なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

イラク戦争開戦の「大量破壊兵器」のウソを暴け。その3 映画 「バイス」イラクが「大量破壊兵器」を持っていると捏造して、イラク戦争をはじめた張本人の話です。

time 2021/11/30

イラク戦争開戦の「大量破壊兵器」のウソを暴け。その3 映画 「バイス」イラクが「大量破壊兵器」を持っていると捏造して、イラク戦争をはじめた張本人の話です。

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亀仙人2

映画 「バイス」

2018年 アメリカ

イラクにあったとされていた「大量破壊兵器」を利用して、アメリカ国民をイラク戦争に引き入れたチェイニー副大統領を主人公とした映画です。

題名の「バイス」は副大統領を意味する「Vice President」から来ています。

この映画では、なぜ彼が大統領をも超える権力を持つようになったか、その過程を追って行きます。

アイキャチ画像の写真はデック・チェイニー(本人) 出典ウィキペディア

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監督
アダム・マッケイ
脚本
アダム・マッケイ
製作
ブラッド・ピット
デデ・ガードナー
ジェレミー・クライナー
ミーガン・エリソン
ケヴィン・メシック
ウィル・フェレル
アダム・マッケイ
製作総指揮
チェルシー・バーナード
ジリアン・ロングネッカー
ロビン・ホーリー
ジェフ・ワックスマン
ナレーター ジェシー・プレモンス
出演者
クリスチャン・ベール
エイミー・アダムス
スティーヴ・カレル
サム・ロックウェル
タイラー・ペリー
アリソン・ピル
ジェシー・プレモンス
音楽
ニコラス・ブリテル
撮影
グリーグ・フレイザー
編集
ハンク・コーウィン
製作会社
プランBエンターテインメント

映画『バイス』のあらすじと解説

ここからは映画のあらすじ(ネタバレあり)と、映画を見る時に必要な出来事の解説を行います。

9.11までのディック・チェイニー

彼は名門イェール大学に入ったのにもかかわらず、毎日酒と喧嘩ばかりで、大学を退学させられてしまった。その後も荒れた生活は続き、飲酒運転で2回も逮捕される状態でした。

このあたりは、副大統領として勤めたジョージ・W・ブッシュ大統領の若い時と似ています。

ブッシュ大統領の映画はこちら ↓

この映画は父親のジョージ・H・W・ブッシュに認められてもらいたくて大統領になり、父親が果たせなかった、サダム・フセインを倒す話でした。

チェイニーの妻リンは非常に頭がよく、学校の成績は常にオールAでした。しかし当時は女性であるため、名門大学にも行けず、経営者や市長への道も閉ざされていました。彼女は、その夢をチェイニーに託したのでした。

話を聞いたチェイニーは改めてコロンビア大学に入学し、1968年連邦議会インターシップを利用して政治の世界に入り、ニクソン大統領時代の、1969年からは経済機会局局長のドラルド・ラムズフェルドの下で働き始めました。

2003年、イラク戦争を主導することになるチェイニーとラムズフェルドのとの関係は、この時から始まります。

彼に与えられた仕事は、ラムズフェルドが議会で政策を説明する時に使う、いろいろなパネルを作ることでした。

彼はラムズフェルドに働きぶりを認められ、狭いながらも専用の事務室を与えられました。チェイニーはさっそく自分の部屋から妻のリンに電話して、喜びを分かち合います。

ある日、キッシンジャー国務長官の部屋にニクソン大統領が入っていくのを見て、ラムズフェルドは「あれはカンボジアへの爆撃の相談をしているのだ」とチェイニーに教えました。

それに対してチェイニーが「それは、理念と違うのではないか」と尋ねたところ、ラムズフェルドは大笑いしてしまいました。

ニクソンは大統領選挙において、拡大する一方のベトナム戦争から、54万人ものアメリカ軍を削減する「名誉ある撤退」を訴えていました。

ニクソンが大統領になると、キッシンジャー国務長官は、北ベトナムとベトナム戦争終結に向けて、和平交渉を行っていました。チェイニーの言っていた「理念」とはこのことです。

しかし、アメリカは和平交渉が始まると、かえって北ベトナムへ爆撃を強化したほか、北ベトナムから南ベトナムへの補給ルート(カンボジアルート)であるカンボジアへの爆撃を行いました。また当時のカンボジアは食料生産が豊富で、輸出用のコメの4分の1が北ベトナムや南ベトナムに流れていました。これもカンボジア爆撃の一因です。

