。

ブッシュ大統領のテロ対策担当リチャード・クラーク元特別補佐官は、テレビの取材でアメリカ同時多発テロの翌日の9月12日、アルカイダ対策で大統領たちと何を話したのか告白する。

「9.11にイラクがかかわっている証拠を持ってこい」

そう大統領に言われたクラークはきょとんとして聞き返した。

「イラクは関係ないですよ。テロリストはサウジ人だし、首謀者のオサマ・ビンラディンはアフガンにいるし」

するとラムズフェルドは答えた。

「アフガンはいい標的がない。イラクを爆撃しよう」

私(クラーク)は

「イラクは関係ない」

と反対したが無駄でした。

ラムズフェルド国防長官は ”アフガンにはいい標的がない” と言っていましたが、チェイニー副大統領には格好の標的がありました。それはタリバン政権でした。

1997年、ブッシュがテキサス州知事だったころタリバンの代表者が来て、石油会社のユノカル社と協議していました。当時ユノカル社はソ連のカスピ海沿岸でとれる天然ガスを、アフガニスタンを通ってアラビア海に運ぶパイプラインの建設を計画していました。この建設を受け持ったのが、チェイニー率いるハリバートン社でした。ユノカル社には、後にアフガニスタンの大統領となるハーミド・カルザイ氏が取締役、ブッシュ大統領が指名しアフガニスタン特使となったザルメイ・ハリルザド氏がコンサルタントを務めていた。

しかし、この計画はタリバンとの合意が出来ず頓挫していまいました。

 

パイプラインのルート(想定図)

出典 毎日新聞2002年5月31日

そういう訳で、9.11アメリカ同時多発テロに対する報復との名目で約1か月後の10月7日に空爆を開始し、11月13日には首都カブールを制圧した。アフガニスタン侵攻は終了し、新大統領にはハミド・カルザイが据えられた。こうしてアフガニスタンは無事パイプラインを建設し始め、隣国と天然ガスを運ぶ契約書に署名出来ました。

??? オサマ・ビンラディンとアルカイダはどうなった。彼はタリバンと一緒にどこかに逃げたみたいだ。ブッシュ大統領曰く

「オサマは重要ではない。彼はもうどこか隅に追いやられている。居所は知らない。正直言って彼にはあまり時間を割いてないんだ」

これでブッシュ大統領は、相変わらずサウジアラビアとビンラディン一族からお金が入るし、チェイニー副大統領とカルザイ大統領は儲かって、めでたし、めでたし。

しかし、これではアメリカ国民が黙っていない。でも、大丈夫。ブッシュ政権はすでに手を打ってあります。

・愛国者法

2000年の上院議員選挙で当選し、2000年末にブッシュ大統領から司法長官に任命されたジョン・アシュクロフトが居ます。

9.11の起こる前の夏に、FBI対テロ対策本部長のピッカードFBI長官代理が「CIAがテロ攻撃を懸念している」との報告をしたが、アシュクロフト司法長官は「テロの脅威の話はもう結構だ」として断った。この時アルカイダが国内に潜入し、工作員が航空学校に通っていることをFBIはすでに掴んでいた。

実際に9.11アメリカ同時多発テロが起こると、アシュクロフト司法長官は名案を思い付いた。

9.11の後、政府はことさらにテロの恐怖を国民に植え付けた。どこにいても、いつ何時、テロに襲われるかもしれない恐怖に、国民は政府に対策を求めた。

これを受けジョン・アシュクロフト米司法長官は、テロ攻撃の阻止が政府の「最優先事項」であり、化学、生物、放射性物質、核などの脅威に対する防護策を政府として増強していきたいと語った。

アシュクロフト司法長官は、アメリカ司法次官のベト・D・ディンと後の国土安全保障省長官、マイケル・チャートフに草案をまとめさせた。この草案は2001年10月22日夜印刷され、翌23日共和党のジェームズ・F・センセンブレナー下院議員によって提出され、議会を通過した。10月25日にはアメリカ合衆国上院も通過した。

