なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

なぜブッシュ大統領はイラク攻撃にこだわったのか 映画 「ブッシュ」

time 2018/01/12

なぜブッシュ大統領はイラク攻撃にこだわったのか 映画 「ブッシュ」

映画 「ブッシュ」

2008年 アメリカ

ブッシュ大統領を扱った映画「華氏911」がアフガニスタン戦争と軍産複合体を描いているのに対して、この映画はイラク戦争とジョージ・W・ブッシュが大統領になるまでをテーマにしています。

監督
オリバー・ストーン

脚本
スタンリー・ワイザー

製作
ビル・ブロック
エリック・コペロフ
ポール・ハンソン
モリッツ・ボーマン
スタンリー・ワイザー

製作総指揮
アルバート・ヤン
トーマス・スターチ
エリオット・ファーワーダ
ジョニー・ホン
テレサ・チャン
トム・オルテンバーグ
クリストファー・マップ
デイヴィッド・ウィーリー
マシュー・ストリート
ピーター・グレイヴス

出演者
ジョージ・W・ブッシュ(大統領) – ジョシュ・ブローリン
ローラ・ブッシュ(ブッシュ大統領の妻) – エリザベス・バンクス
ジョージ・H・W・ブッシュ(元大統領 ジョージ・W・ブッシュの父親) – ジェームズ・クロムウェル
バーバラ・ブッシュ(ブッシュ大統領の母親) – エレン・バースティン
ディック・チェイニー(副大統領) – リチャード・ドレイファス
ドナルド・ラムズフェルド(国防長官) – スコット・グレン
トニー・ブレア(イギリス首相) – ヨアン・グリフィズ
コンドリーザ・ライス(国家安全保障問題担当大統領補佐官) – タンディ・ニュートン
コリン・パウエル(国務長官) – ジェフリー・ライト
カール・ローヴ (次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問)- トビー・ジョーンズ
ポール・ウォルフォウィッツ(国務副長官) – デニス・ボウトシカリス
サッダーム・フセイン(イラク共和国大統領) – サイエド・バドレヤ
ウラジーミル・プーチン(ロシア連邦大統領) – アラン・コールマン
ジョージ・J・テネット(CIA長官) – ブルース・マッギル

音楽
ポール・カンテロン

撮影
フェドン・パパマイケル

編集
ジョー・ハッシング
ジュリー・モンロー

解説とあらすじ(ネタバレあり)

この映画の日本版予告編では『世紀のKY(靴よけ)男 ブッシュ』という文字が出てきますが、それはイラクでの記者会見で、靴を投げつけられる事件(YouTubeの動画があります)があったからです。

映画の冒頭で2002年の一般教書演説で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、イラン・イスラム共和国、イラクの3国をブッシュ大統領と側近の閣僚がどう呼ぶか決める討論が行われています。

これに出てくる役者の方々が、ブッシュ政権の閣僚にそっくりで思わず笑ってしまいます。

実際の閣僚の写真をアイキャッチ画像で載せておきましたので、見比べてみてください。

アイキャッチ画像の写真は、イラク戦争開戦当時の主な閣僚達の写真です。左からコリン・パウェル国務長官、ディック・チェイニー副大統領、ジョージ・W・ブッシュ大統領、コンドリーサ・ライス国家安全保障会議責任者、その右側後がポール・ウオルフォウイッツ国防副長官、前がジョージ・ジョン・テネット中央情報局(CIA)長官、一番右がドナルド・ヘンリー・ラムズフェルド国防長官です。

この閣僚の中でイラクとの戦争に慎重なのが、パウエル国務長官とテネットCIA長官、積極派がチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官です。情報機関と軍の制服組と、官僚たちからなる背広組に分かれています。

今回のイラク戦争は実際に戦場で戦ったことのない、ネオコン(新保守派)と呼ばれる官僚組が主導権を握って行われました。これがフセイン政権打倒後のゴタゴタを生み、イスラム国ができる原因となります。

この映画では、アイキャッチ画像に出て来ないもう一人の閣僚が大きな位置を示しています。その人はカール・ローブ大統領次席補佐官です。この人は金持ちのボンボンでどうしようもない男、ジョージ・W・ブッシュをアメリカ合衆国大統領に仕立て上げた張本人です。

