なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

「キューバ危機」とは。「戦えば多くの国民が犠牲になる」この一念が、核戦争を防いだ

time 2017/06/16

「キューバ危機」とは。「戦えば多くの国民が犠牲になる」この一念が、核戦争を防いだ

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亀仙人2

「キューバ危機」とは

現在、北朝鮮が核ミサイルの開発を進めていて問題になっていますが、1962年の秋、いつ核戦争が始まってもおかしくない事態になったことがあります。

アメリカのフロリダ半島から160キロしか離れていないキューバに、ソビエトが中距離核ミサイルを配備し、しかも燃料を注入して、いつでも発射できる状態にしていたのです。

もしこのミサイルが発射されれば、シアトルなど北部を除きアメリカ本土の大部分が、5分以内に核弾頭の襲撃を受けることになります。

この事実が報道されると、アメリカはおろか、全世界が核戦争勃発の恐怖に襲われました。

関係者の談話
「とても美しい秋の夜でした。もう2度と土曜の夜を生きて迎えることはないかと思いました」
アメリカのマクナマラ国務長官の談話
「一触即発の事態だった。いつ戦争が始まってもおかしくない事態でしたよ。もしあの時不幸な戦いに巻き込まれていたら、キューバは地図の上から消えていたかもしれません。」
後のキューバのカストロ首相の談話

赤丸で囲んだ部分がキューバ

なぜ、キューバはアメリカと対立するようになったか

アメリカと対立するまでのキューバの歴史は、こちらをご覧ください。

なぜケネディ大統領は暗殺されたのか? その原因はここにある。キューバの歴史

なぜ、ソビエトはキューバにミサイルを配置したか

当時アメリカはトルコに、直接モスクワを狙える中距離核ミサイル「ジュピター」を配備していました。ソビエトは自国の領内からアメリカを攻撃できる大陸間弾道ミサイルを持っておらず、アメリカを攻撃するためには航空機や潜水艦でアメリカの近くまで行ってミサイルを発射するしかありませんでした。

トルコ配備されたミサイルに対抗するため、ソビエトのフルシチョフ首相はキューバにアメリカを直接攻撃できるミサイルを配備することを決めました。

7月にカストロの弟ラウル・カストがモスクワを訪問し「キューバ駐留ソビエト軍に関する協定」を結び、8月にはチェ・ゲバラが訪れて改めて2国間の「軍事協力協定」を結びました。

これを受けてソビエトは「アナディル作戦」を発動し、キューバに向けて準中距離核ミサイルSS-4、中距離核ミサイルSS-5を始め核弾頭の着いた爆弾を搭載可能な軽爆撃機イリューシュン21、戦闘機ミグ21、その他地対空ミサイル及びそれらを管理運営するのに必要な人員、約5万人の輸送を開始した。

1962年7月から8月にかけて、キューバに向かう貨物船が急増したことにアメリカは警戒したが、ソビエトがアメリカと対立する危険を冒してまで、キューバに核ミサイルを配備すると考える者はいなかった。

それにより10月に偵察機U-2によりミサイルの配備が発覚し、キューバ危機が始まる時にはソビエトは軍需物資や人員の輸送はほぼ完了していた。

キューバ危機の経緯

危機の解決に当たったケネディ大統領は、ソビエトのフルシチョフ首相だけではなく、国民から犠牲者を出さないようにするため、自国の軍部とも戦はなくてはなりませんでした。

 

1962年10月14日、アメリカの戦略偵察機U-2型機が偵察飛行機から帰り撮影したフィルムを持ち帰りました。
U-2型機の偵察飛行は軍備を増強しているキューバの様子を探るため、定期的に行われていたものでした。

 

ここで「ペンコフスキー文書」が出てきます。
この文書を書いた、オレグ・ウラジミロヴィチ・ペンコスキーはソ連軍参謀本部情報局(GRU)の職員で、GRU長官のイワン・セーロフやソ連陸軍兵科総元帥セルゲイ・ヴァレンツォフの友人でした。彼は1961年から活動を始め、イギリスとアメリカにソビエトのミサイル情報を流しました。ペンコフスキーの流したキューバのミサイル発射サイトの計画案に沿ってU-2型機で偵察・撮影した結果、キューバのミサイル基地を確認できました。同じくGRUの大佐で後にイギリスに亡命したヴィクトル・スヴォーロフは、「歴史家はGRU大佐オレグ・ペンコフスキーの名前を感謝の念とともに心に留めることになるだろう。彼の計り知れない価値のある情報によってキューバ危機は最後の世界大戦に発展しなかったのだ」と述べています。ペンコフスキーは、ケネディがテレビ演説を行った10月22日に逮捕され、翌年の5月16日に処刑されました。

