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亀仙人2第1次世界大戦の始まり
シュリーフェン・プラン(独)とプラン17(仏)
第1次世界大戦開戦に当たって、ドイツはフランスとロシアの両方から挟み撃ちになるため、1905年参謀総長シュリーフェンによって練られたシュリーフェン・プランという作戦計画によって行動した(下の地図の赤い点線部分)。原案ではロシアが広大な領土で動員に時間がかかるのを見越して、全力でベルギーからフランス北部に侵入し、大きく回り込みアルザス・ロレーヌ地方を攻撃中のフランス軍を背後から襲い、フランスに勝利し、その後急いで東部戦線に戻り、ロシアと戦う計画。40日でフランス軍に勝つつもりであった。
フランス軍はプラン17という作戦計画を持っており、普仏戦争でドイツに奪われたアルザス・ロレーヌ地方に兵力を集中し、そのままドイツに攻め込む予定であった(下の地図の黒線部分、下から第1軍、第2軍・・・となる)。
ウィキペディアより
実際のシュリーフェン・プラン
ドイツ陸軍のヘルムート・フォン・モルトケ(普仏戦争時の参謀総長だったモルトケの甥、小モルトケと呼ばれる)は、開戦と同時の8月4日シュリーフェン・プラン通り、ベルギー東方のリエージュから国境を越え、ベルギーとルクセンブルクに侵攻した。リエージュはブリュッセルを通りパリまで続く鉄道の始点に当たる。
ベルギーの中立を求めていたイギリスはドイツに宣戦布告し、イギリス海外派遣軍(BEF)をベルギーに派遣した。
ベルギー軍はリエージュを取り囲む要塞に立て籠もって抵抗したが、後にヒンデンブルクと共にドイツ軍を指揮するルーデンドルフによって2日で敗れてしまった。ベルギーは撤退するとき橋や鉄道を破壊し、さらにアントワープから抵抗をつづけためブリュッセルに到達したのは8月20日になった。これは速やかにベルギーを通過するつもりのモルトケにとって大きな誤算であった。また鉄道の破壊は最右翼を進む第1軍の補給を困難にした。
8月22日ベルギーのフランス寄りの町モンスでイギリス海外派遣軍とドイツ軍との戦闘が始まった。これが第1次世界大戦でイギリス軍の最初の戦いである。
8月24日ドイツ軍はパリに向かって逃げるイギリス軍を追ってフランスに入る。そのまま進軍を続け、9月1日にはパリから50キロの地点まで達した。
シュリーフェン作戦の実際
上から第1軍、第2軍・・・と続く
・マルヌの戦い
強すぎて負けたドイツ軍と、弱すぎて勝ったフランス軍。
ドイツがベルギーに侵入したころ、フランス軍はプラン17に従って主力の第1軍、第2軍がアルザス・ロレーヌ地方に侵攻した。初めはフランス軍をドイツ領内におびき入れるために退却していたドイツ軍だが、単純に突撃を繰り返すフランス軍に、機関銃と野砲で応戦したところ、フランス軍は甚大な被害を受け逃げ帰ってしまった。
イギリス軍と一緒にベルギーとフランスの国境を守っていたフランス第5軍は、8月23日シャルルモアの戦いで敗れ、イギリス軍を置いてさっさと退却してしまった。
残りのフランス第3軍と第4軍は、アルデンヌの森に進撃しドイツ軍を撃退しようとした。ところが2倍の人数を有するドイツ軍の反撃を受け8月23日に敗退した。
このように情けないほど弱いフランス軍であったが、かえってこのことがフランスを救うことになった。
パリ近郊まで勝ち続けてきたドイツ第1軍だが、第2軍と大きく離れたうえ、1か月に及ぶ戦闘と進軍による疲労と、補給の遅れによる食糧不足で戦闘出来る状態ではなかった。
これを助ける第2軍と第3軍は、ロシア軍が東プロイセンに攻めて来たため、それぞれ2個師団を引き抜かれ東部戦線に送られてしまった。これにより両軍とも大きく人員を減らし、第1軍を助けることが出来なくなった。
これに目を付けたフランスの総司令官ジョフルは、パリ防衛のため急きょ掻き集めた第6軍をドイツ第1軍の右側から、また戦闘の停止で一息ついていたイギリス軍をドイツ第1軍と第2軍の間に進軍させ、ドイツ第1軍の左側から攻撃させた。その他敗走したフランス軍を立て直し、ドイツ第2軍から第5軍に当て反撃を開始した。
9月5日から10日にかけてのマルヌの会戦でドイツ軍は退却を余儀なくされ、エーヌ川で防御のため塹壕を構築した。
フランス側も塹壕を作り、お互いに塹壕の後方に回り込まれるのを防ぐため、横に拡張し最後はスイス国境から北海まで続く一本の線となり、西部戦線が形成された。
これにより、シュリーフェン・プランは頓挫してしまいました。
タクシーでパリからマルヌまで送られる兵士達
パリ防衛のため急いで作られたフランス第6軍は、前線に兵を送る手段がないため、パリ中のタクシーを集め兵士を前線に輸送した。
・塹壕戦で活躍 機関銃
1884年アメリカ生まれのイギリス人ハイラム・マキシムによって、銃の発射時生ずる反動を利用して連続射撃ができる機関銃が作られました。
本格な戦闘で使われたのは1904年の日露戦争でロシア軍に使われ、203高地の頂上に設置された、機関銃で日本軍が大きな損害を出しました。
第1次世界大戦開戦時には、防御を重視するドイツでは12000丁の機銃を持っていましたが、ナポレオン戦争からの大砲で敵陣を叩いた後、騎兵と歩兵の突撃を重視するイギリス・フランスは両軍合わせて数百丁どまりでした。
アイキャッチ画像の機関銃は、第1次世界大戦のドイツ軍で使われたMG08マキシム型機関銃の動画です。特徴は台座を工夫して簡単に設置でき、また一人でも運べるようにしたところです。この機関銃の仕組みを解説した動画があります。こちらをご覧ください。
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