なぜ戦争が始まるのか 

映画からその訳を探ってみようby亀仙人2世

映画 「リトルバーズ -イラク戦火の家族たち-」 イラク戦争開戦直後のバクダッドに住む一家を、ジャーナリスト綿井健陽さんが撮りました。

time 2018/04/03

映画 「リトルバーズ -イラク戦火の家族たち-」 イラク戦争開戦直後のバクダッドに住む一家を、ジャーナリスト綿井健陽さんが撮りました。

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亀仙人2

Little Birds リトル バーズ -イラク 戦火の家族たち-

2005年   日本

アイキャッチ画像は『防衛庁・自衛隊 イラク復興のために~イラク人道復興支援活動~』のウェブサイトから持ってきたものです。イラク戦争ではこのような子供たちも大勢犠牲になりました。

ビデオジャーナリスト・綿井健陽が、イラクで撮りためた映像をまとめた作品です。

ニュースでは報道されない、イラク戦争に巻き込まれた一般のイラク人たちの様子を映しています。

スタッフ

監督: 綿井健陽

撮影: 綿井健陽

製作: 安岡卓治

編集: 安岡卓治

翻訳: ユセフ・アブ・タリフ / 重信メイ / 勝元サラー

編集助手: 辻井潔

あらすじと解説

この映画は、フリージャーナリスト綿井健陽氏がイラク戦争前後の様子を取材した映像をまとめたものなので、これといった筋はありません。

イラク戦争開戦前、バグダットの町はかなり振るわっており、子供たちものびのびと走り回っていました。

しかし、開戦間近になると商店は軒並み店の入り口に鉄板を溶接して閉めてしまい、町はシャッター通りでなく鉄板通りになって人通りも途絶えてしまいまいました。

20032年3月20日夜、バグダット市内にサイレンが鳴り響き、米英軍の空爆が開始されました。カメラは爆撃直後の市内に出かけました。

米軍の説明では、GPS誘導爆弾やレーザー誘導爆弾など高性能の武器を効果的に用いることで、大統領官邸、軍の施設など特定の拠点を効率的に破壊して、一般市民は攻撃していないと報道していましたが、爆弾は市内の商店街や住宅街にも落ちていました。あちこちで犠牲になった人の血の跡があります。

連日の空爆の後2003年4月9日、米軍の戦車が市内に侵入しバクダッドは陥落しました。

サダムフセインの独裁から解放された市民の歓迎を受けると思っていた米兵達は、逆に子供や肉親を失った人たちの抗議を受けて困惑していました。

翌日、カメラは市内のサウラ病院に行きます。アメリカの襲撃で被害を受けた中には、幼い子供たちも混ざっていました。カメラはその子たちを映しています。この様な映像はテレビや新聞などでは報道されないため、見た瞬間大きなショックを受けました。

死亡した子供のそばで泣き崩れている親の中に、頭に大けがをした幼い子供の口に、一生懸命酸素吸入器を当てている父親がいました。

結局この子シャハッド(5才)は亡くなり、父親のアリ・サクバンの案内で外に置かれているライス(7才)とザイナブ(3才)二人の子供の死体も見ます。

1週間後アリ・サクバンの自宅を訪問して、爆撃された時の様子を聞きました。朝9時ごろ父親のアリ・サクバンが子供たちと朝の挨拶をして出かけた直後に、2発の爆弾が家に落ちて4人の子供のうち3人が亡くなりました。

またアメリカ軍は、クラスター爆弾も住宅地に投下して不発弾があちこちに残っています。

 

 

クラスター爆弾が破裂すると小さな破片が飛び散り、周囲に被害を及ぼします。

12才の少女ハディール・カデムは、クラスター爆弾の破片が左目に飛び込み手術を受けます。

15才のアフマド・フェンジャーンは不発弾と知らず落ちていたクラスター爆弾に触った途端爆発して、右手がちぎれてしまいました。

現在クラスター爆弾は2010年8月1日に発効したオスロ条約で禁止され110ヶ国が批准しましたが、主な生産・保有国のアメリカ・中国・ロシア・イスラエル・韓国・北朝鮮などは国防上の理由などのために署名していません。

