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映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

第1次世界大戦の戦車 その2 フランス・ドイツ編

time 2018/07/12

第1次世界大戦の戦車 その2 フランス・ドイツ編

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亀仙人2

フランス編

イギリスに続いて、フランスも戦車の開発に乗り出しました。そしてのちの戦車に大きな影響を与えたFT-17(アイキャッチ画像の戦車 出典 ウィキペディア)を開発しました。

戦車の開発

フランス陸軍のJ.E.エチエンヌ大佐(後に将軍になります)は、敵の塹壕を突破する有効な方法を求めていました。

フランス戦車の生みの親であるエチエンヌ将軍 出典 61式P:ネムイ(´・ωゞ)

 

彼は珍兵器ファンにはおなじみの、歩兵用の盾(下の写真)を発明します。これは頭からかぶり、腹ばいになって敵の陣地に進むためのものです。ちなみに左側が前です。

 

J.E.エチエンヌ大佐考案の歩兵用盾  出典 Wikipedia

エチエンヌ大佐はアメリカ・ホルト社の牽引用トクターのデモンストレーションを見て、フランスで初めて、戦車の開発を思いつきます。

彼はフランス陸軍総司令官ジョッフル陸軍大将に手紙を書き、1915年12月に生産の了承を得ました。

フランス軍で使用された、ホルト キャタピラーベイビー45CV型トラクター 出典 Wikipedia

設計・製造

エチエンヌ大佐はシュナイダー社のヴージューヌ・ブリエと共に開発・設計を続けます。゜

ホルト社製トラクターの履帯を1メートル伸ばして、塹壕を超えるテストをしている写真 出典 TANK ENCYCLOPEDIA

 

鉄条網の突破試験中  出典 chars-francais.net

次に、木材で船の形をした車体を取り付けました。下がその写真です。

木で作った車体を取り付けたところ。上にエンジンの一部が見えている。  出典 chars-francais.net

しかし、

車体前部と履帯の間が長すぎて、塹壕を乗り越えられなくなった写真。  出典 chars-francais.net

1916年2月、やっとのことで試作車が出来ました。

シュナイダー製の車体を取り付けた試作車の前での、記念写真 出典 chars-francais.net

シュナイダーCA1

シュナイダーCA1、下に右側側方に取り付けられた9.5口径75㎜榴弾砲が見える。 出典 ウィキペデア

仕様

全長:6.32m 車体長:不明 全幅:2.05m 全高:2.30m

重量:14.6t 懸架方式:コイルスプリング式サスペンション

速度:7.5km/h 行動距離:48km

装甲:11.5mm(車体前面と側面) 5.5mm(車体上面)+5.5mm増加装甲(車体装甲の薄い部分)

主砲:シュナイダー製9.5口径ブロックハウス榴弾砲 1門

砲弾種:75mm M1915(榴弾) 砲弾数:138発 射程:2200m

副兵装:ホッチキスM1914重機関銃 2丁

弾薬種:8×50Rレベル 7×57mmマウザー 6.5×50mmSR有坂弾 11mmグラス弾 6.5×55mmなど

引用 兵器大百科

居住性
イギリスの戦車と違い、ばね式のサスペンションが付いているため、乗り心地はよかったのですが、車内はエンジンと屋根に挟まれて高さが90㎝しかなく、居住性はよくありませんでした。

 

シュナイダーCA1の内部。奥の黒いのがエンジン。 出典 lautomobileancienne.com

 

機関銃を撃っている射撃手 出典 http://www.landships.info

You Tubeに内部の様子を映した動画がありました。

出典 You Tube

1500両生産される予定でしたが、後から出たFT-17が好評だったため、400両余りで生産が打ち切られました。

1916年8月にはフランス初の機甲部隊が創設され、9月30日に陸軍准将に昇格したエスティエンヌが突撃砲兵隊の指揮官となりました。

実戦

本車の初陣は1917年4月16日に起こったシェマン・デ・ダームの戦いでした。この戦いで出撃したのは132両でそのうち57両が撃破・破壊されてしまいました。

サン・シャモン突撃戦車

ソミュール戦車博物館で展示される現存車輌(後期型) 出典ウィキペディア

シュナイダーCA1に続いて作られたフランスの戦車です。

仕様

全長 8.82 m
車体長 7.91 m
全幅 2.67 m
全高 2.34 m
重量 23 t
懸架方式 コイルスプリング
速度 8.5 km/h
行動距離 60 km
主砲 75 mm野砲
副武装 8 mm ホチキス 重機関銃×4
装甲 11 mm(前期)・19 mm(後期)
エンジン パナール
直列4気筒液冷ガソリン
90 hp/ 70 kW
乗員 8 名

