なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

なぜ戦争が起きたのか。「9.11」 から「イスラム国」まで その1 アメリカ同時多発テロ

time 2017/10/01

なぜ戦争が起きたのか。「9.11」 から「イスラム国」まで その1 アメリカ同時多発テロ

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亀仙人2

9.11 アメリカ同時多発テロ

映画で知ろう 9.11 アメリカ同時多発テロ事件

9.11 アメリカ同時多発テロ

21世紀に入ったばかりの2001年9月11日アメリカで4機の旅客機がハイジャックされ、その内2機の航空機がニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込み、1機が国防省のペンタゴンに衝突した。残り1機はワシントンに向かう途中、乗客の力でペンシルバニア州ピッツバーグ郊外に墜落しました。

このテロの被害者は、死者3025人負傷者6291人以上(引用ウィキペディア)になります。

この事件を捜査したアメリカ合衆国は、オサマ・ビンラディンをリーダーとする「アルカイダ」によって行われたと断定した。

アルカイダ

1979年ソビエト軍がアフガニスタンに侵攻すると、サウジアラビアは、アフガニスタンでソビエトのアフガン侵攻に抵抗しているイスラム教徒を支援することを決め、国内で最大の勢力を持つラディン家の力を借りることにした。オサマ・ビンラディンはこの要請を受け、駐アフガニスタン・サウジ王国公式代表として各地から集まったムジャヒディン(イスラム義勇兵)と共にアメリカCIAから武器の援助や、パキスタン陸軍の訓練を受け、またオサマ・ビンラディンの個人資産でエジプトやスーダンなどからムジャヒディンを募集してパキスタン北部の軍事キャンプに送り込んだ。

CIAから供給された強力な武器と、正式な軍事訓練を受けたムジャヒディンはアフガニスタンの対ソ戦で活躍して、ソビエトのアフガン撤兵の一因となった。

1988年8月、オサマ・ビンラディンはムジャヒディンの中で活動の場をアフガニスタン優先とする一派と別れ、新たにアルカイダを組織した。

1989年、ソビエトがアフガニスタンから撤退すると、ムジャヒディン同士が内戦を起こし、1994年パキスタン軍の支援を受けたイスラム原理主義のタリバンが国土の大半を支配してタリバン政権を樹立した。もともと熱心なイスラム教徒であったオサマ・ビンラディンとアルカイダはタリバン政権に加わり、タリバン国内に軍事訓練キャンプを設置した。

その後、アルカイダは1998年タンザニアとケニアのアメリカ大使館を爆破したり、200年8月にはアメリカ海軍のミサイル駆逐艦「コール」に対する自爆攻撃など、アメリカに対するテロ活動を行った。

アメリカはタリバンに対して、オサマ・ビンラディンの身柄引き渡しを求めたが、タリバン政権はその都度拒否している。

オサマ・ビンラディンを、対アメリカのテロ活動に駆り立てた原因としては次のように考えられる。

  1. イスラム教の聖地エルサレムがあるパレスチナの地にユダヤ教徒が入り込み、パレスチナ人を追い出してイスラエルを建国し、アメリカがそれを支援していること。
  2. 中東の原油をめぐってアメリカの大手石油メジャーが進出し、利権のほどんどを握ってしまったこと。
  3. イスラム教にとって、アメリカは金銭と快楽を追求する文化を広めようとしていること
  4. 1990年~1991年にかけての湾岸戦争で、イスラム教の聖地メッカとメディナがあるサウジアラビアに異教徒であるアメリカが軍事基地を作ったこと。

などがあげられます。

 

その後、アメリカは報復として、アフガニスタン紛争、イラク戦争を行ったがテロ集団を僕滅できず、かえってイスラム国などのテロ集団が全世界で活躍することとなってしまった。

9.11で崩壊したタワー1で生き埋めになった2人の警察官の話はこちら ↓

映画 『ワールド・トレード・センター』ビルの崩壊の時、4人の警察官が生き埋めになりました。

9.11アメリカ同時多発テロに出動した消防署員の話はこちら ↓

映画「9.11 NY 同時多発テロ衝撃の真実」新人消防士を撮っていたカメラマンは、飛行機がビルに衝突するのを見ました。

炎上するビルの上層階から飛び降りた人の映画はこちら ↓

映画 『フォーリングマン』9.11で燃えるビルの上から飛び降りた人は何を伝えたか?

テロに使われた4機のハイジャック機について

アメリカ同時多発事件に使われたハイジャック機を操縦したテロリストのうち、最初にワールド・トレード・センターに突入したアメリカン航空11便を操縦していたモハメド・アタ、次に南棟に突入したユナイテッド航空175便の操縦担当マルワン・アル=シヤッヒーの2人は、パイロットスクール=ホフマン飛行機学校に通い自家用小型飛行機の免許を取り、その後フライトシミレーターで旅客機の操縦方法を習った。

ペンタゴンに突入したアメリカン航空77便の操縦者ハーニー・ハンジュールは、1999年アメリカで商用パイロットの資格を取りサウジアラビアに戻った。彼は一番操縦が難しい低層ビルのペンタゴンに突入自爆した。

テロに失敗し、途中で墜落したユナイテッド航空93便のパイロット、ズィアド・ジャッラーフはフロリダ・フライト・トレーニングセンターで飛行機免許を取り、その後大型機の訓練中でした。

ハイジャック機の飛行経路

アメリカン航空11便

図のえんじ色の部分

ボストン(ローガン国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空11便(ボーイング767-200ER型機・機体記号N334AA)は、乗客81名・乗員11名を乗せて、午前7時54分に遅延出発した。午前8時14分頃にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。午前8時23分に進路を急に南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟(109階建)に突入し爆発炎上した。