それと同時にキッシンジャー国務長官は、北ベトナムを支援していたソビエトを訪問して第一次戦略兵器制限条約(SALT1)を締結したり、周恩来中国首相との直接交渉で米中和解への道筋を付けたりして、北ベトナムの孤立化を図りました。

ただ単に北ベトナムと交渉して、戦争を止めようと会談すれば、和平交渉が成功するのでは、ないのです。これが政治の実態です。

1973年、ラムズフェルドは元々軍事・防衛が専門であった為、経済・労働関係の経済機会局から外され、ベルギーのブリュッセルで北大西洋条約機構(NATO)アメリカ大使に就任しました。この時、チェイニーも一緒に誘われましたが、4歳と7歳の娘がいるために断り、大手金融会社で政治顧問として働き、大金を稼ぎます。

1974年8月9日、ニクソン大統領がウォーターゲート事件によって辞任して、フォード副大統領が、大統領に就任しました。

この時、ラムズフェルドとチェイニーは、共にワシントンを離れていたことで事件に巻き込まれず、ラムズフェルドは国防長官にチェイニーは首席補佐官に、ともに史上最年少で就任しました。

一元的執政府論( Unitary executive theory )

映画では、ウォーターゲート事件によって大統領の持つ権限について疑問を感じたチェイニーは、法律顧問事務所のアントニン・スカリア弁護士の所に訪れて、大統領権限の範囲について尋ねました。答えは

『無制限。米国憲法第2条によれば、絶対的行政権を大統領に付与している。』

でした。

つまり大統領は何をしても全て合法である、とのことです。昔の国王や、現代の独裁者並みの権力を持っているのです。これを聞いてチェイニーは、絶対的権力を持つ大統領を、目指すことにしました。

 

ところが世の中はそんなにうまくいくはずがなく、2年後の1976年のアメリカ大統領選挙で、フォード大統領は僅差でジミー・カーターに敗れ、チェイニーは首席補佐官の職を失ってしまいました。

1978年から1989年まで連邦下院議員として務めていました。その間1981年下院・政策委員長、1987年から議員を辞める1989年までは共和党の下院院内幹事に就任しています。

この期間に決定された最大のことは、テレビ・ラジオ等の放送ライセンス保持者に対する、米国連邦通信委員会(FCC)の公平性の原則を撤廃させたことです。これによりFOXニュースなど政府寄りの偏った放送が広がり、イラク戦争開始に先立って政府の広報ばかり流し、大量破壊兵器に対する疑惑や、嘘を暴く報道がされぬか扱いが小さくされ、アメリカ国民のイラク開戦に賛成する世論形成に大きな影響を与えることになりました。

ジョージ・H・W・ブッシュが大統領に当選すると、チェイニーは国防長官に就任します。

1990年イラクによるクウェート侵攻が始まるとチェイニーは、サウジアラビアと交渉してアメリカ第3軍の駐留に合意させました。しかしこれは、イスラム教の聖地であるメッカとメディナのある国に、キリスト教国のアメリカの軍隊の駐留に反対するウサマ・ビン・ラディンの反米思想を高めることになり、9.11同時多発テロの原因となりました。

湾岸戦争に勝利したことで、チェイニーは時期アメリカ大統領の候補に上がりましたが、次女のメアリーが同性愛者であることから政争の的にされることを恐れ、大統領選出馬を諦めました。

1995年、チェイニーは石油関連の大企業ハリバートン社のCEO(最高経営責任者)となり、ヴァージニア州の田舎で悠々自適の生活をおくりました。

これで映画は・・・・・終わりませんでした。

9.11とイラク戦争

副大統領(Vice President)

2000年、アメリカ合衆国大統領選挙に出馬予定のテキサス州知事ジョージ・W・ブッシュから、副大統領候補に上げられ一度は断りましたが、ブッシュと交渉して大統領の事務的な任務、例えば軍の管理とか官僚の監督、国内政策や外交政策など雑多な部分の仕事を任せてもらえれば就任すると答え、了承を得られました。

こうしてチェイニーは、ジョージ・W・ブッシュ大統領が持つ権限の大部分を受け継ぎ、「史上最強の副大統領」とも「影の大統領」と言われるほどの権力を握ることになりました。

