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亀仙人2映画「華麗なるヒコーキ野郎」
1975年 アメリカ
第1次世界大戦中ベテランパイロットであったウォルドペッパーは、飛行教官にされ空中戦に参加できませんでした。大戦が終わり格安で売り出されていた練習機(カーチスJN4通称「ジェニー」)を手に入れ、アメリカ各地で遊覧飛行や曲技飛行をして暮らしていました。
そんな彼はハリウッドでスタントマンとして雇われ、第1次世界大戦を題材とした映画で空中戦の撮影をすることになりました。彼と戦う相手は、ドイツのエースパイロット「エルンスト・ケスラー」でした。
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監督 | ジョージ・ロイ・ヒル |
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脚本 | ウィリアム・ゴールドマン |
原案 | ジョージ・ロイ・ヒル |
製作 | ジョージ・ロイ・ヒル |
出演者 | ロバート・レッドフォード ボー・スヴェンソン スーザン・サランドン |
音楽 | ヘンリー・マンシーニ |
撮影 | ロバート・サーティース |
編集 | ウィリアム・H・レイノル |
あらすじと解説
第1次世界大戦で活躍したパイロットの中には、安価に放出された練習機(カーチスJN-4、愛称ジェニー)を手に入れ、各地で遊覧飛行やスタント飛行バーンストーミング(動画あり)をして暮らす者が居ました。彼らはバーンストーマ―と呼ばれ、この映画の主人公ウォルド・ペッパー もその一人でした。
「グレートウォルドペッパー」と書かれたカーチスJ-1
映画で使われたカーチスJ-1複葉機のそばに立つ、主演のロバート・レッドフォード
カーチスJN-4「ジェニー」
カーチスJN-4ジェニー、1918年
出典 Wikipedia
第1次世界大戦が始まると、アメリカは軍用飛行士を養成するために、多くの練習機を必要としていました。この要請を受けニューヨーク州ハモンズポートのカーチス社は、元ソッピース航空会社の英国人ベンジャミン・ダグラス・トーマスに設計を委託して、1914年3月12日アメリカ陸軍航空隊用にカーチスJを作りました。また海軍向けにフロートを付けたカーチス Nもあり、この二つの良い所を組み合わせ、1915年から練習機のJNシリーズが製造されました。
愛称の「ジェニー」はJNから来ています。
この飛行機は、アメリカとカナダで1915年から総計6813機製造されました。
ところが第1次世界大戦が終わると、大量の余剰機が出てしまいました。これらの機体は1機200ドルという格安な値段(映画で5分間の遊覧飛行で5ドルとっていたのを見ると、タダみたいな値段です)で軍から放出され、多くのバーンストーマ―(曲乗り飛行士)を産みだしました。その中には、初めて単独で大西洋横断を成功させた、チャールズ・リンドバークもいます。
映画でペッパーが使用していたJ-1はスタンダートJと呼ばれ、カーチスJN-4の不足を補うために スタンダード・エアクラフト・コーポレーションで1917年6月から1918年6月の間に1601機製造されたものです。
JN-4との違いは翼の強度を上げるため、上翼の端に張り線を張るキングポストと呼ばれる3角形の支柱があるのが特徴です。あと翼がわずかながら、後退翼になっています。
スタンダートJ-1
出典 Wikipedia
1926年アメリカ、ネブラスカ州のある田舎町の町はずれに黄色い複葉機が着陸しました。当時はまだ飛行機そのものが珍しく、田舎に住んでいる人の中には話には聞いていても、実物を見るのは初めてという人が、大勢いました。
飛行機から降りてたウォルド・ペッパーは、集まってきた人たちに5分間5ドルでの遊覧飛行の募集しました。「一番乗りは無料」との声に反応したのは、ずっと飛行機を追いかけてきた小さな男の子でした。彼は男の子にタダで載せる代わりに、ガソリンを買ってくるように頼みました。
最後に男の子を乗せた後、男の子の家に招かれ食事をご馳走になります。
