なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

YouTubeで見るマイダン革命の映画 その1 『ウィンター・オン・ファイアー、ウクライナ、自由への戦い』

time 2022/07/15

YouTubeで見るマイダン革命の映画 その1 『ウィンター・オン・ファイアー、ウクライナ、自由への戦い』

さロシアのウクライナ侵攻に際して、YouTubeに「マイダン革命(ユーロマイダン)」を題材とした『ウィンター・オン・ファイアー』と『ウクライナ・オン・ファイアー』の2本の映画が公開されました。

 

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亀仙人2

ウィンター・オン・ファイアー

2015年  製作 ウクライナ アメリカ合衆国 イギリス

監督 エフゲニー・アフィネフスキー
脚本 デン・トルモール

配給 Netflix

出典 filmarks.com

この映画は2013年11月21日から2014年2月22日にかけて、ウクライナの首都キエフの独立広場(マイダン)で行われた反政府デモの様子を撮った大勢の人の映像をまとめたものです。製作にはNetflixが提携して、2015年10月9日からNetfjixで配信されました。

Netflixは、2022年2月のロシアがウクライナに対して侵攻を行ったことへの抗議としてYouTubeで公開(英語版)しています。劇映画と違いドキュメンタリー映画なので、日本語の自動翻訳でもそんなに不自由はありません。

マイダン革命の説明はこちらをご覧ください ↓

なぜロシアはウクライナに侵攻したのか その2 親ロ派のヤヌコーヴィチ大統領とマイダン革命

映画で見るマイダン革命

2013年11月21日、ヤヌーコヴィチ大統領はEU加盟の署名を中止することを発表しました。

夜になると老人から子供まで独立広場(マイダン)に集まった人たちは、「ウクライナはヨーロッパの1部」と叫びながら、ヤヌーコヴィチ大統領にEU加盟に署名するよう求めました。

 

2013年11月29日、ヤヌーコヴィチ大統領がEU加盟の署名を見送ったことが明らかになると、人々は「恥を知れ」と叫び政権打倒を求めるようになりました。

2013年11月30日午前4時、群衆を警護した居た警察隊(ベルクト)が鉄の警棒でデモ隊に襲い掛かりました。デモ隊は警察に追われて聖ムィハイール黄金ドーム修道院に逃げ込みました。警察隊は修道院の中には、入ってこないからです。この襲撃で79人が負傷し10人が入院しました、警察側も7人が負傷しています。

聖ムィハイール黄金ドーム修道院大聖堂

出典 ウィキペディア

修道院の中庭には、食べ物の炊き出しをする場所や、救護センターが造られました。

翌日の2013年12月1日は日曜日でした。ニュースで襲撃の模様を知った大勢の市民が独立広場に集まってきました。中にはベビーカーを押している人や松葉づえをついている人もいました。

12月1日、ヤヌーコヴィチ大統領と対立している野党の3党首(「ウクライナ民主改革連合」のビタリ・クリチコ、全ウクライナ連合「スヴォボダ(自由)」のオレーフ・チャフニボク、「人民戦線」のアルセニー・ヤツェニュクの3人)は独立広場の隣にある労働組合ビルの1階、2階、5階の一部を借り「国家抵抗本部」を設置しました。本部は、デモ隊の避難所と負傷者のための医療センターとして機能します。ビルの壁には、マイダンから直結した大型モニターも設置されています。敷地内では、「革命家の登録」、「革命家のための資金(寄付)の受付」、「ユーロマイダンの政治犯を保護するための弁護士の動員」、食料(お茶とサンドイッチ)の配布、毛布や防寒具など暖かいものの受付と配布、記録の取るためのセクションがあります。また、館内では仮眠をとる場所も設けられました。

ビタリ・クリチコ

ウクライナ議会で3番目の勢力を持つ野党「ウクライナ民主改革連合(UDAR)」の党首ビタリ・クリチコ(元WBO世界ヘビー級チャンピオン、現在キエフ市長)は積極的に集会に出かけ、集まった人々に冷静な行動をとるよう説得しました。しかし、政治家を信用できない人たちによってヤジられたり、消火器の粉を掛けられたりで散々な目に遭っています。

出典 ウィキペディア

 

群衆に中には歌手など数人の有名人が居り、マイクをとって自由のために大統領府に向かうよう呼びかけていました。しかし、大統領府の前には警察隊がバリケードを作って待ち構えていました。

 

