映画 「ゼロ・ダーク・サーティ」
2019年 アメリカ
題名の「ゼロ・ダーク・サーティ」は深夜0時30分のこと。ウサマ・ビンラディン捕獲作戦「Operation Neptune Spear(海神ネプチューンの槍作戦)」の開始時刻です。
ネプチューンと言ってもお笑い芸人ではなく、こちらの方です。↓
9.11アメリカ同時初テロの自謀者とされたオサマ・ビンラディンの居所を、10年にわたって追い続けたCIA女性局員の話です。
この映画の監督キャスリン・ビグローは女性で、他にはイラク戦争の爆弾処理班の映画「ハート・ロッカー」も撮っています。女性監督で戦争映画の監督をしているのは、珍しいと思います。
監督
キャスリン・ビグロー
脚本
マーク・ボール
製作
マーク・ボール
キャスリン・ビグロー
ミーガン・エリソン
製作総指揮
コリン・ウィルソン
グレッグ・シャピロ
テッド・シッパー
出演者
ジェシカ・チャステイン
ジェイソン・クラーク
ジョエル・エドガートン
ジェニファー・イーリー
マーク・ストロング
カイル・チャンドラー
エドガー・ラミレス
レオン・パネッタ
ジェームズ・ガンドルフィーニ
音楽
アレクサンドル・デスプラ
撮影
グリーグ・フレイザー
編集
ウィリアム・ゴールデンバーグ
ディラン・ティチェナー
DVD 1000円(送料無料) |
あらすじ(ネタバレあり)と解説
この映画はオサマ・ビンラディンの捜索と殺害について報道された事実に基づいて、製作されています。報道されていない部分は2061年に全面公開の予定です。
・サウジ・グループについての尋問
9.11アメリカ同時多発テロから2年後、サラはアルカイダの1員アンマルの尋問に立ち会っていた。
アルマンは、アルカイダの幹部ハリドの甥で、テロのハイジャック犯に5千ドル送金したり、自宅に150キロの爆発物を隠していた人物である。
この映画の公開当時アメリカではテロ容疑者に対する国外での拷問や虐待が取り上げられ、この映画の尋問の様子が拷問に当たると問題になりました。
数十時間大音量で音楽を流し続けた中に置かれ、眠りを妨げられたアンマルは、意識朦朧とした状態で次のテロの実行の曜日を出鱈目に言い始めました。
2004年5月29日、アルカイダがサウジアラビアの都市アル・コバールで銃乱射事件が起こします。
2004年5月29日午後1時半(日本時間)、武装集団が石油関連企業の入るビルや外国人居住区などに侵入して銃を乱射し、治安部隊との間で激しい銃撃戦が起こった。武装集団は外国人たちを人質にして建物に立てこもった。 ロイター通信は、治安当局の者の話として少なくとも16人が死亡、そのうち7人はアメリカ人を含む外国人であると報じ、サウジアラビア内務省は同日午後、「4人の武装した男たちが無差別に発砲し、多数の死傷者が出ている」とする声明を発表した。引用 ウィキペディア
CIAはアル・コバールで起きたテロの阻止に失敗しました。
マヤはここで名案を思い付きます。アンマルを騙し、意識朦朧とした中でこのテロのメンバーの名前を挙げ、テロを阻止出来たことにしたのです。
自白してしまったと信じ込んだアンマルは9.11テロからペシャワールに移るまで一緒にいたサウジ・グループの名前を挙げました。
その中に、直接ビン・ラディンに会い彼の命令を伝えたアブ・アメフドの名前が出てきました。連絡員のアブ・アフメドの行動を追えばビンラディンの居所が分かるかもしれません。
・アブ・アメフド
サラは過去の尋問記録からアブ・アフメドについて調べ始めます。
その結果アブ・アフメドは、アルカイダのNo.3ファラジのもとでビン・ラディンとの連絡係をしていたことが分かりました。アブ・アフメドに関しては、それ以上の情報はありません。
そんな中
ロンドン中心部で7日午前、地下鉄車両やバスで4件の爆発が起きた。英スコットランドのグレンイーグルズで主要国首脳会議(G8サミット)を主催しているブレア首相は緊急記者会見をし、「テロであることは明白。G8サミットに合わせたものだ」と述べた。警察当局などは37人が死亡、重傷45人、その他負傷者約700人と発表した。