この時男の子にせがまれて、ドイツ軍の撃墜王ケスラーと戦った時の話をしました。ペッパーはケスラーと戦っていた最中、機関銃が故障してしまいました。機関銃が故障したのを見たケスラーは、彼を見逃し敬礼をして、去って行ったという話でした。
エルンスト・ウーデット
ドイツ軍のエースパイロット、ケスラーのモデルとなったのは、ドイツの撃墜王レッド・バロンことリヒト―ホーフェンに次ぐ70機を撃墜した、エルンスト・ウ-デットです。
曲芸飛行をしていたころのウーデット 1931年
出典 ウィキペディア
第1次世界大戦後にアメリカに渡り、曲芸飛行のショーに出ました。ドイツのエースパイロットでの名前が知られていたため、ショーは大成功をおさめ大金を手に入れることが出来ましたが、酒と女に溺れ、逆に多額の借金を背負ってしまいます。映画の中でケスラーも「なぜか知らないうちに、借金が4万ドルになってしまった」と言っています。
ヒトラーが政権をとると、かって同僚であったゲーリングに誘われ航空省に入省して、技術局長になり急降下爆撃機の開発・製造にかかわるようになりました。
第2次世界大戦初期には、彼の開発した急降下爆撃機は大活躍しましたが、長期的な戦略に必要な長距離爆撃機の開発を怠った為、戦局が不利になると責任を取らされ、自殺してしまいます。
第1次世界大戦中の1917年6月6日、ウーデットはフランスのエースパイロットであるジョルジュ・ギンヌメールと1対1で戦っている最中、機関銃が壊れてしまいました。これを見たギンヌメールは、何もせず手を引いて去っていきました。
この出来事に似た話は、この映画だけではなく、「つばさ」や「フライボーイズ」にも出てきます。
映画「つばさ」の解説はこちら ↓
同じく映画「フライボーイズ」の解説はこちら ↓
http://kamesennin2.info/?p=6376
ある日、彼のテリトリーの中でアクセル・オルソンが曲芸飛行をして人を集めているのを見たペッパーは、オルソンの飛行機に車輪が外れるよう細工をしました。そのためオルソンは、池に不時着する羽目のなります。
オルソンが池に不時着する見物料を取ったペッパーは、上機嫌で映画館で知り合ったメアリーと食事をしていました。彼は得意になってケスラーと戦った時の話をしている時、オルソンが現れました。
オルソンはメアリーと恋人の中でした。オルソンはケスラーと戦ったのは彼のいた航空隊の中にある第14偵察隊の話で、その中にペッパーはいないと言って、ペッパーが嘘を言っているのをばらし、ペッパーもそれを認めました。
ペッパーは、ケスラーが航空サーカス団で披露している曲技飛行を、見に行きました。ケスラーは、10回きりもみしながら急降下する、大技を行います。見に来ていた観客だけではなく、ペッパーやサーカス団の団長ディルホーファーまでも、そのまま墜落してしまうのではないかと思い、息をのみます。
きりもみしながらの急降下している動画です。 ↓
ペッパーは、一緒に来ていた古くからの友人エズラが設計した新型機を買うことに決め、資金稼ぎのため団長のディルホーファーに雇ってくれるよう頼みました。
団長は「観客が見たいのはパイロットではなく、血だ。観客に死ぬかと思わせるようなハラハラする芸を、持ってこい。そしたら雇ってやる。」と言われます。
そのためペッパーは飛行機を壊したオルソンと組んで、飛行中の飛行機の上に立つ芸を身に着け、ディルホーファーに雇われました。
しかしこの芸も飽きられ観客が減ってきたたため、団長のディルホーファーは、オルソンの恋人メアリーを翼の上に立たせ、着ている服が風で飛ばされる芸を提案しました。
メアリーは
「イットガール(It girl) メアリー・べス 空を駆ける」
と看板に大きく書くことを条件に、承知しました。
It girlについて
「It girl」と言っても100円ショップ、ダイソーで売っている、かわいい化粧品のことではありません。
「華麗なるヒコーキ野郎」と同時代の、1920年代後半に大人気になった女優のクララ・ボウを指します。
彼女は、1905年、ニューヨークに生れ、16歳の時に雑誌の美人コンテストで優勝し、翌年、映画界に入りました。