聖ムィハイール修道院(上の赤丸)と大統領府(下の赤丸)。

真ん中の印のついているところが独立広場(マイダン)。

大統領府の上にある怪物屋敷と書かれている建物は、大統領公邸。住んでいる大統領が怪物という意味ではなく、建物に怪物の彫刻が多数付いているところから名付けられました。

出典 Google Map

正面から見た怪物屋敷

出典 ウィキペディア

デモ隊の中には予備役や退役した軍人が数名居り、警察隊を挑発しないため暴力を控えるよう呼びかけていました。

しかし、12月1日午後、覆面をして腕に黄色の腕章を付けた数名の男たちが、ブルドーザー(ホイールローダー)と共に警察隊に突入しました。

2013年12月1日、機動隊の列に突入するホイールローダー

出典 Wikipedia 

これを機に警察隊はスタングレネード(大きな爆音や閃光を発する手榴弾)や催涙ガス弾を投げ、群衆がひるんだスキに警棒で襲い掛かりました。11月30日のときと違い、今回は一般の人たちにも多くの犠牲者(少なくとも79名)が出てしまいました。

M84スタングレネード

起爆と同時に170-180デシベルの爆発音と15メートルの範囲で100万カンデラ以上の閃光を放ち、突発的な目の眩み・難聴・耳鳴りを発生させる。

引用ウィキペディア

だいたいホイールローダーなどの工事用車両が、工事をしていない首都の道路にある訳がないので、何者かが警察隊を挑発する目的であらかじめ用意していたと思われます。

もう一つ、最初にホイールローダーと共に警察隊に突入した数人の人たちは、そろって右腕に黄色の腕章を付けていたことです。何者かわからないように覆面をしていましたが、この黄色の腕章でかえって目立つことになります。

警察隊は黄色の腕章を目印に、過激な行動をとった者たちを重点的に逮捕すればことが収まるのに(映画の中で黄色い腕章を付けた若者が、警察隊に向かって石を投げようとしていたのを、デモ参加者が取り囲んで止めている場面があります)、そうはなりませんでした。

投石用の石を持った若者を、人々が取り囲んでいる場面。

うしろにも、もう一人います。

右腕に付けた黄色の腕章に注目。

覆面だけでも周りの一般人に比べて、かなり目立ちます。

映画からキャプチャー(00;20:20)

なぜでしょう?。

Тітушки「叔父(ティトゥショク)」

腕に黄色の腕章を付けた集団はウクライナで「叔父」「叔母」「おばさん」と呼ばれている、一種の傭兵たちです。彼等は犯罪者、ならず者、失業中の格闘家やアスリートなどで構成され、ウクライナ当局(主にヤヌコビッチ大統領)によって雇われました。

主に政府に反対する野党活動家の活動を妨害し、街頭抗議に対抗するために使用されました。具体的には反政府者の行動を挑発して警察隊の攻撃のきっかけを作ったり、関係者の脅迫、デモ参加者の殴打および解散、選挙における野党候補者の暴力的な投票妨害などです。

彼等は、警察隊を挑発した後、捕まるのを防ぐために、腕に黄色や白、赤色等の腕章をつけています。

黄色の識別リボンを付けた特別サービスの隊員。右の写真の中には一般のデモ隊と同じような服装をした者がみられる。

左側の写真は、デモ参加者を実弾で射殺しているところ。映画の最後の方で出てきます。

出典 Wikipedia

翌12月2日、抗議の人たちは警察隊(ベルクト)の襲撃から独立広場を守るため、バリケードを作り始めました。ウクライナの有名な歌手、俳優であるカマリヤ ザホール(kamaliya zahoor)は寒空の中でバリケードを作っている人たちに食べ物や防寒具・毛布などを配って歩きました。また十字架を手にした聖職者の中にも、バリケード作りに参加した人もいました。

2013年12月8日日曜日、マイダン(独立広場)には50万人の人たちが抗議のため集まりました。

抗議のデモ隊は近くのキーウ市州庁舎を占拠しました。そして、庁舎の広間では参加者のために食べ物が配られました。

12月8日、独立広場(マイダン)に集まった人々

ウィンター・オン・ファイアーよりキャプチャー

キエフ・ポストが12月7日と8日に実施した1037人の抗議者の調査では、ウクライナ全域からキエフに来た人の92%が自発的に参加し、8%が政党または市民社会団体の一環で来たことが分かりました。

抗議に参加するようになった理由には、70%が11月30日の警察による蛮行に抗議するためで、54%が ヤヌコビッチが欧州連合との 連合協定に署名しなかったことに抗議するためと答えました。