 

10月15日早朝、持ち帰った写真を調べていた国家写真解析センター(NPIC)はアメリカ本土を攻撃可能な準中距離ミサイルSS-4が写っているのみつけました。

10月16日朝9時、この写真はCIA高官リチャード・ロヘルムズによってケネディ大統領のもとに届けられた。

この16日から28日までの13日間が、キューバ危機の期間です。

11時45分、ケネディはいつも首脳陣に加えて、CIA長官、軍や国連の関係者を加えた国家安全保障会議執行委員会(エクスコム)を招集し、対策を練りました。

空爆によってミサイルだけを破壊するものから、空爆後キューバに侵攻し、カストロ政権そのものを倒す案まで出されました。

しかし、どの案もソビエトが報復のためベルリンに駐在しているアメリカ軍を攻撃し、さらにエスカレートして全面的な核戦争に発展する可能性を消し去ることが出来ませんでした。

そのため軍部の推す空爆の強い申し入れに対し、ケネディはなかなか「イエス」と言えませんでした。

ここでマクナマラ国防長官が、助け舟を出します。キューバを海上封鎖して、ソビエトの出方を見るというものです。

軍も一回の攻撃でキューバに配備されたミサイル全部を破壊することは不可能であり、残ったミサイルでアメリカが攻撃される懸念を消し去ることが出来ないため、海上封鎖で効果が出なかったら、空爆を行うとのことで落ち着きました。

10月22日東部時間の午後7時、ケネディは全米の国民に向けたテレビ演説でソビエトがキューバに核ミサイルを設置したこと確認したと発表しました。

更にケネディは、憲法によって与えられた大統領の権限に基づき、早急に以下の処置をとるよう命じたことを明らかにしました。

1つ、ミサイルの設置を阻止するため、キューバに搬入される軍事物資の臨検を開始すること、そしてキューバに向かうあらゆる国の船舶について、兵器の搭載を確認された船は、直ちに引き返しを命じること。

2つ、キューバに対する監視を強化し、ミサイルの設置が中止されない場合、しかるべき手段を講じられるよう、アメリカ軍は必要な準備にはいること。

3つ、今後キューバから西半球に位置するいずれかの国に対してミサイルが発射された場合、ソ連のアメリカに対する攻撃と見なし、直ちに報復を実行することとする。

ケネディ大統領のテレビ公開放送の動画はこちら ↓

10月23日、ソビエトのフルシチョフ首相は、ケネディのテレビ演説に対して

「公海上の自由航行は、国際法と国連憲章によって保障されている正当な権利であり、ケネディ大統領の発言は、ソ連とキューバに対する明確な内政干渉である。私はアメリカ政府が分別を示し、世界を破滅的な結果に導きかねない政策(海上臨検のこと)を直ちに放棄されることを希望する」

との声明を発表しました。

10月24日午前10時、いよいよ海上封鎖が始まりました。この時キューパに向かっていたソ連船は22隻。その内キモフスク号とユーリ・ガガーリン号の2隻は臨検ラインから1時間のところをキューバに向かって航行中でした。

駆け付けた米駆逐艦ジョン・R・ピアースは2隻のソ連船に、停戦して兵器を積んでいないか臨検を受けるよう呼びかけますが、2隻は無視してキューバに向かって航行していきます。

このまま見逃したら残りの貨物船もキューバに行くことになり、海上封鎖の意味が無くなります。手筈では、臨検ラインを越えたら、威嚇射撃をし、それでも停戦しない場合は砲撃で自力航行できないようにして、基地に曳航することになっていました。

ところが、駆逐艦ピアース号のソナー室から艦長に知らせが入り、近くにソ連の潜水艦が潜んでいることが分かりました。

臨検ラインまであと15分。ソビエト潜水艦が潜望鏡深度まで浮上してきました。これはいつでも魚雷攻撃ができることを示しています。米駆逐艦ピアース号も対潜ミサイルの発射準備をします。

様子を見守っていたケネディ大統領は、ピアース号の艦長に「任務を遂行せよ」との指示を出します。

世界中の人々は、戦争勃発を覚悟しました。

ところが臨検ライン直前で、2隻のソビエト貨物船はUターンをして戻り始めました。やがてほかのソ連船もUターンした、との知らせが次々と入ってきました。

これにより今回は、戦争を回避することができました。

10月25日、キューバ問題に関して国連安全保障理事会の緊急会議が開かれます。

会議の議長であるソ連のワレリアン・ゾリン国連大使は「アメリカの行為は、キューバへの不当な侵略行為である」と避難しました。

キューバも「アメリカの海上封鎖により、キューバの通商が妨害され、国民が飢えに追い込まれている」と訴え、東側諸国中心にアメリカへの非難動議を提案するなど、アメリカは追い込まれていました。