2001年、ブッシュが対頭領に就任すると、チェイニーは大統領に代わり内閣を組織します。

その中には急進派のラムズフェルドが国防長官に、先代ブッシュ政権下で政策担当国防次官であったウォルフォウィッツは国防副長官、同じく国防次官補であったルイス・リビーがチェイニー副大統領の副大統領首席補佐官とブッシュ大統領の大統領補佐官に就任しました。

このうち、ラムズフェルドを除く二人と、チェイニー副大統領の3人は湾岸戦争終了直後の1992年3月、次の国防政策指針を出していました。

1992年3月、先代ブッシュ政権下で非主流派に甘んじていたディック・チェイニー(国防長官)、ポール・ウォルフォウィッツ(政策担当国防次官)、ルイス・リビー(国防次官補、肩書きは何れも当時。またこの3人は全員ネオコン)らによって取りまとめられた46ページに及ぶ極秘事項の国防文書にある。その骨子は次のようなものである。

・世界の秩序は米国によって維持されなければならない。必要とあらば米国は、単独でも行動する。
・大量破壊兵器の製造及び使用、若しくはその恐れのある国家に対しては先制攻撃も辞さず、ミサイル防衛の整備は急務である。
・圧政国家、とりわけ、イラン、イラク、北朝鮮の脅威に対する対処は急務である。

しかし、同政権下ではジェームズ・ベーカー国務長官やコリン・パウエルアメリカ統合参謀本部議長らの影響力が絶大で、同文書が日の目を見ることはなかった。

引用 ウィキペディア

この考えは9.11後に『テロリストおよび大量破壊兵器を拡散させかねない「ならず者国家」に対し、必要に応じて先制的自衛権を行う』というブッシュ・ドクトリンに受け継がれ、2003年からのイラク戦争を正当化するために使われました。

9.11同時多発テロからイラク戦争

2001年9月11日同時多発テロ発生時、ブッシュ大統領はフロリダの小学校に視察のためでかけており不在だったためチェイニー副大統領は、ホワイトハウス地下にある大統領危機管理センターで大統領に変わり陣頭指揮を執りました。この時、映画の冒頭で出ているように、ラムズフェルド国防長官から『(ワシントンに向かっている)民間の旅客機を撃墜させても良いかと』の問いに、チェイニーの自主判断により『いかなる航空機も、脅威と見なせば撃墜できる』と答え、後に問題となりました。

この飛行機はユナイテッド航空93便で、乗客たちがテロリストに立ち向かってワシントンの手前ペンシルベニア州、ピッツバーグ郊外に墜落させ、乗員、乗客44名(ハイジャック犯4名も含む)全員が死亡しました。

詳しくはこちらを見てください ↓

自分たちが乗っている飛行機がハイジャックされ、テロの道具になるのを知った乗客たちは、「映画」 ユナイテッド93

9.11同時多発テロから、アフガニスタン攻撃決定までの官邸の動きは、こちらで解説しています、注目すべきは、この時点でイラク攻撃の意見が出ていたことです。↓

映画 「DC911」9.11アメリカ同時多発テロ発生から、アフガニスタン侵攻を決定するまでの、ホワイトハウスの動きを記録した映画です。

地下室に避難した閣僚の中、チェイニー副大統領は絶対的な大統領権限をふるえる、大きなチャンスが来たと見ていました。

同時多発テロから1週間後の2001年9月18日米国議会の共同決議によって、軍事力の使用の許可(AUMF)が可決されました。

この承認により、大統領は、9月11日の攻撃を「計画、承認、コミット、または支援」したと判断した者、またはその人物やグループを収容した者に対して、すべての「必要かつ適切な力」を行使する権限を与えられました。

引用 Wikipedia

これこそ、ディック・チェイニーが望んでいた一元的執政府論に基づく、絶対的な大統領権限でした。

チェイニーは、ジョージ・W・ブッシュ政権の法律顧問としてジョン・アシュクロフトアメリカ合衆国司法長官の長官補代理を務めていたジョン・ユーの意見をとり入れ、2001年10月26日、テロリストに法的保護は必要ないとして予防戦争(自衛のための先制攻撃)を認め、さらにNSA(アメリカ国家安全保障局)による令状なし盗聴プログラムを正当化する米国愛国者法を成立させました。またグアンタナモ湾収容キャンプでの拷問(強化尋問)や無期限拘留を認めました。