彼らの主な要求の中で、82%は拘束された抗議者の解放を、80%は政府の辞任を、75%はヤヌコビッチ大統領の辞任と早期の大統領選挙を望んでいました。

引用 KYIV POST

キウイ市庁舎の位置(赤い丸の所)

赤い印のついているところが、独立広場。

右下に怪物屋敷と、大統領府があります。

出典 Google Map

2013年12月10日~12月11日、ヤヌーコヴィチ大統領は事態収拾のため欧州連合外務・安全保障政策上級代表(EU外相)のキャサリン・アシュトンや政府高官、レオニード・クラフチュク、レオニード・クチマ、ヴィクトル・ユシチェンコという3人の元大統領を揃えて円卓会議を行いました。ただし政権野党と、ユーロマイダンの主催者はこの会談に参加しませんでした。

この会議の最中ヤヌーコヴィチ大統領は、ウクライナ内務省の民警の特殊部隊(ベルクト)に独立広場に設けられた、バリケードとテントの撤去を命じました。

ベルクトの隊員。青色の制服が特徴です。

出典 ウィキペディア

1923年12月11日午前1時2分、ベルクトの隊員たちはユーロマイダンに置かれたバリケードの撤去を開始しました。午前1時30分頃にはこれを阻止しようとする抗議者たちと押し合いの状態となりました。

この時聖ミカエルの黄金ドーム修道院の司祭イワンシドールは午前1時から午前5時まで修道院の駆るを鳴らし続け、人々にユーロマイダンに行き、ヤヌコビッチの治安部隊によって脅かされた抗議者を支援するように呼びかけました。イワンシドール司祭は2019年4月4日、人権のために行ったボランティア活動によって、第3級のウクライナ功労勲章を授与されました。

2013年12月11日早朝、独立広場での機動隊(ベルクト)と抗議者たちの衝突。オレンジ色のヘルメットが抗議のデモ隊。

出典 Wikiipedia

ベルクトはまた、ユーロマイダンの本部がある労働組合ビル(マイダン広場の隣にあり、政治本部、プレスセンター、セキュリティセンターの他、広場に集まった人たちに食事を提供するメインキッチンがあります)への突入を計りましたが、抗議者によって阻止されました。

8時間後の12日午前9時、ニュースなどで事態を知った15000人の市民が集まり(これにはタクシーが、無料で大勢の人々を独立広場に運んでいました)、4000人のベルクトをもとのバリケードまで押し戻すことに成功しました。

ベルクトが去った後、人々は壊されたテントを立て直し、材木と鉄板で作ったバリケードの代わりに、袋に詰めた雪を積み上げその上から水をかけて、頑丈な氷の壁を作りました。

12月11-12日の夜のうちに、抗議者達によってフレシチャーティク通りの交差点に築かれた雪と氷のバリケード

出典 ウィキペディア

それと同時に、デモに参加した予備役や退役した軍人たちは、抗議者に戦いの仕方を教えました。

しかし、ユーロマイダンからベルクトを追い出したのにもかかわらず、ウクライナの政治は変わりませんでした。

 

2013年12月17日、ロシア大統領のウラジーミル・プーチンとウクライナ大統領のビクトル・ヤヌコビッチは、モスクワで「2国間協議」を開催し、そこで2013年12月17日のウクライナ=ロシア間行動計画に署名しました。

これによると、ウクライナは、ロシアから150億ドルの経済援助とロシア産天然ガスの大幅な値引き(1000立方メートル当たり400ドルから268ドルに値下げ)を受けることになりました。そしてロシアがウクライナからの輸入停止を解く代わりに、ウクライナはベラルーシ、カザフスタン、ロシアの3か国で構成される関税同盟にオブザーバーとして加入することになりました。

この知らせはユーロマイダンに集まった多くの人々に失望を与え、ヤヌコーヴィチ大統領辞任の声は一層高まりました。

 

年が変わり2014年1月16日、ヤヌコーヴィチ大統領は抗議デモの取り締まりを強化するために、『抗議取締法』を議会に提出し、ヤヌコーヴィチの地域党とウクライナ共産党の議員、および多数の無党派議員によって可決されました。

