なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 『オフィシャル・シークレット』イラク戦争におけるイギリス政府の陰謀を暴いた映画です。

time 2021/12/21

映画 『オフィシャル・シークレット』イラク戦争におけるイギリス政府の陰謀を暴いた映画です。

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亀仙人2

映画 オフィシャル・シークレット

2019年  アメリカ・イギリス

イラク戦争開戦直前、イギリスの政府通信本部(GCHQ)に勤めているキャサリンのもとに、イラク戦争に関する国連安全委員会の決議を有利にするためアメリカ国家安全委員会 (NSA)から、非常任理事国6か国の通信を傍受するよう依頼するメールが届きました。

かねてからイラク戦争に疑問を持っていた彼女は、そのメールをコピーして報道機関にリークしてしまいます(キャサリン・ガン事件)。

アイキャッチの画像は、主人公のキャサリンが勤務していた、イギリスのチェルトナムにある政府通信本部(GCHQ)の建物です。場所は市の中心部と西側の空港を結ぶ線の真ん中に位置してます。出典ウィキペディア

監督 ギャヴィン・フッド
脚本 ギャヴィン・フッド
グレゴリー・バーンスタイン
サラ・バーンスタイン
原作 マルシア・ミッチェル、トーマス・ミッチェル『The Spy Who Tried to Stop a War
製作 ゲド・ドハティ
エリザベス・フォーラー
メリッサ・シュー・ツォ
製作総指揮 エヴェン・ベアントセン
クローディア・ブルームフーバー
ヒューゴ・ヘッペル
アン・シーアン
サラ・スミス
マーク・ゴードン
コリン・ファース
マット・ジャクソン
出演者 キーラ・ナイトレイ
マット・スミス
リス・エヴァンス
マシュー・グード
音楽 ポール・ヘプカー
マーク・キリアン
撮影 フロリアン・ホーフマイスター
編集 ミーガン・ギル
製作会社 クリア・ピクチャーズ・エンターテインメント

あらすじ(ネタバレあり)と解説

この映画は大きく分けた3つの部分に分かれます。

  1. なぜ、彼女は国家機密である国連安保理事会の非常任理事国6か国の通信の傍受を、報道機関にリークすることを決めたか。
  2. 彼女から渡された通信の傍受を示すメモを報道する前に、本物であるかどうか確認を取るために、イギリスのガーディアン紙の記者たちの活躍。
  3. リークした後彼女はイギリスから、国家機密法違反で告訴されました。告訴から裁判の判決までの国と弁護士たちの戦いの部分。

です。

この3つの流れに沿って解説していきます。

1、なぜ彼女は国家機密を漏洩することを決めたのか。

当時キャサリンはイギリス政府通信本部(GCHQ)に勤務していて、中国の衛星通信や電子メールなどから得られた情報を翻訳して、政府に渡す仕事をしていました。

キャサリンは3歳の時両親と一緒に台湾に渡り、16歳まで現地のミッションスクール(モリソン・アカデミー、対中馬礼学院)に在籍し、その後イギリスに戻りイギリスで3番目に古いダラム大学で中国語と日本語の学位を収得しました。その後日本のJET プログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)に応募して、広島でアシスタント英語教師として仕事をしました。

1999年、彼女は研究者の道を進むためにイギリスに戻りましたが、なかなか採用されず、2001年に中国語の翻訳者を求めていた、イギリス政府通信本部の新聞広告を読んだ応募しました。応募した時には、そこがスパイ活動をしている場所だとは知らなかったようです。

この映画の時には、フセイン政権から逃げてトルコに亡命してきてイギリスに移民申請をしているクルド人の夫、ヤーサー・ガンと一緒に暮らしていました。

キャサリンは、大量破壊兵器所持している証拠は存在しないとの国連調査委員会の意見を無視してイラクに対して軍事制裁を訴えているアメリカのブッシュ大統領と、それに同調してイラクと戦争を始めようとしているブレア首相には反対の立場をとっていました。