・アルカイダのNo.3 ファラジ逮捕。
パキスタン警察のおとり捜査で、会合場所に現れたファラジが逮捕されました。しかし、なかなか口を割りません。
ここにきて、今まで尋問を続けてきたダニエルがアメリカのCIA本部勤めになり、パキスタンから去ります。サラも誘われましたが、アメリカにはアブ・アフメドが居ないと言って断りました。
[イスラマバード 20日 ロイター] パキスタンの首都イスラマバードにあるマリオット・ホテルで20日、トラックを使った自爆攻撃が発生し、少なくとも43人が死亡、250人近くが負傷した。爆発によって火災が発生し、ホテルの建物は炎に包まれた。
引用 2008年9月20日、パキスタン イスラムバード マリオット・ホテル(ロイターの記事)での自爆テロ。
この時、マヤはマリオット・ホテルで同僚のジェシカと食事をしていてこの自爆テロに巻き込まれましたが、無事でした。ジェシカはおっとりとした性格で、一途にアブ・アフメドを追い続けるマヤを心配していました。
・会談
ジェシカの許にヨルダンのスパイから情報が入ります。パキスタン北部トライバルエリアと呼ばれる部族地帯に住む医師バラウィから、協力したいとの連絡が入ったというのです。
彼はアルカイダ幹部の診察もしており、ビンラディンとの接触も可能な人物です。
CIAは彼と、アフガニスタンのチャップマン基地で会う準備を整えました。
ジェシカは彼と会談するために、基地に向かいます。
【7月13日 AFP】アフガニスタン東部ホースト(Khost)州の軍基地で12日、自動車爆弾による自爆攻撃があり、地元当局によると少なくとも33人が死亡した。
ホースト市警察署長によると、自爆犯は政府軍と外国軍の兵士が駐留するチャップマン基地(Camp Chapman)の入り口近くにある検問所で爆発物を爆破させた。死者のうち27人は民間人で、6人が治安当局関係者だった。また死者には、子ども12人と女性3人が含まれる。
犯行声明は出ていないが、アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)はこれまでにもアフガニスタン軍や外国部隊を標的にした攻撃を繰り返している。チャップマン基地では2009年、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)による自爆攻撃があり米中央情報局(CIA)要員7人が死亡している。
ジェシカは、情報提供者のバラウィ医師のために誕生ケーキを焼いて会うのを楽しみにしていましたが、バラウィ医師の起こした自爆テロで死んでしまいました。
彼女の死で落ち込んでいるサラに、サウジの諜報機関から、アブ・アフメドは2001年に死んでいるとの知らせが届きます。
仲間から
「これからどうする」
と聞かれたサラは
「このテロの関係者を全員見つけて、ビンラディンを殺す」
と答えました。
この後サラは、人が変わったようにビンラディンの潜伏場所を探すことに偏執します。
・人為的ミス
仲間に犠牲者を出しながらテロも防げず、アルカイダ幹部も挙げられないCIAアルカイダ担当全員が、支局長からきついお叱りを受けていまいました。具体的な標的を見つけて、実績を作らなくてはなりません。
アブ・アフメドは死んだと思っているサラのところに、モロッコから、朗報が届きました。
9.11の後、モロッコが作成した要注意人物の中にイブラヒム・サイード一家族全員がクウェートに向かう途中、偽造書類で逮捕されていました。その中に、アブ・アフメド・アル・クウェーティの名前が入っていました。アブ・アフメドはサイード家の一員でした。また彼には8人の兄弟がおり、互いによく似ているため、死んだとされたアフメドは彼の兄弟の可能性が出てきました。