この人はあまり表に出てこない為、知らない人が多いと思いますので、少し説明しておきます。

カール・ローブとは何者か

俗に「ブッシュの頭脳」、ブッシュ大統領を操る「影の大統領」とも言われ、ブッシュ政権下で大統領上級顧問として大きな力を持っていました。

1969年ユタ大学に入学、共和党全国学生委員会に加わりイリノイ州でのラルフ・タイラー・スミスの上院への再選運動に加わるなどその活動は活発なものであった。

1971年ユタ大学を中退後、共和党全国学生委員会の執行部長に就任し、1973年共和党全国委員会委員長のブッシュ・シニアと知り合いになります。

1978年から翌年にかけて行われたテキサス州知事選において共和党のビル・クレメンツ候補の選挙スタッフとして加わります。投票日の前日カール・ローブは「選挙事務所で盗聴器を見つけた」と警察に電話しました。ニクソン大統領によるウォーターゲート事件の後でしたので、この盗聴器は民主党が仕掛けたと新聞に大きく報道され、テキサス州知事に共和党のクレメンツが当選しました。選挙後、盗聴器は何者かが仕掛けた偽物とわかりましたが、時すでに遅しです。

1980年、アメリカ大統領を目指すブッシュ・シニアに雇われ、ドナルド・レーガンと共和党大統領候補の指名を争いましたが敗れてしまいました。しかし、レーガン大統領はブッシュ・シニアを副大統領に指名して、以後8年間ブッシュ・シニアは副大統領として働きます。

この間カール・ローブは1981年政治コンサルタントとして「カール・ローブ社」を設立し、41回の選挙に選挙参謀として参加し、34回当選させ「選挙屋」として名声を得ます。

カール・ローブ(本人) 出典ウィキペディア

1988年大統領選挙に出たブッシュ・シニアは、マサチューセッツ州知事・マイケル・デュカキスに対して、

ブッシュは死刑制度を支持しています。
デュカキスは死刑制度に反対しています。

マサチューセッツ州では、殺人犯の一時帰休が認められています。

ウィリー・ホートンは、強盗に入り、少年を19回も刺して殺しました。
終身刑を受けたホートンは、10回もの一時帰休を認められ、その最中に逃亡し、若いカップルをさらいました。男性は殺され、女性は繰り返し強姦されました。

殺人犯の一時帰休。これがデュカキスの政策です。(引用ウィキペディア)

との、ネガティブキャンペーンのTVコマーシャルを流し一方的な勝利を得ます。この時、裏で糸を引いていたのが、カール・ローブです。このことは映画「ブッシュ」にも出てきます。

ジョージ・W・ブッシュを大統領にするために、彼は様々なダーティ・トリックを行なってきました。政敵に関する噂を流すのも、その手法の1つでした。

1993年にはジョージ・W・ブッシュを説得してテキサス州知事選に出馬させます。相手は民主党の進歩的な現職知事アン・リチャーズで、ブッシュに勝ち目はないと思われていました。

投票日が近づくと、有権者の家に世論調査だと称して「選挙スタッフの中に多くの同性愛者がいる候補に投票しますか」という電話がかかってきました。リチャード知事は積極的にマイノリティや同性愛者をスタッフに採用するリベラルな知事として知られていましたが、この電話でリチャード知事はレスビアンとの噂が広まりました。

カール・ローブはジョージ・W・ブッシュに同性愛反対の立場を取らせ、テキサス中の保守派やキリスト教徒の支持を集め州知事に当選させます。

2000年の大統領選挙では、共和党候補を争う指名選挙でベトナム戦争の英雄とされるマケイン候補に対して「彼は(ベトナムでの)長い捕虜生活で頭がおかしくなっている」や、マケインがマザー・テレサのところを訪れた際バングラディシュ(旧パキスタン)難民の女の子を引き取り自分の子として育てているのを指して「彼には黒い肌の隠し子がいる」とのネガティブキャンペーンを流しました。

2001年1月、大統領になったブッシュは、記者団を前にローブを自分の政治顧問に任命すると発表した。その時、彼は「彼がいたからこそ自分はテキサス州の知事に選ばれたし、またこうしてアメリカ合衆国大統領にも選ばれた」と、集まった記者に説明しました。

ジョージ・W・ブッシュは名門イェール大学に通い、その後テキサス空軍州兵を退役してハーバード・ビジネススクールに入りました。学歴としてはかなりの高学歴ですが成績は良くありませんでした。