ユナイテッド航空175便

図の茶色の部分

ボストン(ローガン国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きユナイテッド航空175便(ボーイング767-200・機体記号N612UA)は、乗客56名・乗員9名を乗せて、午前8時14分に遅延出発した。管制部とアメリカン航空11便のハイジャックに関する交信を交わした後、午前8時43分頃までにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。直後にアメリカン航空11便を追うようにニューヨークへ進路を変え、午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟(109階建)に突入し爆発炎上した。

ハイジャック機の飛行経路 引用アナザ・ストーリィ

アメリカン航空77便

1番下の緑色の部分

ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発、ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空77便(ボーイング757-200:機体記号N644AA)は、乗客58名・乗員6名を乗せて、午前8時20分に出発した。午前8時50分頃までにハイジャックされコックピットを乗っ取られた。直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、その後通信不能となった。

そして午前9時38分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、爆発炎上した。

ユナイテッド航空93便

図の白色の部分

ニューアーク(ニューアーク空港)発サンフランシスコ(サンフランシスコ国際空港)行きユナイテッド航空93便(ボーイング757-200、機体記号N591UA)は、午前8時42分、乗客37名(日本人1名を含む)(乗客37名中4人はテロリスト)・乗員7名を乗せて、滑走路の混雑で30分遅延で出発した。93便離陸の僅か数分後、アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に激突した。

乗客の機内電話からの通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンD.C.へ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。

午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。その僅か数分後、世界貿易センタービル南棟が完全崩壊した。午前10時03分、93便は、490ノット(時速563マイル、時速907km)の速度でペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C.北西240kmの場所)に墜落した。[7]離着陸時の速度の倍以上の高速で地上に衝突したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。

これら4機はすべてアメリカの東海岸から西海岸に向かう予定の飛行機で、燃料を満載していた。なおこれら飛行機の乗客、乗務員はすべて死亡している。

ハイジャックされた飛行機の1機ユナイテッド航空93便の映画は、こちら ↓

映画 『ユナイテッド93』自分たちが乗っている飛行機がハイジャックされ、テロの道具になるのを知った乗客たちのとった行動は。

「9.11 アメリカ同時多発テロ」後のアメリカ政府の対応

・ 事件後ブッシュ大統領は直ちに非常事態宣言をは連れてし、さらなる事態に備えて州兵や予備役までも動員させれた。また、冷戦後初めて政府存続計画が実行され、大統領をはじめ副大統領など、大統領権限を継承する者たちは身の安全を確保するため、それぞれ避難を開始した。

・ 連邦航空局の命令によりアメリカ国内の民間航空路の封鎖、アメリカ領空内への民間機の入域・通過が禁止され、領空内を飛行中の民間機は全て最寄の空港に強制的に着陸させられた。

これらの措置は数日間続いた上、この措置が行われた地域はアメリカ本土のみならず、アメリカが航空管制を担当しているサイパンやパラオなどの太平洋諸国の一部地域や、北大西洋の一部地域など広範囲に及んだ。

このテロの後、飛行機の利用が控えられたため、テロの標的となったユナイテッド航空だけでなく、標的にならなかったノースウエスト航空、デルタ航空も、連邦倒産法第11章の適用を申請し経営破綻した。また、サベナ航空やスイス航空など、アメリカ以外の航空会社も多くが赤字に転落したうえ経営破綻し、そのうちのいくつかは姿を消しました。

このような規制が敷かれているのも関わらず9月13日以降、ブッシュ政権の許可を受けオサマ・ビンラディン一族の24人を含むサウジアラビア人142名が、航空機で国外に出国しています。

・テロの後、オサマ・ビンラディンをリーダーとするアルカイダを犯人として断定し、オサマ・ビンラディンを匿っているアフガニスタンのタリバン政権に引き渡しを求めたが、拒否されたのでアフガニスタンに侵攻した。

・2001年10月26日、ブッシュ大統領はアメリカ国内でのテロの発生を防ぐ目的で「米国愛国者法」に署名し、国民に対する監視を強化しました。

米国愛国者法とは

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件後45日間で成立し、米国内外のテロリズムと戦うことを目的として政府当局に対して権限を大幅に拡大させた法律である。この法律において電話やEメール、医療情報、金融情報や他の記録について当局に対し調査する権限を拡大し、アメリカ合衆国国内において外国人に対する情報収集の制限に対する権限を緩和し、財務省に対し金融資産の移転、とりわけ外国人や外国法人について規制する権限を強化し、テロに関係する行為をとったと疑われるものに対し司法当局や入国管理局に対し入国者を留置・追放する権限を高めることを規定している。さらに、「テロリズム」の定義を拡大し「国内テロ」をも含め、その結果本法は司法当局の拡大された権限を行使する場面が飛躍的に拡大している。(出典ウィキペディア)

この法律により、テロの容疑者だけではなく一般市民も監視の対象となった。後にスノーデン氏が「国家安全保障局(NSA)」による大規模な盗聴が行われていたこと暴露して、問題が表面化しました。

 

・2002年に国際テロ組織を支援し、ならず者国家と断定した悪の枢軸国(イラン・イラク・北朝鮮)との戦いを国家戦略とし、大量破壊兵器を隠し持っているとして、イラク戦争に突入しました。

 

続きはこちら ↓

なぜ戦争が起きたのか。「9.11」から「イスラム国」まで その2 アメリカのアフガン侵攻

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