同法律は政府庁舎の封鎖に対して懲役10年を導入した。他にもフェイスマスクやヘルメットを着用した抗議者に対して高額の罰金と懲役刑、公共の場所におけるテント、舞台、増幅器といった設備機器の無許可設置に対する罰金と懲役刑、5台以上の車による車両縦隊(縦列駐車のバリケード)を作る人たちに対して運転禁止などが導入された。また、国会議員の罷免を容易にする法案も承認された。他にも海外の政府や財団から資金提供を受けた非政府組織のメンバーを「海外工作員」として特定し、ソーシャルメディアを通じて誹謗中傷を広める行為に対して懲役2年、政府当局者への誹謗中傷に対して1年収監の更生労働、インターネット接続可能なメディアやプリペイド式携帯電話サービスの購入者登録義務などが承認された。

引用 ウィキペディア

この法律に対抗するために、人々は頭に鍋やバケツ、洗面器などをかぶり、覆面の代わりに色々なお面を付けて集会に参加しました。

覆面の代わりに色々なお面を付けたデモ参加者

出典 KYIV POST

集会には、宗派の違いを超えてあらゆる宗教家、聖職者が集まっていました。その中には「南無妙法蓮華経」と書かれた、うちわ太鼓を叩いている、日蓮宗の人たちも入っていました。

2014年1月19日、日曜日、『抗議取締法(反デモ法)』の取り消しを求めてウクライナ最高議会ビルに向かったデモ隊は、途中で警察隊のバリケードによって阻止されてしまいました。

赤い丸で囲ったところが、デモ隊が向かったウクライナ最高議会ビル。

白い丸で囲った部分が、デモ隊と警察隊が衝突した場所。

左上に聖ムイハール黄金ドーム修道院、中央下に怪物屋敷がある。

出典 Google Map

 

始めは、お互い睨み合いの中で相手の説得を試みましたが、デモ隊が投石に替えて火炎瓶を投げ、警察のバスが3台焼かれたことから暴動に発展しました。

1月21日、ヤヌコビッチ大統領は「血なまぐさい取り締まり」を命じ、警察はスピーカーで武器を使用する可能性があると警告した。ヴィタリー・ザハルチェンコ内務大臣は、物理的な力、特殊な装置、および銃器の使用を許可する大統領命令に署名した。

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数百人の武装した「titushky(叔父)」が近くの目撃者によって報告され、抗議者や通行人を攻撃し、車両を破壊した。伝えられるところによると、ナンバープレートが表示されていない大型トラックの後ろで市内に輸送されたものもあります。その後まもなく、彼らはキーウのダウンタウンの通りの多くを占領した。

引用 Wikipedia 

デモ隊の先頭に立って、ベルクトに襲い掛かる黄色い腕章をつけ、覆面をした男(Тітушки「叔父」?)。彼は2,3発殴った後、すぐ消えてしまいました。

映画の中の1シーン 44分55秒付近

 

デモ隊の過激な攻撃に対して警察側も、散弾銃にゴム弾と実弾を詰めて発砲しました。

散弾銃を使用しつつ、群衆の中に火炎瓶を(無許可で)投げる警察の写真。1月22日。

この日、デモ隊側にデモが発生して以来最初となる3名の死亡者が出ました。

出典 ウィキペディア

ベルクトたちはこの暴動で負傷した人達を治療している医療センターになだれ込み、薬品の入った瓶を割るなどして治療を妨害しました。

デモ隊と警察隊の間で祈りをささげる正教会の司祭たち、1月21日

出典 KYIV POST

この暴動で、デモ隊側は死者4名、負傷者1177名以上の他、報道関係者42名が負傷しました。警察側は163名の負傷者と、軍関係者に57名の負傷者が出てしまいました。

最初に死亡したのは、アルメニアから来た移民の子Serhiy Nigoyanでした。

ユーロマイダンのバリケードにいるSerhiy Nigoyan。

彼はデモ隊と警察隊を隔てるバリケードを登っている時、射殺されました。

出典 Wikipedia

デモ隊の盾に描かれたSerhiy Nigoyanの肖像

映画よりキャプチャー(1:37;50付近)

死亡した4名の追悼式で地域党(ヤヌーコヴィチ大統領の政党)のMPArsen Klinchayev氏は

「これらの人々は政府に反対した。誰も警察官に対して物理的な力を行使する権利を持たない。棒、石、そして何か他のもの。警察は彼らの命を守る権利を持っている。だから、この4人が殺されたのは正しいと思う。さらに、あなたはもっと厳しくする必要があると思う。」

引用 Wikiipedia

と述べ、さらに強硬な姿勢を執り続ける必要があるとしています。

デモに参加した普通の人たちはあくまで話し合いで解決しようとしていましたが、それを無理やり策を弄して暴動に発展させたのは、ヤヌーコヴィチ大統領です。彼は反対する人は何としても暴力で押さえつけるつもりでした。これは世の独裁者がよく使う手ですが、ネットワークによる通信手段が発達した現代では、人々は団結による力を知ってしまい、通用しなくなっていました。