ハーバード大学でMBAを取得した後、ブッシュはテキサスの石油工業会社に入社しました。1977年に、彼は友人に学校教師・司書のローラ・ウェルチを紹介され、結婚しました。

翌1978年にブッシュはテキサス州の第19下院議員選挙区から立候補しましたが、ブッシュが東部の渡り政治家であり地元に密着していないと批判したケント・ハンスに、6000票の差で負けまてしまいました。

選挙で負けた後、自ら「アルブスト・エネルギー」という石油採掘会社を設立して、再び石油業界に乗り出します。この時期「アルプスト・エネルギー」に資本参加した仲間に、オサマ・ビンラディンの兄サレム・ビンラディンが居ました。

「アルプスト」とは、スペイン語で藪(英語でブッシュ)という意味です。

しかし、1982年「アルブスト・エネルギー」社は石油の試掘が当たらず赤字になり、父親の口利きで「スペクトラム7」に吸収合併してもらい、ジョージ・W・ブッシュは取締役として経営を続けました。

ところが1986年に「スペクトラム7」も経営困難になり今度は共和党支持者の持つ「ハークン」社に吸収合併されて、ジョージ・W・ブッシュはその顧問になります。

合併から4年後の90年1月、「ハークン」社はアメリカの大手石油会社が狙っていたペルシャ湾岸のバーレーンの有望な油田開発をバーレーン政府から単独受注し、業界関係者を驚かせたました。このことは当時副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュが裏で手をまわしたと言われています。

一安心したのもつかの間その7カ月後、イラクがクウェートに侵攻し、ペルシャ湾岸は騒然となり、湾岸の油田開発に資金を貸していた金融機関は一斉に金を引き上げ、ハークン石油は倒産の危機に瀕しました。ジョージ・W・ブッシュはテキサスの石油業界にとって疫病神みたいな存在でした。

イラク戦争の真の狙いとは

場面は変わって2002年、年頭の一般教書演説の草稿作りに変わります。その中にイラクが核兵器開発をしているとの部分で、テネット中央情報局(CIA)長官は、情報としては不確かではっきり明言できないとし草稿から外すように要求しました。

イラクへの作戦会議の席上でコリン・パウエルは大きな疑問を投げかけます。

9.11アメリカ同時多発テロでは、いろいろな情報からアルカイダがテロを実施したとして、アルカイダを一掃するための戦いを起こしました。

しかし今回のイラク戦争では、アルカイダを一掃するという最初の目的から大きく外れ、議論も尽くさず、軍の治安活動や情報機関の情報交換より前に、イラクへの先制攻撃を急ぐのはなぜかという疑問です。

それに対してチェイニー副大統領は、イラク侵攻の真の目的を説明します。

世界人口の5%を占めるアメリカが、世界のエネルギー資源の25%を消費しています。その消費量は増加しますがアメリカ国内の備蓄量は減少し、25年でなくなります。

そこでイラクに攻め込み、中東で第2位、世界の石油備蓄量の10%を占めるイラクの石油を手に入れることが必要になります。さらにイランの石油まで手に入れることが出来れは゛アメリカは世界の石油の大半を握り世界帝国としての地位が安泰になるというものでした。

アメリカが『真の世界帝国になり、誰も逆らえない』と言った時のチェイニー副大統領の姿は凄味があり、あまりにも壮大な話なので一同は沈黙してしまいました。

ブッシュ大統領は、石油の話は伏せて、9.11テロ・大量破壊兵器・自由・民主主義・そして悪の枢軸で話を進めることにして、パウエル国務長官に国連で説得に当たるよう命じます。

2003年1月28日の一般教書演説でブッシュ大統領はイラクが核兵器の製造に確たる証拠もないのに、核兵器に必要なウランをアフリカから調達し、またそれを濃縮するためのアルミパイプを手に入れようとしていると発表して、攻撃される前に核兵器や生物・化学兵器の排除を目的とした先制的自衛権の行使を訴えました。

プレイム事件

ジョゼフ・チャールズ・ウィルソン4世(もとイラク大使代理、ガボン大使、国家安全保障会議 (NSC) のアフリカ担当部長)は、イラクがニジェールからウランを買い付けたという情報を確かめるため調査をしたが何も見つけることが出来ませんでした。

しかし、ブッシュ大統領は2003年1月28日の一般教書演説で、イラクがニジェールからウランを輸入し、さらに他国からウラン濃縮に使う遠心分離機用の「アルミ・チューブ」を輸入したという2つの諜報を得たとして、イラクが核開発を行っていると主張しました。