1927年映画「It(あれ)」にデパートの売り子として出演し、社長の気を引こうと色気を振りまきます。
映画「It(あれ)」のクララ・ボウ ↓
この映画は大ヒットして、クララ・ボウの様なお茶目で色気のある女性を「It girl」と、呼ぶようになりました。主人公の恋人役として第1回アカデミー賞を受賞した映画「つばさ」にも出ています。
映画「つばさ」の中のクララ・ボウ
初めての練習の時メアリーは、低空では平気でしたが、高い所に上ると体がすくんで動けなくなりました。
このままでは着陸の時、機体が傾いて着陸できないため、ペッパーは別の飛行機からメアリーの飛行機に乗り移って助けに行きます。空中で飛行機2機が並んで飛び、翼の上に立ち、別の飛行機に乗り移る場面は、見ていてもかなりハラハラします。
しかし、あと少しというところで、メアリーは飛行機から落ちてしまいました。
この事故で団長のディルホーファーは、アメリカ商務省の中に新しく作られた航空商務部の検査官、ニュート・ポッツから業務免許停止を言い渡されます。
パイロットのペッパーとオルソンも、民間航空機操縦士の免許を取るまで飛行停止となりました。
航空検査官ニュート・ポッツは、戦時中ペッパーのいた部隊の中隊長を務めていました。
1924年、航空事故のうちバーンストーミングが66%を占めたことで、航空輸送の安全性に対する国民の信頼を得るために政府の規制を求める必要が叫ばれ、1926年5月20日、航空商法(Air Commerce Act)が成立しました。
この法律に基づいて、商務省の中に航空商務部が作られ、パイロットのテストとライセンス供与、航空機の耐空性を保証するための証明書の発行、安全規則の作成と施行、航空機の認証、航空路の確立、航空航法の補助の運用と維持、および航空事故の調査がおこなわれるようになりました。
この法律により最低飛行高度が定められ、人口密集地での、翼の上に乗る翼歩きの曲芸は禁止されてしまいました。ただし、宙返りや、キリモミなどの曲技飛行は残ります。
これを機にパイロットのオルソンは飛ぶことをやめ、当時急成長をしていたハリウッドの映画会社に、スタントマンとして勤めることになります。
やがて、ディルホーファーのサーカス団も再開して、新型機を製作していたエズラ―も低翼単葉機を持ってやって来ました。しかしペッパーの免許が下りていないため、エズラ―が操縦して逆宙返りをやることになりました。
しかし、飛行機は馬力不足のため逆宙返りに失敗して墜落し、エズラ―は落ちた飛行機の下敷きになって動けなくなります。墜落現場に駆け寄ったペッパーは一緒に来た人たちに手助けを求めましたが、誰一人助けてくれませんでした。
そのうち観客の一人が捨てた煙草が、飛行機から漏れた燃料に引火してエズラ―は生きたまま焼かれ、死んでしまいました。怒ったペッパーはサーカス団の飛行機で、焼けた飛行機の周りに集まった人々を追い払ったため、永久飛行停止の処分を受けてしまいました。
仕方なくペッパーもハリウッドに行き、オルソンと同じスタントマンの仕事に就きました。
しばらくすると、ケスラーとの戦った第14偵察隊の撮影が始まり、ペッパーはブラウンの偽名を使いオルソンと共にスタントマンとして参加します。この映画でケスラーも、ドイツ軍側の飛行機のスタントマンとして出ていました。
空中戦の撮影当日、ペッパーとケスラーは監督の指示を無視して本気で戦い始めました。機銃がないので、飛行機同士ぶつけ合う戦いになります。まず、ケスラーが後ろかプロペラでペッパーの機の尾翼を破壊します。これに対し、ペッパーは正面から突っ込み、すれ違いざまに車輪をひっかけ、ケスラー機の上翼を壊しました。
ケスラーは負けを認め、近づいてきたペッパーに敬礼しました。ペッパーは敬礼を返し、雲の中に消えていきます。
この映画を見て、実際に飛行機を飛ばし、飛行機の翼の上から、別の飛行機に乗り移ったり、空中戦で衝突するほど近付く場面など、かなりハラハラさせられます。今のCGだと簡単に飛び乗ったりするので、このハラハラ・ドキドキ感が出ません。
最近の映画が、ただ面白いだけで、もう一つ心を動かせないのは、この為だと思います。