なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 『アルゴ』イラン革命のときCIAがとった奇想天外な作戦とは? 

time 2017/12/19

映画 『アルゴ』イラン革命のときCIAがとった奇想天外な作戦とは? 

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亀仙人2

映画 「アルゴ」

2012年  アメリカ

1979年11月4日イラン革命のさなか、アメリカがパーレビ前国王の入国を許可したことに対する連日のデモが過激化して、デモに参加していた学生たちの一部がアメリカ大使館内に侵入しました。
学生たちは大使館職員52人を人質に取り、前国王の身柄をイラン政府に引き渡すよう要求しました。
大使館襲撃の時領事部にいた6人のメンバーが、アメリカ大使館から脱出してカナダ大使公邸に逃げ込みました。
この映画はカナダ大使公邸に逃げ込んだ6人を助けるため、CIAとカナダ政府が行った奇想天外な作戦を描いています。

監督
ベン・アフレック

脚本
クリス・テリオ

原作
アントニオ・J・メンデス(英語版)
『The Master of Disguise』
ジョシュア・バーマン(英語版)
『The Great Escape』

製作
ジョージ・クルーニー
グラント・ヘスロヴ
ベン・アフレック

製作総指揮
クリス・ブリガム
チェイ・カーター
ティム・ヘディントン
グレアム・キング
デヴィッド・クローワンズ
ニーナ・ウォラースキー

出演者
ベン・アフレック
ブライアン・クランストン
アラン・アーキン
ジョン・グッドマン
ヴィクター・ガーバー
テイト・ドノヴァン
クレア・デュヴァル
スクート・マクネイリー
ロリー・コクレーン
クリストファー・デナム
ケリー・ビシェ
カイル・チャンドラー
クリス・メッシーナ

音楽
アレクサンドル・デスプラ

撮影
ロドリゴ・プリエト

編集
ウィリアム・ゴールデンバーグ

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解説とあらすじ(ネタバレいっぱい)

  • 脱出計画の作成

1979年11月4日、テヘランのアメリカ大使館にデモ隊が乱入し、大使館内部が混乱状態になった時からこの話が始まります。

大使館員たちは機密書類を焼却処分しようとしましたが間に合わず、一部はシュレッダーにかけ裁断しました。

シュレッダーにかけられた書類 出典 ウィキペディア

裁断された書類はこの後、学生や主婦らによって復元され、大きな意味を持ってきます。

この騒動の中、領事部の6名がアメリカ大使館が脱出し、カナダ大使公邸に逃げ込みました。

事件から69日たち、CIA職員のトニー・メンデスは本部に呼び出されこの6人をイランから脱出させる作戦を作るように命じられます。トニー・メンデスは人質や要人を国外に脱出させるその道のプロです。

国務省が立てたプランは、480キロの道を自転車で移動して国境の山岳地帯を越えるものや、雪の中、農業の視察に来た視察団に紛れ込ませて脱出させるプラン、イラン中の外国人学校が閉鎖され外国人教師が追放されているにもかかわらず、外国人教師として国外に移動させる計画など、碌なものがありませんでした。

事件から74日後の1980年1月16日、離れたところにいる息子と電話で話していたトニー・メンデスは、息子が今「最後の猿の惑星」をテレビで見ていると聞き、チャンネルを変えて一緒に見ているうちにある作戦を思い付きました。

SF映画で使う砂漠のシーンを撮りに来たカナダ映画のロケハンの一行として、脱出させる作戦です。

1980年1月19日、トニー・メンデスはハリウッドに行き、脱出作戦の具体的な段取りを作るためチェンバースと会います。

チェンバースは「猿の惑星」「スパイ大作戦」などで特殊メイクや変装を担当し、過去にはオスカーを受賞したことのある名人です。このため要人を国外脱出させるために必要な変装の技術をCIAに教えていた関係で、トニー・メンデスと繋がりを持っていました。

チェンバースは、偽映画と言え作戦を成功させるためには有名なプロデューサーをたて、実際に映画を作る段取りでやらないとダメだと教え、名プロデューサーのレスターを紹介してくれました。

レスターは実際に作るときと同じように、出演する役者を集めて、ロスアンジェルスの高級ホテル、ザ・ビバリー・ヒルトンで映画の製作発表を大々的に行います。アイキャッチ画像のポスターは、実際その時に作られた偽映画「アルゴ」の製作発表のポスター(出典ウィキペディア)です。映画でチラッと出てきます。

この政策発表の様子はマスコミに取り上げられました。

1980年1月25日、すべての段取りを整えたトニー・メンデスは国務省に戻り、国務長官とCIA長官に計画の詳細を説明しました。

その結果、この計画はアメリカ合衆国に認められました。

  • 作戦の実行

1980年1月27日、トニー・メンデスはトルコ経由でイランに入りました。最初にイランの文化・イスラム指導省に行き撮影許可の申請書を提出します。そののちカナダ大使公邸で6人の脱出予定者と会い、計画を説明しました。

翌日、文化・イスラム指導省から撮影の許可が下り、担当者と実際に撮影に使われるバザール(市場)で会うことになります。予定より早く、一行の身分を偽装する必要に迫われました。

この一方、アメリカ大使館で裁断された書類の復元作業が進んで、人質となった大使館員の人数と書類に記載された人数が合わないことや、館員の顔写真がわかりかけてきます。

担当者の案内でバザールを見学している一行は、秘密裡に写真に撮られ革命防衛隊にまわされました。

イランを離れる前日、上司から作戦中止の命令が伝えられました。

イラン脱出予定の日の朝、トニー・メンデスは独力で6人を脱出させることをCIAに伝えました。CAIは6人を見殺しに出来ず総力を挙げてサポートすることにします。カーター大統領は作戦の継続を承認しました。

飛行機に乗る直前、一行は革命防衛隊に疑われ事務所に連行されてしまいます。それまでこの計画に反対していたジョーが、得意のペルシャ語で映画の説明をしました。係員はロスアンジェルスの事務所に電話して確認を取りました。その結果、確認がとれ、一行は無事飛行機に乗り込みます。

離陸直前、パサールで撮られた写真の中にアメリカ大使館員の一人が混じっていることが分かり、革命防衛隊が出国阻止に向かいましたが間に合いませんでした。

カナダ大使館で、革命防衛隊から一行の存在を庇った使用人のサハルも、陸路でイラクに出ることが出来ました。

この作戦はカーター大統領が残った人質のことを考え、カナダ政府が行ったことにしてCIAの関与は機密にしました。

1997年、クリントン大統領により作戦の全貌が公開され、この映画は公開された記録を参考に作られました。

第85回アカデミー賞作品賞を受賞しています。

 

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