強力な主砲

庫の戦車は、シュナイダー戦車に比べ大型でより強力な長砲身の75mm砲を装備していました。

特に後期型は、第2次世界大戦のシャーマン戦車に搭載された75㎜戦車砲の元となったM1897野砲(最大射程6,850m)を搭載していました。

世界初のハイブリッド戦車

サン・シャモン突撃戦車最大の特徴は、エンジンで発電機を回し、左右別々に設けたモーターで駆動するハイブリッド方式でした。

これは、今みたいに環境保護とか燃費向上のためではなく、重量23tの戦車を動かすのに適当な変速機が、なかったためです。

機械式変速・操向機に比べて無段階で速度変更を行うことが出来るはずでしたが、実際は左右別々のモーターを同調させるのが難しく、また重量が機械式より重くなるという欠点がありました。

サン・シャモン突撃戦車(初期型)、車体前方上部に周囲を見るために丸いキューポラが付いている。 出典ウィキペディア

 

またサン・シャモン戦車は車体の長さのわりに履帯の長さが短く、塹壕の幅が履帯の長さより広いと、車体がつかえて動けなります。

このため1917年5月5日に16輌のサン・シャモン突撃戦車が Laffaulx Mill で初めて実戦投入されましたが、15輌がドイツ軍陣前の塹壕で行動不能となり、多くが撃破されてしまいました。

先端部に75 mm 砲を収納するためにオーバーハングが長いためにほんの少しの段差を乗り越えただけで車体がつかえることが多く、不整地走破性は劣悪でした。

生産は1918年3月まで行われ、初期発注分の377輌が生産されたが、追加発注は行われませんでした。

ルノーFT-17

現代戦車の原型となる、傑作戦車

ルノーFT-17軽戦車 出典 戦車研究室

仕様

全長:5m
全幅:1.74m
全高:2.14m
重量:6.7t(重機関銃搭載型は6.5t)
速度:20km/h(整地)
7.6km/h(不整地)
乗員数:2名
装甲厚:8mm~22mm
行動距離:20km~35km
武装
戦車砲型:21口径37mmSA-18戦車砲×1
機関銃型:8mmオチキスM1914重機関銃×1

FT-17の開発

視界の限られているシュナイダーCA1やサン・シャモン突撃戦車を支援・指揮するために、フランス戦車部隊の父と呼ばれるジャン=バティスト・エティエンヌ将軍の指導で作られました。

エティエンヌ将軍は、当時自動車の製造で実績のあるルノー社に開発を依頼しました。

しかし、ルノー社は装軌式車両の製造経験がなかったため一旦は断りましたが、再度の要請により、開発・製造に踏み切りました。1917年2月、最初のプロトタイプが完成しました。

 

ルイ・ルノー(本人の可能性大)とルノーFT-17プロトタイプ1号 出典 兵器大百科

1917年3月に150輌の発注を受け、以後総計3800輌以上製造されました。

構造

直角に組み合わせた装甲板で車体を構成するセミ・モノコック構造で、横材となる間仕切りにより前部の戦闘室と後部のエンジン室を分離し、これによってエンジンの騒音と熱気から乗員を守り、居住性が大きく向上しました。

また回転式砲塔を初めて採用して、360度の視界を得ることが出来ます。

このレイアウトは、現代の戦車の元となるものです。

FT-17の内部図面 出典 Wikipedia

火力

始めはオチキス M1914 8 mm 重機関銃を装備していましたが、火力の強化のため ピュトー SA18 21口径 37 mm 戦車砲を装備した車両が開発されました。

速度

エンジンに、ルノー 社製液冷直列4気筒ガソリン、排気量4,480cc、39馬力を搭載し、整地で20km/h、不整地で7, 6km/hと当時の戦車としては画期的な速度を出せます。

また小型軽量であるため、貨車やトラックで簡単に運搬でき機動性にも優れています。

実戦での使用

FT-17の初陣は、第一次世界大戦中の1918年5月31日のレッツの森で、春季攻勢で攻めてくるドイツ軍の進撃を食い止め、反撃しました。

ドイツ軍は捕虜1万名と、200門の火砲を鹵獲され、マルヌ川を渡って退却しました。

ドイツ編

A7V

ドイツでは第1次世界大戦前から装甲戦闘車両の研究を行っていましたが、実用には程遠い物でした。

1916年9月15日、ソンムの戦いでイギリスがMk.I戦車を実戦に投入しました。

これを受けてドイツ軍最高司令部は戦時省運輸担当第7課 (Abteilung 7Verkehrswesen des Allgemeinen Kriegsdepartements im Preußischen Kriegsministerium) に戦車の開発を命じました。