これらの処置は、個人の人権や権利を大幅に制限するものでしたが、テロの恐怖におびえていたアメリカ国民は、これを受け入れてしまいました。

この後ブッシュ政権はペンタゴンに特殊作戦室を設置して、イラクのサダム・フセインが大量破壊兵器を持っており、さらにそれを使用する脅威を広め始めました。

 

2002年10月2日ブッシュ大統領はアメリカ国議会で「イラク決議」を発表し、2002年10月16日米議会は「 イラクに対する米軍の使用を承認する共同決議」を可決し、ブッシュ大統領がイラクに対して「必要なあらゆる手段を使用する」ことを承認しました。

2002年10月2日、イラク決議を発表するブッシュ大統領。

周りの人たちは、米国議会の議員たち。

出典 Wikipedia

これによりブッシュ大統領は、9.11に続きイラク戦争でも戦時大統領として、一元的執政府論に基づく絶対的な大統領権限を得ました。

それでもアメリカ国民によるイラク戦争賛成の支持率は53%しかなく、イラク戦争反対派の代表格であるパウエル国務大臣に国連の安全は保障委員会で、世界各国に向けてイラク戦争支持の演説をするようブッシュ大統領は命じました。

2003年2月5日、パウエル国務大臣による国連安全保障理事会でイラク攻撃の必要性を説き、アメリカ国民の70%がイラク戦争を支持するようになりました。

しかし、ソ連、フランス、中国の3か国が大量破壊兵器所持の根拠が不十分だとしてイラク戦争に反対を表明したため、国連軍の派遣はできなくなり、アメリカ主導の有志連合でイラクを攻撃することになりました。

2003年3月17日、ブッシュ大統領は全米のテレビ演説で『48時間以内にサッダーム・フセイン大統領とその家族がイラク国外に退去するよう命じ』、全面攻撃の最後通牒を行ないました。

2003年3月19日、最後通牒の予告通り米英軍の空襲を皮切りに『イラクの自由作戦』の計画通りに、イラクへの侵攻を開始しました。

2003年5月1日 、ブッシュ大統領が空母エイブラハム・リンカーン上で『大規模戦闘終結宣言』を行い、イラクへの侵攻作戦は終了しました。翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた『新しい夜明け作戦』が始まった。

こうして始まったイラク戦争は、2011年12月14日、米軍の完全撤収によってバラク・オバマが、イラク戦争の終結を正式に宣言するまで続きます。

この間に、映画では3つのエピソードを取り上げています。

  1. チェイニーが副大統領になる前にCEOを務めていたハリバートン社の子会社 KBR社が、無入札で多額のイラク復興事業や、駐在アメリカ軍の後方支援事業を受注したという疑惑が起こりました。これには、チェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官が、疑惑を否定して終わりました。
  2. チェイニーが狩猟中に一緒にいた仲間を撃ち、負傷させた事件が起こりました。ところがチェイニーは一切謝罪せず、反対に撃たれた方がチェイニーに心配かけたと謝るという、テレビニュースの画像が出ています。まさかこんなことはないだろうと調べたところ、本当だったようです。Wikipediaにディック・チェイニーの狩猟事故として載っていました。
  3. 2003年7月6日、ニューヨークタイムズに”What I Did’t Find In Africa(アフリカで見つけられなかったもの)”と題した記事が掲載されました。これは、イラクが大量破壊兵器開発の一環として、核の原料であるウランをニジェールから輸入していたとするアメリカ政府の主張に疑問を持った外交官ジョゼフ・ウィルソンが現地調査をした結果、そのような事実はないと証明した記事です。アメリカ政府はこの記事は正しいと認めましたが、チェイニー副大統領はルイス・リビーを通じて、ウィルソンの妻ヴァレリー・ウィルソン(結婚前の姓名はヴァレリー・プレイム)がCIAで大量破壊兵器を扱う部門の秘密工作員であることをリークしてしまいました。これにより、ウィルソン夫妻関係の方に世論の興味が移ってしまい、ニジェールからのウランを輸入した政府発表の虚偽の事実の対する追及が薄くなりました。ルイス・リビーはCIA工作員の名前を明かした罪で、禁固2年6ヶ月の実刑判決を受けました(プレイム事件)。

