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亀仙人2ユトランド沖海戦 後編
1916年5月31日から6月1日にかけて、デンマークのあるユトランド半島沖で戦われた、イギリス海軍とドイツ海軍の海戦です。イギリス側151隻、ドイツ側99隻で合計250隻の艦艇と10万人の乗組員が戦いました。
大戦開戦時には31対16だったイギリスとドイツの弩級戦艦の数は1916年春には41対22と広がっていました。そのため正攻法によるイギリス艦隊の北海封鎖を解くことは、不可能となりました。しかし、2月21日に始まったヴェルダンの戦いで現状を打破するため海軍にも積極的な支援が求められ、カイザーはドイツ大洋艦隊を束縛していた訓令を廃止して、自由裁量権をシェア中将に与えました。
イギリスのジェリコー大将もガリポリの戦いで負けたことにより、ロシアから海上輸送路を確保すべく、バルト海からドイツ海軍を排除してくれるよう催促されました。
5月30日夜、シェア中将率いるドイツ大洋艦隊が出航。前衛を務めるヒッパ―中将の偵察部隊が、イギリスのビーティ中将指揮下の巡洋戦艦部隊を大洋艦隊本体のもとに誘導して、イギリスの巡洋戦艦を一気に沈める作戦でした。
しかし、この作戦もイギリスの暗号解読班によって暴かれており、イギリスはドイツ艦隊より数時間も早く出航して待ち構えていました。
南走
巡洋戦艦による偵察艦隊同士の戦い
イギリス側偵察艦隊
○巡洋戦艦部隊 司令長官:デイビッド・ビーティー中将
・第1巡洋戦艦戦隊
巡洋戦艦 ライオン(司令長官直卒旗艦)、プリンセス・ロイヤル(戦隊旗艦)、クイーン・メリー、タイガー
・第2巡洋戦艦戦隊
巡洋戦艦ニュージーランド(戦隊旗艦)、インディファティガブル
・第5戦艦戦隊
戦艦バーラム(戦隊旗艦)、ウォースパイト、ヴァリアント、マレーヤ
ドイツ側偵察艦隊
○偵察部隊 司令長官:フランツ・フォン・ヒッパー中将
・第1偵察群(ヒッパー中将直卒)
巡洋戦艦リュッツオウ(艦隊旗艦)、デアフリンガー、ザイドリッツ、モルトケ、フォン・デア・タン
5月31日午後14時15分、ビーティとヒッパ―はほぼ同時に相手の艦隊を発見しました。ドイツのヒッパ―は敵を本隊に導くため、南東に向かって回頭し、イギリスのビーティ―はそれを追う形で同航戦となりました。ただ彼の部隊に入ったばかりの第5戦艦戦隊(ここには4隻の最新鋭クィーン・エリザベス級高速戦艦がいます)はライオンの出した旗旒信号を見落として大きく遅れてしまいました。
霧の中ピーティは敵艦隊を発見(地図の1位置)、15時48分距離14キロで両艦隊は南に移動しつつ、砲撃を開始しました。
16時00分、ビーティの旗艦ライオンにリュッツオウの砲弾が命中し、船体中央にあるQ砲塔を破壊した。ライオンは被弾により一旦戦列を離れ、クイーン・メリーが先頭に立つことになりました。
Q砲塔とは、下の写真で船体の中央、煙突の間にある砲塔のことです。
16時06分、ドイツ艦隊フォン・デア・タンの砲弾3発がインディファティガブル命中。さらに直撃弾を受け弾薬庫が誘爆を起こし、インディファティガブルは船体が2つに折れ轟沈しました(地図の3位置)。ちなみに轟沈とは、攻撃後1分以内に沈没することです。この時、乗組員1019人のうち助かったのはたった2名でした。
16時25分には先頭のクイーン・メリーが、ドイツのデアフリンガーとザイドリッツの斉射の命中弾を受け、弾薬庫が爆発して沈没。ここでも乗組員1275名のうち生き残ったのが9名という悲惨な結果になりました。
ドイツ側もザイドリッツがクイーン・メリーの砲撃で砲塔を撃ち抜かれましたが、ドッガー・バンク海戦後の補修で装甲を強化していたため、被害が少なくて済みました。
16時30分、ビーティ指揮下の第2軽巡洋艦戦隊の軽巡洋艦サザンプトンが、シェアの大洋艦隊本隊を発見しました。
軽巡洋艦サザンプトンはドイツ側の激しい攻撃をかいくぐり、ドイツ大洋艦隊が弩級戦艦16隻と旧式戦艦6隻でなることと、進路をイギリス偵察艦隊の旗艦ライオンに知らせました。
イギリスのビーティ提督は、ドイツ大洋艦隊を味方のグランド・フリート(大艦隊)に引き込むため反転して北上を開始します(地図の4位置)。