2001年10月26日、ブッシュ大統領はこの法案に署名し、「米国愛国者法」として発効しました。

「愛国者法」とは

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件後45日間で成立し、米国内外のテロリズムと戦うことを目的として政府当局に対して権限を大幅に拡大させた法律である。この法律において電話やEメール、医療情報、金融情報や他の記録について当局に対し調査する権限を拡大し、アメリカ合衆国国内において外国人に対する情報収集の制限に対する権限を緩和し、財務省に対し金融資産の移転、とりわけ外国人や外国法人について規制する権限を強化し、テロに関係する行為をとったと疑われるものに対し司法当局や入国管理局に対し入国者を留置・追放する権限を高めることを規定している。さらに、「テロリズム」の定義を拡大し「国内テロ」をも含め、その結果本法は司法当局の拡大された権限を行使する場面が飛躍的に拡大している。(出典ウィキペディア)

はじめのうち、市民はテロと戦うためなら自由を制限されても仕方ないと思っていました。しかし、大変なことに気が付きました。「華氏911」は映画の中でこういう例を挙げています。

サンフランシスコの対岸、メリット湖畔で1人の老人が実際に起きたことを話しています。

彼の名はバリー、オークランドの元電話作業員。心臓強化と筋トレのためジム通いをしている。ある日、練習の後皆で9.11やテロのことを話した。誰かが、「ビンラディンは大勢殺して、ひどい悪党だ」といったので私も同意したが「もっとひどいのは、石油の利権のために他国を空爆するブッシュだ。」と言ったのだ。

そののち、昼寝しているとFBIの捜査官が家にきて、「9.11について話したか」、更に「ビンラディン、石油の利権やアフガンついても話したか」とも聞かれた。

「つまり政府の悪口を言うと、誰かが密告してFBIが家にやってくる。」ということだ。

誰もFBIが家にやって来て、いろいろ聞かれたくはない。こうして政府に対する批判は、影を潜めてしまった。

政府に対する反対意見の封じ込めに成功したブッシュ大統領は、かねてからやりたいことが出来るようになりました。イラク戦争です。

・イラク戦争

2003年3月ブッシュ大統領は、
・イラクが大量破壊兵器を隠し持っており、世界の安全を脅かしている
・アルカイダをはじめテロ組織を支援している。
・イラクの一般市民をサダム・フセインの圧政から解放し、民主的な国に変える。

などの理由で2003年3月17日先制攻撃となる空爆を行い、3月19日アメリカ合衆国は、イギリス、オーストラリアなど数カ国が加わる有志連合の国々と共に「イラクの自由作戦」と名付けた作戦により、イラクに侵攻した。

「華氏911」では空爆前のバグダッドで平和に暮らす一般市民や、遊んでいる子供たちを映している。その背景に、アメリカがイラクに空爆を開始したナレーションが流れます。

広い戦場ではなく、普通の市民が住むバグダット市内への空爆は多くの市民を巻き添えにしました。

アメリカ政府の発表した「人道的配慮のなされた攻撃」で被害を受けた子供たちの様子が出てきます。このような画像は、当時のテレビニュースなどで流されることは無く、普通の人々は知りませんでした。

何故テレビニュースに流れなかったかというと、ベトナム戦争で反戦的な画像が流され、政府に対する反感が強まったことと同じ状態になることを避けた為です。そのために政府は「埋め込み取材」という方法を取りました。取材するカメラマンや記者を、部隊の中に埋め込んで一緒に行動させることです。部隊を離れて取材しても構いませんが、その時は命の保証はしません。骨のない腰抜け記者達は独自に取材することをやめ、アメリカ軍と一緒に行動し、アメリカとっての都合の良いニュースだけが流れることとなりました。

マイケル・ムーアはこれに反発して、犠牲者となったたイラク市民やアメリカ兵の場面を流しました。おかげでテレビでは見られないシーンが見られるとして、大勢の人が彼の映画を見に来てくれました。

ブッシュ大統領が空母で作戦終了を宣言したにもかかわらず、イラク人のアメリカ軍への反発は強く、軍隊の増員を迫られることになりました。

しかし、どこから兵士を連れてくる?