ここで映画の最初の、アンマルに対する尋問の様子を思い出していただきたい。アブ・アメフドが死んだとされる2001年、彼はアンマルと一緒にアフガニスタンのトラボラから、パキスタンのベシャワールに向かって、逃亡してる最中でした。
サラはヴァージニア州ラングレーのCIA本部に移ったダニエルに連絡して、サイード家の電話番号を調べてくれるよう頼みます。髭を剃ったダニエルはまるで別人の様でした。
・クウェート、サイードの母親の電話番号
ダニエルはクウェートに飛び、知り合いのアラブ人から情報の提供を頼みました。彼は夜中にアラブ人をランボールギニの販売店に連れていき、ランボールギニと引き換えにサイードの母親の電話番号を手に入れました。電話番号一つで、40万ドル(4000万円以上)もするランボールギニと引き換えで割に合うのかと思います。
・スパイ技術
サイード家の母親への電話の傍受で、アブ・アフメドの本名はイブラヒム・サイードでペシャワール付近から電話していることが分かりました。
サラは特殊部隊に現地に展開するよう頼みましたが、いつかかるかわからない電話の為に要員を配置できないと断られます。
[ニューヨーク 2日 ロイター] 米警察は2日、ニューヨーク市中心部のタイムズスクエアで1日に自動車から爆発物が見つかり、「テロ未遂」事件として捜査を行っていると発表した。
この事件で、次のテロを予防するよう指示したブラッドリー支局長に対して、マヤはあくまでビンラディンの居所を探ることを優先するよう主張して対立します。
ここで技術部のジャックは、アブ・アフメドが携帯電話を買ったことを突き止め、彼が電話するとCIAがキャッチできるようにしました。これで特殊部隊は、アル・アフメドが電話する度に発信源の場所を探ることが出来ます。
発信場所が分かっても、アブ・アメフドも用心していて、携帯で場所を変えながら短時間で話を済ますため、なかなか接触が出来ませんでした。
長い捜索を続けた結果、アル・アフメド本人と彼の乗っている白いSUV(映画ではスズキのジムニー)の写真を撮ることに成功しました。
マヤは現地の協力者に、白のSUVを見つけたら知らせるよう頼みます。
そして白のSUVがイスラマバードの北、アポッターバードにある高い塀に囲まれた屋敷に出入りしていることを突き止めました。ビン・ラディンの連絡係アル・アフメドが入ったことは、そこにビン・ラディンがいる可能性があります。
サラたちは早速局長に知らせますが、「ビン・ラディンが実際そこにいることを証明しろ」との指示です。
しかし、屋敷内にアル・アフメドの家族以外に第三の男がいることは確かでしたが、この男性がビン・ラディンであることを証明できませんでした。
アフガニスタン ジャララパード基地では、ネービーシールズ・チーム6がエリア51で開発したステルス型ブラックホークを使って、実際の屋敷を模倣した建物を作り襲撃する訓練をし始めます。
2011年3月から4月にかけて極秘に国家安全保障会議が5~6回開かれ、4月29日オバマ大統領は、この屋敷を襲撃する許可を出しました。
この作戦は「Operation Neptune Spear(海神の槍作戦)」とされ、作戦の中でビン・ラーディンの名はコードネーム「ジェロニモ」に置き換えられて、2011年5月2日実行されました。
この襲撃の模様はリアルタイムで撮影されていて、ヘルメットに装着された小型カメラの映像で、ネービーシールズの一員になった気がします。
基地に持ち帰られた「ジェロニモ」の死体は、マヤによりビンラディン本人と確認されました。マヤの執念が実った瞬間です。
大型輸送機を一人で借り切り、仕事をやり終えて帰還するマヤは思わず涙を流してしまいます。
この作戦を実行したネイビーシールズ・チーム6の映画はこちら ↓
ウサマ・ビンラディンの詳しい解説はこちら ↓
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