映画ではサマーワに駐屯した日本の自衛隊が出てきます。

佐藤正久隊長(後に参議院議員になりました)が街を歩いている様子や、隊員が食事をしている様子などの映像は、周りの取材陣の注文に従って撮影されていて、テレビなどのニュースで見ていた画面はこのようにして作られた映像であることが分かります。

自衛隊のイラク派遣

自衛隊のイラク派遣については、一応「非戦闘地域」での「復興支援活動」を行うことで、当時の小泉首相は、自衛隊のイラク派遣に対して、

「武力行使は致しません。戦闘行為にも参加いたしません。戦争に行くのではないんです。」

と、発言していました。

しかし、実際は自衛隊のキャンプに13回も迫撃砲やロケット砲が撃ち込まれ、時には宿舎として使っていたコンテナをぶち抜いたこともありました。寝る時もそばに弾を込めた銃を置いて寝ていないと安心できないという状態が続きます。

パトロールに出る時も常に、どこから攻撃されるのかわからないので非常な緊張状態に置かれることになりました。

このような状態に置かれた隊員のうち28名が日本に帰還した後、自殺しています。防衛省は自殺した隊員について、イラク派遣との関係は分からないと発表しています。

自殺者の中には幹部のものが含まれていたことも、明らかにされいます。

2004年から2005年までイラクに派遣された、当時40代の衛生隊長(2佐)は、家族の反対があったものの、医師として現地に赴き、自衛隊員の治療だけでなく、現地で病院の運営も手伝い、時には徹夜の作業が続くこともありました。彼は帰国後、自分の太ももをメスで切り自殺しました。

当時30代の警備中隊長(3佐)は、百数十人の警備要員を束ね、指揮官を支える役割で、この中隊長の部隊はロケット弾、迫撃砲などの攻撃を数回受けたほか、市街地を車両で移動中、部下の隊員が米兵から誤射されそうになったこともあったといいます。

この警備中隊長は帰国後、日米共同訓練の最中に、「彼ら(米兵)と一緒にいると殺されてしまう」と騒ぎ出したことありました。彼は帰国後に妻子を残して、車内に持ち込んだ練炭で自殺しています。

参考 NHKクローズアップ現代「イラク派遣 10年の真実」2014年4月16日放送・週刊朝日2015年8月28日号

バクダッドの病院に医療用の薬を届けている、日本国際ボランティアセンターの原文治郎氏の取材で彼は、仲良くなった白血病棟の子供たちが、次に来た時亡くなったのを知ると悲しくなるといいます。医師たちは不足がちな薬を届けいくれる彼に、日本や他国の軍隊よりも大変役に立っていると感謝していました。

不発弾で片腕をなくしたアフマドは、学校にも行かなくなり遊んでいる仲間を遠くから眺めていました。

カデムの左目の手術は終わりましたが、まだ痛みが残っていて半分閉じた状態です。でも元気で近所の仲間と遊んでいます。

爆撃で壊されたアリ・サクバンの家は、近所の人たちがお金を出し合って直してくれました。
べニア版の墓標があった3人の子供たちのお墓も、コンクリート製の立派なお墓に代わっていました。

お墓の前でアリ・サクバンは
「イランとの戦争も、湾岸戦争も、今回のアメリカの戦争も何の意味もない。何の意味も理由も大義もない。その結果、大勢の犠牲者が出ただけではないか。」
と訴えます。

イラク戦争でアメリカは9.11の犠牲者3025名を上回る4807名の戦死者を出し、当時の日本の国家予算の10倍近くの500兆円もの戦費を費やしました。これ以後アメリカは海外に大規模な軍隊を派遣できなくなり、オバマ大統領は世界の警察官としての役目を降りることを決断します。

イラク戦争で犠牲となったイラク市民は10~15万人と言われ、その中には多くの子供たちが含まれています。いくら限定された戦争といっても、市街地での戦闘では普通の人々が大勢犠牲となってしまいます。

9.11で、火災を起こした世界貿易センタービルから飛び降りた人が、大勢いました。しかしその画像はすぐ報道されなくなりました。この映画はその人たちを扱った映画です。  ↓

9.11で燃えるビルの上から飛び降りた人は何を伝えたか? 「映画 フォーリングマン」

 

イラク戦争の説明はこちら ↓

誰がなぜ戦争を起こすのか。「9.11」から「イスラム国」まで その3 なぜ、アメリカはアルカイダと関係のないイラクに戦争を仕掛けたのか

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