イギリスのボービントンの戦車博物館で展示されているレプリカ 出典 軍事・戦術研究所

仕様

全長 8.00 m
車体長 7.34 m
全幅 3.1 m
全高 3.3 m
重量 30 – 33 t
懸架方式 コイルスプリング
速度 9 – 15 km/h(整地)
4 – 8 km/h(不整地)
行動距離 30 – 80 km
主砲 57 mm 加農砲
副武装 7.92 mm MG08重機関銃×6
装甲 前面 30 mm、側面 20 mm
エンジン Daimler 165 204
液冷4気筒ガソリンエンジン
100 馬力 ×2台
乗員 18 名

イギリスやフランスと同じくホルト社製のトラクターを参考にし、不整地走行用に大型化とサスペンションをつけて使用しました。

また当時は大馬力のエンジンとそれに適するクラッチがなかったため、100馬力のエンジンを2基搭載して、左右別々に駆動する方式をとりました。

 

A7V突撃戦車内部 出典 Naverまとめ

乗員は車長、操縦手、機関手、機関手兼信号手、主砲担当の砲員(砲手・装填手)、機関銃担当の銃手(射手6名・給弾手6名)と多く、合計18名でした。これに8名の兵士を乗せることが出来、最大26名乗車出来ます。

履帯の長さに対して車体のオーバーハングが長く、最低地上高も20㎝しかないため、砲弾でできた窪地や泥濘地の走破性はよくありませんでした。

 

世界初の戦車戦

1918年4月24日午前にフランス北部のアミアン近郊、ヴィレル・ブルトンヌ付近でイギリス軍のMk.IV戦車三輌と A7V 「メフィスト号(sn. 506)」「エルフリーデ号(sn. 542)」「ニクス号(sn. 561)」三輌の間で行われた。(イギリス軍はMk.Vとする説もある。Mk.IVの改良型で、操縦手一人での運転が可能となり、機動力が向上している。)雌型(機銃搭載型)の射撃を物ともしない A7V の攻撃で二輌が撃破されたが、応援の雄型(6ポンド砲搭載型)が A7V 「ニクス号」に砲弾を三発直撃、五名を戦死させ、戦車を放棄させた。残りのドイツ戦車は後退した。このときドイツ側の歩兵部隊も後退しており、イギリス軍の戦車も放棄するには至らなかったため、戦闘の結果判定はイギリス軍の勝利とされている。なお、「ニクス号」は脱出した乗組員が再搭乗し、自力で帰投している。また「エルフリーデ号」も損傷を受けており、戦闘終了後に操縦ミスから転覆し行動不能となった。

同日、一輌の A7V と七輌のマーク A ホイペット中戦車との戦闘が発生した。やはり機銃しか持たないイギリス軍戦車は一輌が A7V の砲により破壊され、三輌がドイツ軍野砲の直接射撃で失われた。(逆に、 A7V が倒されたとする資料もある。)引用 ウィキペディア

突撃戦車 A7Vは開発時期が遅かったのと、ドイツ軍は塹壕を突破するのに「浸透戦術」という有効な手段があったため、休戦までに作られたのは22両だけでした。

ドイツ軍歩兵用対戦車兵器

対戦車兵器では大砲が一番用いられましたが、ドイツ軍では最前線に立つ歩兵のために、対戦車兵器開発しました。

SmK弾

ドイツ軍のK弾、あるいはSpitzgeschoss mit Kern(S.m.K.)はドイツ歩兵の使用するモーゼル式小銃Gew98や機関銃MG08で使用できるスチールコア(鋼鉄芯)の7.92x57mm弾です。

威力は100mの距離から13㎜の装甲を貫通出来、初期のイギリスやフランスの戦車に大きなダメージを与えました。

収束手榴弾

通常の柄付手榴弾である24型手榴弾を7本程度束ねることで威力を増した収束手榴弾が対戦車戦に使用されました。

ドイツ軍の手榴弾と収束手榴弾(右上)  出典 www.geocities.co.jp

対戦車ライフル

 

マウザー M1918は、第1次世界大戦でドイツが開発した世界初の対戦車ライフルです。

装甲貫徹力は距離65mで25mmと、当時の英仏戦車の装甲を余裕で撃ちぬく威力があります。最終的には15800丁が生産されました。

普通の歩兵銃をそのまま大きくした外観から、兵士たちに「象撃ち銃」と呼ばれました。

鹵獲したM1918を持つニュージーランド軍の兵士。人間と比較したその巨大さがわかる。 (1918年8月26日の撮影)

出典ウィキペディア

この銃を撃っているYou Tube の動画があります。

動画の18分30秒から実際に撃っています。 出典 You Tube 

 

こちらもぜひご覧ください ↓

第1次世界大戦の戦車 その1 イギリス編

 

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