アメリカのアドレー・スティーブンソン国連大使が発言する番になりました。アドレ―大使は国連職員に何枚もの写真バネルを持ってこさせ、出席の各国代表に見せました。そして、ゾリン大使にこう言いました。

「このキューバの写真に写っているのは、あなたの国のミサイルではありませんか。イエスかノーだけで答えて下さい。」

ゾリン大使は言葉に詰まりました。「イエス」と言えばソ連がキューバにミサイルを持ち込んだことを認めることになるし、「ノー」と言えば、ソ連のミサイルが写っている写真があるので、ソビエトが嘘をつき通していることになるからです。

ゾリン大使は黙秘を続けました。

10月26日午後6時、モスクワにあるアメリカ大使館にフルシチョフ首相から、親書が送られてきました。

信書の中身です。

 

「親愛なる大統領閣下
あなたが、本当に平和と貴国の人々の福利に関心がおありなら、私は同様にソ連邦首相として我が国の人々の福利に関心が有ります。さらに、普遍的な平和の維持は両国の共通の関心事であるはずです。もし戦争が現代の状況下で勃発したら、それは単に両国間の戦争ではなく、悲惨で破壊的な世界規模の戦争となるからです。
(中略)
私の提案はこうです。我々はキューバにこれ以上の兵器は送らないし、キューバにある(攻撃的)兵器は撤収するか破棄する。その代わりに、アメリカはキューバに侵攻しないと約束し、海賊のような臨検行為を中止する。我々は戦争と我々を結びつけるロープを互いに引き合っているようなものだ。引けば引くほど結び目に固くなり、やがて結んだ当人すら解けなるなるだろう、そうなれば、結び目を断ち切る必要が出るが、それが何を意味するかよくおわかりだろう」

この提案に対して、海上封鎖を止めればソビエトがサイルを撤去するのなら、応じようとの空気が生まれした。

解決の兆しが見えて来ました。

10月27日暗黒の土曜日の始まりです。マクナマラ国防長官が「もう2度と、生きて土曜日を迎えることはないだろう」言ったのはこの日です。

午前9時、エクスコムのメンバーに非常招集がかかりました。それはフルシチョフ首相から第2の親書が届いたからです。

「我が国がキューバからミサイルを撤去する条件として、貴国もトルコ国内に配備しているミサイルを撤去しなくてはならない。キューバはアメリカから90マイルの距離であり、トルコからソ連もまさに90マイルである」

この親書を読んだメンバー全員は凍りつきます。トルコに配備したミサイルはNATOの要望で置かれたもので、アメリカが勝手に撤去できないものです。撤去したらNATO諸国の信頼を失い、NATOの崩壊につながる恐れがあります。

午後3時半ごろ、さらに悪いことが起こりました。

キューバ上空を偵察飛行していたU2偵察機が撃墜されました。2万5千mの高高度を飛ぶU2を落とせるのは、ソビエトの地対空ミサイルだけです。つまりソビエトが先制攻撃したことになります。

マクスウェル・D・テイラー大将(統合参謀本部議長)は、ケネディ大統領に対して、キューバにある地対空ミサイル部隊の攻撃の許可を求めてきました。ケネディは

「ただちに報復攻撃を行うことは承知できない。しかし、今後我が国の偵察機が攻撃を受けば、即時爆撃を開始し、ソ連がミサイルを撤去しなけば、29日に全面攻撃を行う」

との許可を出しました。

攻撃するにしても敵の位置を正確に知る必要があると考えたテイラー大将は了解し、全世界のアメリカ軍(日本に駐留している在日米軍も含まれます)に対してデフコン2を発令しました。

デフコン1は国家総力戦体制(戦時体制)で今まで発令されたことはありません。デフコン2は準戦時体制でキューバ危機の時だけ発令されました。いつでも戦闘に入れる状態で待機します。