1月24日、ヤヌーコヴィチ大統領は宗教関係者との対談で、騒動の元となった「抗議取締法」の廃案と、警察隊の強制的な行動を廃止するつもりであることを、表明しました。

1月28日、「抗議取締法」を可決したアザロフ首相が辞任しました。辞任後彼はオーストリアに逃亡します。

1月30日、ヤヌーコヴィチ大統領は「抗議取締法」を無効にする法律に署名しました。

2014年ウクライナ騒乱(2014年2月18日~2月23日まで)

2月17日、抗議している人が求めていた「ウクライナ抗議者の恩赦に関する法律」(2013年12月27日から2014年年2月2日までの期間に犯罪を犯したユーロマイダン抗議者に対する刑事責任および罰金の免除)が施工されるには、2月16日夜までに占拠していた行政府の建物、とりわけ州政府、自治体、キエフ市庁舎、の明け渡しとフルシェフスコホ通りの封鎖解除が必要とされていました。

2014年2月18日朝8時30分、独立広場に集まった抗議者たちは、政治犯の釈放、ヤヌーコヴィチ大統領が大統領権限を強めるために制定した2010年憲法に変わり、議会の力を戻すために2004年に制定した憲法の実施、そして早期の大統領選挙を求めて、前回と違うコースをとりウクライナ最高議会ビルへの行進を開始しました。

2月18日朝、ウクライナ最高議会ビルに向かうデモ隊。

彼等の大部分は何の武器も持たない一般市民でした。

映画よりキャプチャー(01:02:45付近)

9時45分頃、デモ隊は途中のマリンスキー公園付近で、警察隊と衝突しました。警察隊はデモ隊に向かって最初からゴム弾と実弾で撃ってきました。

近くのビルの屋上から、デモ隊を狙っている警察隊。

 2014年2月18日

出典 Wikipedia

デモ隊は投石や火炎びんなどで応戦しましたが、午後4時には元の独立広場まで戻されてしまいました。

2月18日にデモ隊が行進したコース(赤い線)、左上の黄色の線は1月19日のコース。

赤い丸で囲った部分がウクライナ最高議会ビル。白い丸がデモ隊と警察隊がぶつかった場所。

出典 Google Map

内務省は、ウクライナ保安庁とともに、デモ隊が午後6時までに対立を停止するように要求する声明を発表しました。そうでない場合、治安部隊は「法で定められた手段で秩序を回復する」と警告しました。

午後6時過ぎ警察機動隊の乗った兵員輸送車が、バリケードに突入しましたが、乗り上げたところで多数の火炎瓶が投げられ、丸焼けになってしまいました。

その後デモ参加者はバリケードに木材やタイヤなどをに投げ入れ、警察隊との間に「炎の壁」を作り、簡単に突入できないようにしました。

2月19日午前1時、マイダン革命の本部がある労働組合ビルが何者かによって放火され、大勢の犠牲者が出てしまいました。

独立広場の写真。警察隊は右手にある十月宮殿の高台からと、ショッピングモールに続く歩道橋の上から、デモ隊に向かって発砲しました。

独立広場の右にあるL字形のビルが炎上した労働組合ビルです。

出典 Google Map

火災で燃えた労働組合ビル。

マイダン革命本部が使用していた1階と2階と5階、さらに5階から上の部分が燃えている。

2014年2月19日朝

出典ウィキペディア

映画では、当時労働会館ビルの中に居た人がベルクトが上の階から順番に放火した、と言っています。

2月19日、労働会館ビルが燃えたため聖ムィハイール修道院は臨時の医療センターとなり、ウクライナ各地から薬品や医師が集まってきました。

またキエフ市内の主要道路や地下鉄が警察によって封鎖されました。このため多くの商店は休みとなり、学校も閉鎖されました。

ヤヌーコヴィチ大統領とウクライナ内務省は「反テロ作戦」の発動を決め、デモ隊に対しての実弾の使用を認めました。

2月20日、内務省の動員基地から408丁のアサルトライフルと9万発の弾丸を支給されたベルクト特殊部隊(Titushkiいわゆる「叔父」)が到着して、独立広場に居る群衆に対して射撃を開始しました。

独立広場の群衆に対して射撃する、ベルクト特殊部隊。

黄色の腕章に注目。

映画からキャプチャー(1:37:50付近)

