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亀仙人2映画 「シンドラーのリスト」
1993年 アメリカ
1993年3月、ポーランドにドイツ軍が侵攻し、ポーランド第3の都市クラクフもドイツ軍によって占領されます。ナチ党員のオスカー・シンドラ―は戦争の混乱に乗じて一儲けしようと企み、ユダヤ人のホーロー工場を買収し、ドイツ軍高官に賄賂を贈り、軍の注文を受けることで大儲けしました。彼は1200人ものユダヤ人を工員として雇い入れ、軍需物資を作るのに必要な人間として彼らをホロコーストから守りました。
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監督
スティーヴン・スピルバーグ
脚本
スティーブン・ザイリアン
原作
トーマス・キニーリー
『シンドラーの箱船』 Schindler’s Ark、
米国改題『シンドラーのリスト』Schindler’s List
製作
スティーヴン・スピルバーグ
ジェラルド・モーレン
ブランコ・ラスティグ
製作総指揮
キャスリーン・ケネディ
出演者
リーアム・ニーソン
ベン・キングズレー
レイフ・ファインズ
音楽
ジョン・ウィリアムズ
撮影
ヤヌス・カミンスキー
編集
マイケル・カーン
あらすじ(ネタばれあり)と解説
1939年、オスカー・シンドラー(アイキャッチ画像の人、出典ウィキペディア)は戦争のどさくさに紛れて一儲けしようと企み、ドイツ占領下のクラクフににやって来ました。
彼はユダヤ人評議会(ゲットー内の自治をつかさどるユダヤ人の組織)から有能な経理士イザック・シュターンを引き抜き、事業の相談をします。
イザック・シュターン(本人) 出典 Wikipedia
彼はシンドラーの右腕として工場の経営を任される一方、身体障害者・子供・老人等、労働に適さず役立たずとして殺される運命にあったユダヤ人を労働者として雇い、多くのユダヤ人を救った功労者の一員でした。
シンドラーは、ユダヤ人シュターンのコネでユダヤ人の出資者から金を集め、ユダヤ人から没収したホーロー工場を手に入れ、映画の冒頭に出てくるようにドイツ軍首脳部の将校と知り合いになります。この中でクラクフにおけるSS(親衛隊)と警察のトップ、ユリアン・シェルナー中佐(映画の中で、宴会の最中に出てくる眼鏡をかけた紳士的なドイツ軍将校)との出会いが、事業を進める上で大きな助けになりました。
ユリアン・シェルナー中佐(本人)、写真中央の人 出典 Wikipedia
ユリアン・シェルナーは1939年11月から第11SS山岳猟兵連隊「ラインハルト・ハイドリヒ」の司令官に就任。1940年1月には第8SS髑髏連隊の司令官に転じ、1年ほど務めた。1941年1月から8月にかけてはベーメン・メーレン保護領(ドイツ占領下チェコ)にあった武装親衛隊の訓練場「ベーメンSS軍隊訓練場」の責任者を務めた。1941年8月4日からクラクフの親衛隊及び警察指導者に任じられ、1944年3月4日までの長きにわたりこの地位にあった。彼の在任中にクラクフでラインハルト作戦(ポーランドのユダヤ人絶滅作戦)が強力に展開されていた。オスカー・シンドラーは彼と彼の支配下のクラクフの親衛隊員達からユダヤ人たちを守り抜いたのである。引用 ウィキペディア
計理士のシュターンは、ゲットーでシンドラーの工場で働く労働者を集めていた。ゲットーではドイツ系の企業か軍需関連の工場の労働者である必要があったたため、彼は音楽家・学校の教師・労働に不適格な女性・子供などに特殊技能を持つ技術者とするため、偽の労働証明を作り雇い入れていました。
こんな工場でも、シンドラーの賄賂と巧みな外交手腕により、軍の受注を受け大繁盛します。
1942年1月20日、ベルリン郊外のヴァンゼーで膨れ上がり始末に困ったユダヤ人を処理する「ユダヤ人問題の最終的解決(ユダヤ人絶滅計画・ホロコースト)」の会議(ヴァンゼー会議)が開かれ、ラインハルト作戦として、実施されます。
これによって1942年6月1日と6月8日に5000人のユダヤ人が、クラクフ・ゲットーからベウジェツ絶滅収容所に送られました。
続いて10月28日には600人のユダヤ人が殺害され、4500人がベウジェツやアウシュビッツの絶滅収容所に送られました。
1942年12月にはクラクフ・ゲットーがA地区とB地区に分けられました。A地区には市の従業員や軍の雇用者、B地区は余剰労働者・病人・老人が集められました。これはゲットー解体時に有用な人と、不要な人を分ける準備でした。
開けて1943年2月11日、アーモン・ゲート少尉が「クラクフ地区親衛隊及び警察指導者のプラショフ強制労働収容所(クラクフ・プワシュフ強制収容所)」の所長に任命されました。
アーモン・ゲート1946年処刑直前の写真 出典 ウィキペディア
プワシュフ収容所内に残るゲートの住居 出典 ウィキペディア
銃を持ってバルコニーに立つアーモン・ゲート 出典 第三帝国極悪伝説12