2003年7月6日、彼は『ニューヨークタイムズ』にブッシュ政権が「イラクが大量破壊兵器を開発している」というイラク戦争を合理化するプロパガンダが間違いであるという調査報告を発表しました。

翌日の7月7日ホワイトハウスはイラクの核開発は間違いだと認め、発表しました。

恥をかかされる形となったアメリカ合衆国政府は、2003年7月14日ワシントンの保守系コラムニストであるロバート・ノバクを通じて、元外交官のウィルソンを貶めるために彼の妻がCIAの秘密工作員であるという機密情報がリークさせます。

この情報漏洩にジョゼフは反撃して記者会見を開き、妻がCIAの秘密工作員であることを明らかにしたのはアメリカ合衆国政府による報復であると述べ、テレビなどのメディアを通じその違法性を訴えて大スキャンダルに発展しました。

この情報をリークした中にカール・ローブが含まれており、彼は2007年8月31日付で全ての役職を辞任、ホワイトハウスから去りました。

プレイム事件を扱った映画です ↓

映画 「フェア・ゲーム」 夫がイラクの核兵器開発のウソを暴露したため、ホワイトハウスから報復を受け身分を明かされた、CIA女性エージェントのお話

 

話は少し元に戻ります。

1986年ブッシュ40歳、父親のH.Wブッシュが大統領選の出馬を決めその手伝いのためワシントンに移ります。

1988年ジョージH.Wブッシュは先に述べたカール・ローブのネガティブキャンペーンにより、圧倒的な票差で大統領に当選します。

1991年1月17日から2月28日にかけて湾岸戦争が起きます。

1ヶ月以上にわたる空爆で、イラク南部の軍事施設を破壊した後2月24日に多国籍軍がクウェートに侵入し、100時間後の2月28日の朝クウェートを開放して戦闘は終了しました。

ジョージ・H・W・ブッシュがバグダッドに進撃しなかったのは、強力なフセイン政権に代わる受け皿がないため、イラク国内が混乱して、アメリカがその戦後処理に多大な犠牲を強いられる恐れがあったためと思われます。これはベトナム戦争でのアメリカや、アフガニスタン侵攻でのソビエトを見ればわかります。

ジョージ・W・ブッシュは、このことを考慮しないでフセイン政権を倒したため、イラクはいまだに混乱状態が続いています。

1991年11月、湾岸戦争に勝ったことで次の大統領選挙に勝てると思っていたジョージ・H・W・ブッシュはビル・クリントン候補に敗れてしまいました。大統領選に負けた原因がフセイン政権を倒さないためだと単純に考えた、ジョージ・W・ブッシュは父の敵を討つため政界入りを決意します。

政治のことは何も知らなかったブッシュは一からカール・ローヴの指導を受けてテキサス州知事から大統領にまでなりました。

9.11同時多発テロが起こり対テロ戦争が始まります。これを機会に、ずっと自分を認めてくれなかった父を見返すため、父が出来なかったことをしてやろうと考えました。それはイラクのフセイン政権を滅ぼすことでした。

これはイラクに石油の利権を確保しようとしていた、チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官らネオコンの考えと一緒になり、イラク戦争を起こしました。

イラク戦争とその後

2003年3月20日、国連の同意を得られぬままアメリカ・イギリスを中心とする有志連合はイラクに侵攻します。

戦闘は2003年中に終了し、同年5月1日にジョージ・W・ブッシュは「大規模戦闘終結宣言」を出して一方的に勝利宣言しました。

しかし、開戦の理由としていた「大量破壊兵器」は見つからず(2005年12月15日、ブッシュ大統領は大量破壊兵器に対する情報が誤っていたと正式に認めました)、更に占領政策の失敗で、イラク国民の反発を招き、9.11テロ以上の米兵の犠牲者が出るなどの悪循環を招いています。

 

2004年3月に行われた記者会見で、

「9.11以降、大統領にとって最大の過ちと、それから学ばれたことについて」

の質問になにも答えられず、途方に暮れるところで映画は終わります。

「イラン戦争」開戦までの説明はこちら ↓

誰がなぜ戦争を起こすのか。「9.11」から「イスラム国」まで その3 なぜ、アメリカはアルカイダと関係のないイラクに戦争を仕掛けたのか

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