2003年1月31日、出勤したキャサリンのもとに、アメリカ国家安全保障局(NSA)のフランク・コーザからのメールが届きました。

内容は、国連安全保障理事会の非常任理事国(アンゴラ、カメルーン、チリ、ブルガリア、ギニア、)の動向を探って欲しいとのものです。

この頃にはアメリカのブッシュ大統領やパウエル国務長官がサダム・フセインが大量破壊兵器を持っているとして、イランへの攻撃に賛成するよう国連安全保障委員間に働きかけていました。このため安保理の投票権を持つ上記6か国が賛成するか、反対に回るか、その動向を探って欲しい、との要請でした。

キャサリンは、イラク戦争を開始するためにアメリカの要請に従って上記6か国の盗聴に同意したブレア首相の行いに反対するため、このメールをリークすることにしました。

2 リークされたメールが本物かどうか。確かめるためにガーディアン紙の記者たちは、どう動いたか。

キャサリンは、元GCHQの職員で今は反戦活動をしているジャスミンにメールのコピーを渡し、知り合いの記者に渡すよう頼みました。

オブザーバー紙(イギリスの一般紙ガーディアンの傘下で、日曜日だけ発行している)記者をしているマーティンは、イボンヌからこのメールの写しを渡されました。

2010年のイボンヌ・リドリー、イギリスのジャーナリスト。

彼女は2001年9月28日、アフガニスタンで取材中ダリバンに捕らえられ、拘束されました。拘束中にコーランを読み、イスラム教に改宗しました。2003年からはカタールのアルジャジーラに雇用され、英語版のウェブサイトを立ち上げました。

その後イギリスに戻り、イスラム教徒の立場から、イラク戦争に反対する活動を行っていました。アフガニスタンでとらえられる前、オブザーバ紙に在籍したことが有ります。

出典 Wikipedia 

メールが本物かどうか確かめるためにマーティン、米国家安全保安局(NSA))に電話をしてメールの送り主フランク・コーザとの面会を求めましたが、そのような人物は在籍していないとして断られてしまいました。

イボンヌから渡されたメールの写しを持って、上司のピーターと共にポール・ビーバー国際安全保障局顧問のもとを訪ねて、このメールが本物かどうか聞きました。

ビーバーはメールに使用されている略語がNSA特有のものであることと、用語の使い方で限りに無く本物に近いと答えました。

ビーターも知り合いのMI6(イギリス秘密情報部)にメールのことを尋ねましたが「それに関しては肯定も否定もしない(メールのことは知っているが、答えられないの意味)。」と言われました。

更に安全を期して、防衛・報道・放送諮問委員のウィルキンソン海軍少将に面談して、メールが本物であった場合、報道規制の対象になるかどうか尋ねました。

少将の答えは、

「このメールが本物だと仮定したうえで報道した場合、イラクとの戦争を防ぐことになり、国民の命を守ることになる。したがって政府がどんなに困ろうが、報道規制はしない」

でした。政府の都合より、国民の命を守ることを優先するところは、さすがイギリスです。

そしてアメリカに滞在していた記者のエド・ロジャーから、NSAのポール・ビーバー本人と直接電話で話したとの、知らせが届きました。

これらを考慮して、編集長はメールを掲載することに決めました。

2003年3月2日、『イラク戦争をめぐる米国の汚い策略』と題してメールがオブザーバー紙の1面に載りました。

しかし、すぐにアメリカのニュースまとめサイト「ドラッジ・レポート」に、アメリカから送られた来たとされるメールの中の単語に、英国式の綴りが使われていることからこのメールは偽物であるとの記事が掲載されました。

指摘された単語は、゛favourable(有益な)゛と゛recognise(認識)゛の二つで、アメリカ式の綴りでは、favorableとrecognizeになります。

メールの本文と、マーティンの書いた原稿では、アメリカ式の綴りが使われていましたが、印刷に回す前に編集局員の一人が英国式の綴りに.校正してしまったのが原因でした。

しかし、ここで思わぬ助けが入りました。

機密が漏れたことで内部監査を始めたGCHQで、キャサリンが自ら犯人だと名乗り出て、国家機密漏洩の罪で逮捕されたのです。

これで、メールが本物だと証明されました。

3イギリス政府とキャサリンの戦い。

キャサリンが名乗り出たのには、同僚が疑われ苦しんでいるのを見かねたほかに、もう一つあります。それはアメリカ政府が、このメールについての発言を拒否したことです。そこでキャサリンは自ら名乗り出ることで、このメールの存在を明らかにしようとしたのです。そしてこの試みは成功しました。