1943年3月13日と3月14日にわたってクラクフ・ゲットーの解体の指揮を執り、A地区の住民は労働者として全員プワシュフ労働収容所に収容されたが、B地区の労働に適さない住民のうち1000人はその場で射殺され、残り4000人がプワシュフ労働収容所に送られ、2000人がアウシュビッツ=ビルケナウ絶滅収容所に送られました。殺された人々はプワシュフ労働収容所に送られ埋められました。
映画ではシンドラーが丘の上からクラクフゲットーで、大勢のユダヤ人が虐殺される様子を見ていました。その中で赤い服を着た幼い女の子が、逃げ回っていました。
また、アーモン・ゲートは収容所で気に入らない囚人たちを片っ端から殺していきます。あまりにも殺しすぎたので、労働者が足りなり1944年1月収容所が親衛隊経済管理本部 (WVHA) 管轄の強制収容所と変わって、囚人の処刑・拷問には本部の許可を取ることとなり、ゲートも恣意的な射殺を控えるようになりました。ゲートが直接殺した囚人は、500人以上になり「プワショフの屠殺人」とのあだ名が付けられました。
ゲートはシンドラーが自分の工場で働く囚人のために、付属収容所を作る許可を与える代償として賄賂をとったり、利益の一部をピンハネしていました。これは、収容所内に工場を作った業者も同じで、一定の歩合をゲートに支払っていました。
さらに、ユダヤ人から没収し国庫に入れるべき金品も横領しており、その金で自家用車や乗馬用の馬を買ったり、屋敷でパーティーを開いたりして豪勢に暮らしていました。
しかし、部下にも上司にも嫌われていたゲートは、1944年9月13日ついに親衛隊捜査判事である親衛隊中佐コンラート・モルゲン判事によって囚人虐待と横領容疑で逮捕されました。こうして逮捕されたゲートは全ての権力を失い、親衛隊から除隊させられました。
このようにどうしようもないワルのアーモン・ゲートですが、映画の中でシンドラーは彼についてこう言っています。
『戦争は常に人間の最悪な部分を引き出す。平和な時なら、あいつも普通の男だ。いい面しか表に出ない。それでも少々ワルだがね』
ユダヤ人をこの世から絶滅させ、アーリア人がこの世を支配する世界を作ろうという変な考えを持つヒトラーがトップに立つ世界では、権力を手にしたゲートのような人間は、良心や理性の歯止めを失い、ユダヤ人を平気で殺すという行為に暴走してしまいます。
人間以下、ネズミだ、虫けら・バイ菌と言われているユダヤ人が、露見すると自分が殺されるかもしれないのに仲間を助ける一方、人類の最高峰に立ち世界をリードすべきアーリア系ドイツ人が、600万人ものユダヤ人大量虐殺を行ったこの矛盾、考えさせられます。
終戦後、プワショフ収容所における8000人殺害の責任、クラクフ・ゲットーにおける2000人の虐殺に対する共同責任、いくつかの収容所での数百人の処刑に対する罪状で裁判にかけられたゲートは、自分はただの軍人に過ぎず、上官の命令に従っただけと主張しました。結局死刑を言い渡されましたが、人としての良心を完全に失っています。
上に立つ人が悪ければ、下の者も悪くなり、やがて国全体が悪くなっていきます。
どのような人が国を導くのか、慎重に選ぶ必要があると思います。
閑話休題、1944年4月戦局が不利となり、ソピエト軍がドイツに迫ってきました。ユダヤ人虐殺の証拠を隠すため、埋めてあったプワシュフ強制収容所とゲットーで殺された1万余の死体の焼却命令が出されました。地中から腐乱した死体を掘り出し、高く積み上げて火をつける。あまりにもおぞましい作業に、発狂するドイツ兵も出てきました。
これはユダヤ人を大量殺戮した事実を隠すために、地下に埋めた人骨が発見され証拠として利用されないように、完全に焼却し灰にすることで、骨を残さないようにするためでした。
この作業の後プワシュフ強制収容所は閉鎖され、収容していたユダヤ人全員がアウシュビッツ絶滅収容所に送られることになりました。
話を聞いたシンドラーは、妻と共に生まれ故郷のズデーテン地方のブリュンリッツに新たに工場を開き、今まで雇っていたユダヤ人をアーモン・ゲートから買い取り操業を開始しました。
ブリュンリッツに残るシンドラーの工場 出典ウィキペディア
創業から7か月たってもドイツ軍向けの砲弾は不良品(わざと不良品を作っていた)ばかりで、売り上げはゼロ。ついに破産寸前まで行きます。
ちょうどその時、ラジオからドイツが無条件降伏したとのニュースが流れ、シンドラーと彼の工場で働いていたユダヤ人たちは、生き延びることに成功しました。
最後のシーンで、シンドラーが『一人を救うものは、世界を救う』と書かれた指輪を送られ、泣き崩れる場面がありますが、私はそのあとの、シンドラー夫妻が縦縞の囚人服を着て工場を後にする場面に注目します。
これはドイツ人全体が、600万人のユダヤ人を殺した罪と、その償いを問われることを意味します。
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