マイケル・ムーア監督は、自分の故郷ミシガン州フリントに行き、海兵隊の募集官と行動を共にします。この町は経済不況のあおりを受け、若者の失業率は実質50%になります。募集官は町をうろついている若者たちに、片っ端から声をかけていきます。そう、募集の応じるのはこういった貧乏人の若者たちです。

フリントの町の職業訓練センターで職業斡旋担当の秘書を務めるライラさんは
「大学に行くにも学費が出せない、奨学金も当てにできない若者にとって軍隊は学費も出してもらえるし、世界を見て回れる最高の選択です。」
と言います。実際、彼女の息子も軍隊に入りました。

次にマイケル・ムーア監督は、首都ワシントンにある陸軍病院を訪れます。

ブッシュ大統領は大勢の兵士を前線に送る傍ら、兵士の戦闘手当の33%の減額、家族への支援金の60%の減額を提案している。さらに退役軍人への医療給付10億ドルの増額に反対し、退役軍人病院の閉鎖を支持し、薬代も今の2倍取ろうとし、予備役の福利厚生の完全給付に反対している。政府は口とは裏腹に退役軍人を見捨てているのだ。

戦傷者の映像も、テレビでは放映されていない。両足を失った患者は、

「見捨てられているとは思わないけど、放っておかれている感じはする。放っておかれている兵士は大勢いるよ。無視されて、まともな治療も受けられないままにね。」

「負傷兵の数や、怪我の実態を知られたくないから、公表してないんだよ。」

と訴えました。

フリントの職業訓練所に勤めるライラさんの元へ、息子のペダーセン軍曹が戦死したとの知らせが届いた。遺族に渡された給与は最後の5日分が削られていた。戦死したからだ。

戦争のさなか、かってチェイニー副大統領が経営者を務めていたハリバートン社は傘下の企業を集めて「イラク復興会議」を開いた。ここで米国イラク商工会議所のS・クッバ博士はこう言っています。

「イラクと米国、両方の企業から苦情が出ている。透明性の欠如に汚職等でね。アメリカの大企業がこの復興事業で得る利益は莫大なものになる。一つの業務が100万ドルとすると、下請けに出す額は大体5~7万ドルだ。莫大な利益だが払うのはアメリカの納税者だ。」
ハリバートン社は入札なしで、イラクの復興事業に参加しました。

また日刊SPAは、ウェブページでジャーナリストの志葉玲氏の話としてこう書いています。

「共和党は湾岸戦争以降、強力に戦争への民間会社の参入を推し進めてきました。イラク戦争開戦当時、ブッシュ政権の副大統領を務めていたディック・チェイニーは、以前にハリバートン社という石油関連企業のCEOの座にありました。ハリバートンの子会社のKBR社は競争なしの契約で、海外に展開する米軍兵士向けの住居・食事・水・風呂サービスなどの事業を受注。10年間で、395億ドル(約4兆円)も荒稼ぎしました。イラク戦争直前と比較して、米軍のイラク撤退’11年末までにハリバートンの株価も最大で6倍近くまで跳ね上がりました」(出典  日刊SPA)

ブッシュ大統領は演説でこう言います。

「彼らは自由を守るために命をささげた。彼らの死を無駄にはしない」

イラク戦争開始の根拠として、“イラクが大量破壊兵器を保有している可能性があること”、および“国連の無条件査察を受け入れなかったこと”が挙げられている。なお、戦闘終結後、アメリカなどから派遣されたイラク調査団が大量破壊兵器の捜索をおこなったが発見されず、調査団団長チャールズ・デュエルファーは2004年10月6日の米議会上院軍事委員会の公聴会において、「開戦時イラクに大量破壊兵器は存在しなかった」などとする最終報告書(デュエルファー・リポート)を提出した。(出典ウィキペディア)

 

1961年1月 アイゼンハワー大統領は辞任演説で「軍産複合体」の危険について警告しています。

 You Tubeより

演説の内容はこちらにあります。

 

9.11アメリカ同時多発テロの解説はこちら ↓

なぜ戦争が起きたのか。「9.11」 から「イスラム国」まで その1 アメリカ同時多発テロ

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