キャサリンは、メールをリークしたことを自白して採捕され、チェルトナム警察署に24時間拘留されました。拘留中に取り調べに来た刑事に、こう言っています。

「私は国民に仕えている。私が情報を集めて政府に渡しているのは、政府が国民を守れるようにするためです。政府がウソをついて、国民を戦争に向かわせるための情報収集に反対したのです。」

彼女は3か月後に政府による起訴が決まるまで、釈放されることになりました。帰ろうとしたところに、立ち会っていた当番弁護士がやってきて、人権問題や政治問題に詳しい熟練の弁護士事務所リバティを紹介しました。

2003年3月16日、アゾレス諸島において米・英・スペイン・ポルトガル首脳会談が開催され、同17日に米英国連大使は、賛成多数が得られそうもないため提案していた安保理決議案の採択断念を発表しました。

イギリスではブレア首相に対して、ゴールドスミス法務長官が第2決議なしの軍事行動も合法との判断を示しました。

 

同日ブッシュ米大統領は演説で、サダム・フセインとその息子達は48時間以内にイラクを去らなければならない旨発言し、3月18日には、米からの通報に基づき、国連査察団は退避を完了した。

大国の横暴に対して、国連が戦争阻止に無力であることをさらけ出すことになりました。

3月20日、ブッシュ大統領は国連の安保理決議なしの開戦は違法との声があるにもかかわらず、バグダットに空爆を行い『イラクの自由作戦』が始まったことを発表しました。

戦争をを阻止しようとした、キャサリンとオブザーバー紙の記者たちの試みは無駄になってしまいました。

イラク戦争開戦直後、キャサリンは教わった弁護士事務所リバティを訪れ、ベン・エマーソンに会いました。

ベンは最初に、

「君は情報漏洩によって国に対する忠誠を選んだ。政府や結婚生活や自分自身よりもね。まったく大したことをしてくれたものだ。」

そして一息つき、

「これは君を責めているのではなく、称賛しているのだ。」

と言います。

イギリス映画を見ていると、イギリス人特有のこの様な言いまわしが、よく出てきます。

キャサリンを弁護することになった弁護士のベン・エマーソン

専門は国際公法、人権および人道法国際刑事法です。

彼はまた国際刑事裁判所の検察官の特別顧問を務めています。

出典 Wikipedia 

最初に逮捕された時から6カ月後、リバティ事務所のジェームズから電話で、キャサリンの起訴が決まったことを知らせてきました。

同じ日、キャサリンの夫ヤシャル・ガンが不法滞在で出身地のトルコに強制送還されることになりました。彼は移民申請を出し、一定期間(彼の場合は5年間)イギリスに住んでいることを証明するため、週に一度警察署で署名する必要がありました。今回も警察署に署名しに行ったところを連行され、強制送還されることになりました。

彼女は急ぎジェームスに電話して助けを求めました。ジェームスはキャサリンに結婚証明書を持って、地元の議員ナイジェル・ジョーンズの所に行くように指示しました。

議員は結婚証明書で、夫婦が法律上何の落ち度がないことを確かめ、役所に抗議しました。役所ではキャサリンが国家機密を漏洩したため、夫を強制送還することに決めたそうです。議員のジョーンズは裁判前のそのような行いは、彼女に対するイジメにすぎないと抗議しました。

やがてジェームズからの電話で、大臣の許可が下りたので、ヒースロー空港近くにあるハーモンズワース入管収容所の正門前で待つように言われました。

明け方近くになって。正門から出てきた夫のヤシャルに会うことが出来ました。

この政府の処置は、キャサリンを脅かす意味があったようですが、かえって彼女の態度を硬化させてしまいました。

イギリス政府の起訴に対しての対抗策

始めリバティ弁護士事務所はイギリス政府からの起訴に対して、素直に機密漏洩の罪を認めて、減刑してもらう他に方法はないと考えていました。

それはCGHQに採用されるとき『公務機密(オフィシャル・シークレット)法に順守すること』に同意していたからです。

公務゜機密法第1条第1項には

゛以下のに行為を行ったものは、法的に有罪となる。゛

とあり、いくつかある行為の中に

゛安全と諜報に関する関する情報を第三者に開示した場合゛

とあったからです。キャサリンは情報を漏らしていた事を自白しており、罪を認めていました。

始めは罪に問われるのは仕方ないと考えていたらしい彼女ですが、情報をリークしたのは、政府がウソをついて違法な戦争を起こし、大勢の人が殺されるのを防ぐためであり、無罪だと主張しました。