この時、最後尾の戦艦マレーヤは反転している最中に、追いついてきたドイツ大洋艦隊の射程距離内に入ってしまい、単独でヒッパ―の巡洋艦隊と戦う羽目になりましたが。マレーヤは敵艦の攻撃で被害を受けましたが砲撃を続け、ザイドリッツに20発もの砲弾と魚雷1発を浴びせ、5基の主砲塔を破壊しました。
一方ドイツ大洋艦隊は、イギリス隊艦隊(グラント・フリーク)の位置が分からないまま、ビューティの艦隊を追い続けます。
17時30分、イギリス大艦隊(グラント・フリーク)第1巡洋艦戦隊の装甲巡洋艦ブラック・プリンスは、ビーティ指揮下の第3軽巡洋艦戦隊を見つけました。(上の地図の6位置、下の地図の1位置)
これよりイギリス海軍とドイツ海軍本隊同士の戦いが始まります。
死闘
イギリス海軍とドイツ海軍本隊の戦い
イギリス大艦隊(グランド・フリート) 司令長官:ジョン・ジェリコー大将
主力艦艇
戦艦アイアン・デューク(司令長官直卒旗艦)
第4戦艦戦隊 司令官:ダブトン・スターディー中将
・第4戦艦隊
戦艦ベンボウ(戦隊旗艦)、ベレロフォン、テメレーア、ヴァンガード
・第3戦艦隊
戦艦シュパーブ(旗艦)、ロイヤル・オーク、カナダ
第1戦艦戦隊 司令官:セシル・バーネー中将(「大艦隊」次席指揮官)
・第6戦艦隊
戦艦マールバラ(戦隊旗艦)、リヴェンジ、ハーキュリーズ、エジンコート
・第5戦艦隊
戦艦コロッサス(旗艦)、コリンウッド、ネプチューン、セント・ヴィンセント
第2戦艦戦隊 司令官:T・H・M・ジェラム中将
・第1戦艦隊
戦艦キング・ジョージ5世(戦隊旗艦)、エイジャクス、センチュリオン、エリン
・第2戦艦隊
戦艦オライオン(旗艦)、モナーク、コンカラー、サンダラー
第3巡洋戦艦戦隊 司令:ホーレス・フッド少将
巡洋戦艦インヴィンシブル(戦隊旗艦)、インフレキシブル、インドミタブル
ドイツ大洋艦隊 司令長官:ラインハルト・シェア中将
戦艦フリードリヒ・デア・グローセ(司令長官直率旗艦)
第3戦隊 司令官:パウル・ベーンケ少将
・第5戦艦隊
戦艦ケーニヒ(戦隊旗艦)、グローサー・クルフュルスト、マルクグラーフ、クローンプリンツ・ヴィルヘルム
・第6戦艦隊
戦艦カイザー(戦隊旗艦)、プリンツ・レゲント・ルイトポルト、カイザリン
第1戦隊
・第1戦艦隊
戦艦オストフリースラント(戦隊旗艦)、チューリンゲン、ヘルゴラント、オルデンブルク
・第2戦艦隊
戦艦ポーゼン、ラインラント、ナッソウ、ヴェストファーレン
第2戦隊
・第3戦艦隊
戦艦ドイチュラント(戦隊旗艦)、ポンメルン、シュレジェン
・第4戦艦隊
戦艦ハノーファー、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、ヘッセン
イギリス18時ごろイギリスの戦艦部隊のジェリコーは、ビーティの旗艦ライオンを視認して、索敵用の6列縦隊から、ドイツ大洋艦隊の先頭を塞ぐため、東に向かいながら1列縦隊に変更します。
ビーティの巡洋戦艦隊は、大艦隊の先頭に立つべく先を急ぎます。
この時のイギリス艦隊の動きは、ドイツ艦隊からは霧にさえぎられて見えていませんでした。(地図の2位置)
ウィンディ・コーナー
これに先立ち霧の中で17時30分、ドイツの軽巡洋艦ヴィースバーデンはイギリスの軽巡洋艦チェスターと接触お互いに砲撃を始めました。
砲撃の最中、独軽巡ヴィースバーデンは霧の中から出てくる3隻の英大型戦艦を発見、打電しました。
この報告を受け、ドイツ艦隊は慌てました。このままいくと1列縦隊をとるイギリス艦隊に遭遇して、相手に丁字戦法を取らされてしまいます。
丁(てい)字戦法。T(ティー)字戦法。漢字と英語でややこしいですね。
まあどっちでもいいようです。
「ゼロ戦」と「レイ戦」みたいなものですか。必殺の陣形。
教科書的にベストの形で、この関係に持ち込めれば、勝利パターンです。
勝ったッ! 艦隊決戦完!しかしまあ当然、相手はそうならないように左右どちらかに逃げますよね。
そのまま進めば不利な状況は見え見えですもの。
結果、同航戦や反航戦の形になります。
丁字戦法の実現例は、数えるほどしかありませんでした。丁字戦法が成功する事例
- 高速力の艦隊で相手艦隊を追い越して、無理やり頭を抑えるパターン。
- 夜戦にて、優れたレーダーで相手艦隊の動きを一方的に把握して、丁字の形に持ち込むパターン。