彼等は群衆の一人に傷を負わせ、助けに駆け寄った人を次々に射撃しました。それらの人々の中には赤十字の医者、教会の司祭もいました。

映画では道路のあちこちに射殺された人や、助けに来て撃たれる瞬間の場面もあります。

2月20日朝、マイダン広場近くのウクライナホテルに運び込まれた遺体。

出典 Wikipedia

 

負傷者を囲むようにして運ぶ人たち。

2014年2月20日

出典 WIkipedia 

2月18日から20日までの戦いで、デモ隊側73名、警察隊側11名の死者が出ました。

2月20日の夕方、ウクライナ最高議会会議の緊急会議が開催され、「対テロ作戦」のそれ以上の実施は禁止されました。

2月21日、ウクライナの政治危機の解決に関する合意

政治危機を解決するために、ウクライナのヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領と野党指導者のビタリ・クリチコ(ウクライナ民主同盟)、アルセニー・ヤツェニュク(全ウクライナ連合「祖国」)、オレー・チャフニボク(スヴォボダ)により夜どおし行われた交渉は合意に至り、先の4名により署名が行われました。

ウクライナの政治危機の解決に関する協定に署名する、ヤヌーコヴィチ大統領(右から二人目)。

2014年2月21日。

出典 Wikipedia

内容は、2004年に改憲された憲法(大統領権限を弱め、ウクライナ議会の力を強めた)の復活、2014年12月までの大統領選挙の実施、政府や野党、欧州評議会の抗議についての共同調査、非常事態強制の拒否権、2月17日以降逮捕された抗議者に対する恩赦、抗議者により占領された建物の降伏、武器の回収、新選挙法施行による中央選挙管理委員会の設置などです。

これにはヤヌーコヴィチ大統領と野党党首との仲介役を果たした欧州連合3ヵ国の外相(ポーランドのラドスロー・シコルスキー、フランスのローラン・ファビウス、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー)も関係者として署名しました。ただ、ロシアからの仲介者ウラジーミル・ルキンは署名しませんでした。

これに対して革命広場に集まった群衆は、翌2月22日午前10時までにヤヌーコヴィチ大統領が辞任しない場合、再び武力闘争を始めることを決めました。

2月22日の夜明け前、ヤヌーコヴィチ大統領がヘリコプターに乗りキエフから脱出する場面が、空港の監視カメラに映っていました。

同日ウクライナ最高議会会議は、328/447でヤヌコーヴィチ大統領の辞任と、新たに大統領選挙を5月25日に行うことが可決されました。

独立広場に据えられた大型画面のモニターでこの様子を見ていた群衆は、皆大喜びしました。

 

しかし、ロシアはクリミア半島および、ウクライナ東部のルハンシク州とドネツク州に秘密裏に軍隊を派遣して、クリミア半島を併合(3月20日)し、東部2州では親ロシアは住民を中心にドネツク人民共和国とルハンシク人民共和国を作り、両国はウクライナからの独立を宣言(5月12日)しました。

 

これによりウクライナの人たちは、より強大な敵「ロシア」との戦いを強いられ、それは今でも続いています。

 

人殺しはパワーアップし、躊躇しなくなる

この映画を見て恐ろしかったのは「人殺しはパワーアップし、人を殺すことに躊躇しなくなる」ことです。

始めは一般人のデモ隊に対峙したことに困惑の表情を見せていた警察隊が、ったん実弾での射撃を許されると平気でデモ隊に向かって撃ち、さらに一人を撃ち助けようとして駆けつける人を次々と撃つようになりました。このため映画の終わりの方では、警察隊に撃たれた犠牲者の山が出来ている場面があります。

 

このサイトで扱っている映画の紹介でも、人を撃ち殺すことに無感覚になってしまった映画がいくつかあります。

 

国連平和維持軍に参加した普通のデンマーク青年が、タリバン兵と戦って相手を射殺しました。

任務を終えて帰国しましたが、平穏な生活に耐えられず再び戦場に戻って行く映画です。↓

なぜ、戦場で人を殺せるようになるのか 映画 「アルマジロ」から見てみよう

狙撃手として160人の敵を倒した主人公のクリスですが、除隊後「後悔していることは、もっと多くの敵を殺せなかったことだ。もし殺していれば多くの仲間の命を救えた。」と言っています ↓

アメリカ軍史上最高の狙撃手クリス・カイルを描いた映画 「アメリカン・スナイパー」

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