午後8時ごろロバート・F・ケネディ司法長官とアナトリー・  F・ドブルイニン駐米ソ連大使は、秘密裏に会談します。

会談の内容です。

ロバート・ケネディ

「アメリカはフルシチョフがよこした第1の親書に書かれた条件は、すべての受け入れます。ですから、キューバに設置したソ連のミサイルをすべて撤去してください。」

ドブルイニン大使

「トルコのミサイルはどうしますか。これを撤去しない限り、話し合いには応じません。」

ロバート・ケネディ

「アメリカに脅しは通用しません。その点誤解なきよう。」

ドブルイニン大使

「それでは最悪の事態を避けることが出来なくなります。」

大使が帰り始めたとき、ロバート・ケネディはこう言います。

「絶対公にしないことを前提に一つお話があります。トルコのミサイルは旧式のため6か月後に撤去することが決まっています。この話は保証します。」

「誰が保証するのですか」

「ケネディ大統領です。」

「同志フルシチョフに話しても構いませんか。」

「構いません。ただし絶対、公にしないよう願います。この話が漏れたら、アメリカはすべて否定いたします。そして、返事は明日までに下さい。」

「明日までですか。」

「明日までです。」

「わかりました。急いでこの話を本国に伝えます。」

ドブルイニン大使は会談の結果をモスクワに伝えました。

10月28日午前9時、モスクワ放送は英語とロシア語でフルシチョフ首相の緊急声明を世界中に伝えました。

モスクワ放送の内容

「キューバに侵攻することはないというアメリカ合衆国の約束を信頼し、我が国はアメリカが”攻撃的”と表現した兵器を解体し、木箱に収めてソ連本国に戻し、全ての基地建設を中止いたします。この命令は直ちに実行されます」

10月28日午後1時、キューバに駐留していたソ連軍は、ミサイル撤去の指令を発しました。

翌日に行う予定のキューバ攻撃を前にして、戦争の危機は回避されました。

キューバ危機を題材にした映画「13ディズ」

 

キューバ危機に関する映画はこちら ↓

映画 「13デイズ」外交交渉で戦争は回避できるのか? その答えがここにある 

 

キューバ危機その後

一般にキューバ危機はこれで終わったことになっていますが、実はこの後も海上封鎖は続いていました。

この米ソ間の取引に怒った人がいました。キューバのカストロ首相でした。

「実に腹ただしかった。いきなり、28日の朝、いきなり聞かされたのですよ、ラジオでね。ソビエトとアメリカが合意した。ケネディとフルシチョフが手を結んだのです。全く恥ずかしいと思いませんか。こんなことになるとは想像もしなかった。」

キューバを攻撃しない侵攻しないというアメリカの約束を信じて、ソビエトはキューバに配置したミサイルを、何の相談もなしに撤去を決めたことにカストロは耳を疑いました。

10月30・31日、国連のウタント事務総長が国連によるミサイル撤去の査察の方法について協議のためキューバを訪問しました。

しかし、カストロは国連の査察について、「国家に対する侮辱行為」として拒否。

「何故,ミサイル撤去の公約だけでは不十分なのか? キューバに侵攻しないという米国の公約を評価するのなら,侵攻を防ぐための兵器を撤去するという公約を,なぜ米国と同じように評価できないのか」と反論しました。

さらにアメリカに対して、

1.領空侵犯の全面的停止
2.海上封鎖および禁輸措置の解除
3.体制転覆活動の停止
4.海賊行為の中止
5.グアンタナモ米軍基地の返還

の5項目を要求しましたが、無視されました。

11月2日、ウタント事務総長に代わり、フルシチョフはミコヤン副首相をキューバに派遣。ハバナに行く前に国連に寄ったミコヤン副首相にアメリカは撤去すべく兵器の一覧を渡しました。それによると、中距離ミサイルSS-5・準中距離ミサイルSS-4、とその弾頭のほか、爆撃機イリューション-28、短距離ミサイル「ルナ」、コマール型魚雷艇が、新たに「攻撃的兵器」とされていました。

これにはフルシチョフ首相も「ソ連はアメリカの新たな要求に応じる必要はない」として拒否しました。また話がややこしくなってきます。

11月20日、結局フルシチョフ首相は、ミサイルの他にイリューション-28を加えることで合意しました。

アメリカはこの合意で、海上封鎖を解除しました。また撤去したミサイルと爆撃機の査察は、海上でソ連船に積まれた数を調べることで、収まりました。

1963年4月、アメリカがトルコからミサイルを撤収してキューバ危機は終わりました。

 

  • この事件後、アメリカ大統領とソビエト首相は専用電話回線(ホットライン)で直接話し合うことが出来るようになりました。それまでは相手の大使館からテレタイプで文書を本国に送り、本国から同じようにして返事をもらっていたので6~8時間かかりました。
  • ソビエトがキューバから、アメリカがトルコからミサイルを撤去したことで、フランスと中国は2大国に頼らず独自に核兵器の開発を進めました。
  • ソビエトとアメリカは直接相手に届く大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発・製造を進めました。
  • キューバ危機から約1年たった1963年11月2日、ケネディ大統領は暗殺されました。
  • さらに1年後の1964年10月フルシチョフは解任されました。キューバ危機でアメリカに譲歩しすぎたのも、原因の1つと言われます。

ケネディ大統領案幸の秘密を追った地方検事のお話 ↓

映画「JFK」ケネディ大統領を暗殺したのは誰か? その謎に迫る検事の話。

 

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