弁護士のベン・エマーソンは、キャサリンを無罪にする方法を思いつきました。それが上の分の赤い字で書いた部分です。

それは、差し迫った命の危険や、命を守るための取った唯一の手段であるようなやむなき事情がある場合は、法律の規定を免れる、というものでした。

ただ、イラク戦争開始3日前にゴールドスミス法務長官が『第2決議なしの軍事行動も合法との判断』を示しています。しかし、彼は以前に『安保理決議なしの軍事行動は違法』とも発言しています。

キャサリンが情報をリークした時点で、政府が『イラクへの軍事行動は違法である』と考えていたならば『政府がウソをついて違法な戦争を起こし、大勢の人が殺されるのを防ぐため』との主張が通ることになります。

もし、イラクで大量破壊兵器が存在していた場合は、イギリスは自衛のためにイラクへ出兵したことになり国連決議がなくても、イラク戦争は合法となってキャサリンは有罪となってしまいます。

アメリカ政府はイラクへの軍事行動を合法化するために、大量兵器があると大々的に主張していたのです。

エマーソンは何時ゴールドスミス法務長官が意見を変えたか探るために、元外務省の副法律顧問エリザベスの所に話を聞きに行きました。彼女はゴールドスミスがイラクへの軍事出動は合法であると発表した時、外務省の福法律顧問の職を辞任していました。その理由は明らかにされていませんでした。

エリザベートは辞任する際『新たな決議なしのイラク出兵は違法』だとの抗議の手紙を書いて辞めたそうです。

彼女の話によると以前(2003年1月14日)に、「追加の決議に拒否権が行使されれば、安保理は(イラクへの)武力行使を正当化しないこととなる」とブレア首相に助言していました。そして、それは文書に記録されていると言いました。

ゴールドスミスが意見を変えたのは2003年2月11日、渡米した後からでした。それはキャサリンが情報をリークししようとして印刷した、2月3日の後です。

エマーソンはオブザーバ紙の記者マーティンに、イラクにおける大量破壊兵器の有無と、3月11日ゴールドスミスが誰と会ったか、調べてくれるよう頼みました。

イラクに居るピーターは、湾岸戦争時の毒ガス弾の残骸だけで、大量破壊兵器は見つかっていないと報告しました。

アメリカに滞在しているエド・ロジャーからは、2月11日の会合で会ったアメリカ側の人たちは

ブッシュ大統領、パウエル国務長官、ラムズフェルド国防長官、ライス国家安全保障担当補佐官、アシュクロフト司法長官とそれぞれの法律顧問である、ゴンザレス大統領主席法律顧問、タフト国務省法律顧問、ヘインズ国防総省法律顧問、ベリンジャー国家安全保障会議法律顧問、

でした。

ゴールドスミス法務長官は、これらの人たちによって『国民を裏切り降参した』のです。

更に渡米前から英軍幹部によって、「違法な戦争で訴追されないという保証がない限り、軍は展開できない」とゴールドスミス法務長官に圧力をかけていたことも、分かりました。

エマーソンは、イラクに侵攻するまでのゴールドスミスによる法的助言の開示を求めて、法廷で争うことに決めました。長官が意見を変えたと証明できれば、キャサリンは無罪となります。

2004年2月25日

注目の裁判が始まりましたが、その結果はあっけないものでした。検事側がキャサリン・ガンへのすべての訴追を取り消したのです。理由は弁護側の要求した書類を開示した場合、政府が違法な戦争をしたことがバレて戦争裁判になるのを恐れたためでした。

裁判後キャサリンはイギリスで新たな職を探しましたが、得られなかったため夫の故郷であるトルコに移住して、娘も生まれ平和に暮らしているそうです。

この映画は2021年8月28日日本公開の予定でしたが、コロナの感染拡大のため延期になってしまいました。

 

オフィシャル・シークレットのモデルになった内部告発者、キャサリン・ガン本人へのインタビュー ↓

TBSがキャサリン・ガンにインタビューした映像です。

出典 YouTube

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