プレイム事件の詳しい説明はこちらを見てください ↓

イラク戦争開戦の「大量破壊兵器」のウソを暴け。その1 映画 「フェア・ゲーム」 

これを見ると大きな権力を握ると、何をやっても罪にならないことが分かります。

2004年10月6日、イラク調査団の団長チャールズ・デュエルファーは、開戦時イラクに大量破壊兵器は存在しなかったとする最終報告(デュエルファー・リポート)を米議会上院軍事委員会の公聴会に提出しました。

これにより、穏健派であるパウエル国務長官とブッシュ大統領の取り巻きであるネオコンとの間で軋轢が生じ、大統領選挙で勝利しブッシュ大統領の2期目が確定した2004年11月15日パウエルは国務長官辞任を発表しました。歴史学者のWalter LaFeberによれば、11月ブッシュ大統領は「パウエルに辞任を強いた」とされています。後任の国務長官にはコンドリーザ・ライスが指名されました。

2005年12月15日、ブッシュ大統領はテレビ演説でイラクに大量破壊兵器がなかったことを認めました。しかし、サダム・フセインを倒したことでイラク戦争は間違いでなかったと主張します。

2006年11月8日に行われた中間選挙で、民主党に大敗し連邦議会上下両院の多数派の座を奪われてしまいました。このためブッシュ大統領はイラク戦争の首謀者であるラムズフェルド国防長官を辞任させました。この辞任に対してチェイニー副大統領はラムズフェルド国防長官に対して、何の手も打ちませんでした。

チェイニーはブッシュ大統領と共に在任期間一杯の2009年1月20日まで、副大統領職に就いていました。

 

最後に映画では、チェイニーは副大統領辞任後、ABCNewsのマーサ・ラダッツのインタビューを受けこう発言しています。

感じているとも、私を責める声も、非難の嵐も、だが私は平気だ。

愛されたきゃ映画スターになれ。

世界は見ての通りだ、この現実に対処にねば。世界には怪物がいる。

我々は見た。3000人もの罪のない人々が、八ラン異物によって焼かれ死ぬのを、なのに避難か。

私が怪物へのキスを拒否し、”やめて”と懇願しないかにと。

では聞こう、どんなテロなら、阻止しなくても、下劣でひどい奴に見えずに済むのか?。

私は誤らない。国民の安全を守っている。

私は誤らない。すべきことをしているからだ。

皆の愛する人々が、安心して眠れるように。

私は光栄だ。国民に仕えて。

選挙で選ばれて、国民に頼まれたことを実行した。

DVDの字幕より

しかし、9.11同時多発テロは、本気で防ごうとしたら防げた可能性がありました。
2001年8月6日、CIAは PDB(米国政府の担当部局が毎日作成し、米国大統領に毎朝届けられる最高機密文書)で”ビンラディンが米国内での攻撃を決意”したと伝えても、これを無視していました。

2001年8月15日、フランス人のアルカイダ ”ザカリアス・ムサウィ” が飛行学校から、大型ジェット機のボーイング747(通称ジャンボジェット)の操縦シュミレーションを受けていたが、着陸に興味がなかったため不思議に思った教官によりFBIに通報されました。

通報を受けたFBIは、全米の飛行学校に在籍したアラブ人の中でアルカイダと関係のある98人の名簿を作成しました。この名簿の中に、9.11テロの実行犯ハリード・アル=ミンザールナワーフ・アル=ハーズミーの名前が載っていたのです。これもブッシュ大統領は『ハエたたきには興味がない』と言って無視してしまいました。

このあたりの詳しい事情はこちらをご覧ください ↓

9.11はなぜ防げなかったのかドラマ『倒壊する巨塔-アルカイダと「9.11」への道』 Vol.5

サダム・フセインが大量破壊兵器を持っているとの情報を捏造して初めてイラク戦争で、米兵の死者 4550人、イラクの民間人の死者60万人以上、イスラム国による死者推定15万人、シリアとイラクでのテロによる民間人の死者2000人以上、イラク侵攻後の数年で、ハリバートンの株は500%上昇しました。これによりハリバートンのかってCEOであり、大株主のチェイニーは退職金の追加と、株式の高騰で大儲けしました。

権力と、金のためなら何10万人死のうが気にしない、とてつもない怪物は実在していたのです。

 

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