- より優先的な攻撃目標の前に、防御側艦隊が立ちふさがるパターン(攻撃側は防御側艦隊を無視してでも突っ込もうとする)
丁字有利は必ずしも有利ではない
丁字有利を取ると、相手艦隊に関する攻撃力は最大になります。
でも、こちらも腹を見せるので、クリティカルヒットを喰らうことも有ります。引用 猫でもわかる艦これ
この時、イギリスの第3巡洋戦艦隊部隊所属の装甲巡洋艦ディフェンスは、同じ隊の装甲巡洋艦ウォーリアと共に独軽巡ヴィースバーデンを討ち取るために近づいてきました。
しかし、2隻とも近付いてくるドイツ大洋艦隊の射程内に入り、ディフェンスは砲撃で大爆発おこして沈没。ウォーリアも大きな損傷を受け沈没しかけていました。
18時18分、近くにいたイギリス大艦隊の最後尾、第5戦艦部隊に所属するクイーンエリザベス級戦艦ウォースパイトは、被弾によって舵に故障を起こし直進が出来なくなり、ドイツ大洋艦隊の方に向かって行きました。
ウォースパイトは大きなを円を描きながら航行し、偶然にも戦闘中のウォーリアとドイツ大洋艦隊の間に入ってしまいました。
それまでイギリス装甲巡洋艦ウォーリアを攻撃していたドイツ大洋艦隊は、全艦ウォースパイトに向かって攻撃目標を変えます。
この間にウォーリアは戦闘から離脱して、近くにいた水上機母艦エンガディンに助けられ曳航されました。
ウォースパイトは2回回頭を余儀なくされ、ドイツ海軍から主砲弾9発、副砲弾11発の直撃を受けましたが、分厚い装甲によって耐え抜き、イギリス大艦隊がドイツ大洋艦隊を攻撃している間に離脱に成功して、舵の故障も直し帰港することが出来ました。
このウォースパイトの行動はウィンディ・コーナーとして知られ、味方の軽巡洋艦を救った英雄として、讃えられました。(本当は舵が故障して、迷い込んだだけなんですけど)
18時30分、隊列を整えたジェリコーのイギリス大艦隊は砲撃を開始、それまでウォースパイトを攻撃していたドイツ偵察部隊の巡洋戦艦隊が被弾し、リュッツオウは艦首を大きく沈めて戦列から脱落、フォン・デア・タンは主砲塔を殆ど破壊され、デアフリンガーは中破、戦闘力を維持しているのはモルトケのみとなってしまいました。
18時33分ドイツ艦隊司令官シェアは、ドイツ海軍全艦隊に回頭して退却するよう命じます。(地図の3の位置) その直後1次的に霧が晴れ、ドイツ巡洋戦艦デアフリンガーは姿を現したイギリス巡洋戦艦インヴィンシブルに砲弾を撃ち込みます。インヴィンシブルは砲塔を貫通され弾薬庫に引火、船体が2つに折れ轟沈。乗組員1032名のうち助かったのは、6名でした。
アイキャチ画像は沈没した「インヴィンシブル」です。海が浅かったため船首と艦尾が海面上に出ています。(出典ウィキペディア)
ドイツ艦隊は反転し、霧の中に逃げ込み、イギリスは再びドイツ艦隊を見失い、索敵のため6列の斜線陣へと隊列を変更し、ドイツ艦隊とドイツ艦隊の母港ヴィルヘルムスハーフェンの間を遮るため南に向かって直進します。
死の騎行
18時55分、ドイツ海軍シェアはイギリス大艦隊の最後尾を通り抜けようとして、再び反転します。(地図の4位置)
しかし、19時05分シェアは霧の中からイギリス大艦隊の主力を発見しました。イギリス艦隊の最後尾を通るはずだったのが、こともあろうに艦隊のど真ん中に突き当たったのです。
19時13分、シェアは偵察艦隊のヒッパ―に対してイギリス艦隊への突入を命じ、その他の艦は一斉回頭をして、戦線からの離脱をはかりました。(地図の5位置)
ヒッパーの指示で彼の巡洋戦艦隊4隻は残存する魚雷艇とともに、24隻の戦艦からなるイギリス大艦隊に向かって行きました。後にこの攻撃は「死の騎行」と呼ばれます。
この戦闘でヒッパ―の艦隊は4隻のうち3隻が戦闘力を失いましたが、沈没はしませんでした。
20時18分ビーティ率いるイギリス偵察艦隊はドイツ艦隊を発見。ジェリコー率いるイギリス大艦隊との挟撃を試みましたが、20時24分から日が落ち始めたため、ジェリーは追撃を断念しました。
21時イギリスのジェリコーらイギリス艦隊は、ドイツ艦隊の行き先を塞ぐよう南に進路を変えました。(地図の7位置)
シェアのドイツ艦隊は、ビーティの艦隊後部を強引に横切り、会合点のホーンリーフを通り、ヴィルヘルムスハーフェンがあるヤーデ湾に向かいました。
このため両海軍は21時30分から翌未明2時ごろにかけて夜間の同航戦となり、数隻の艦艇が犠牲となるも、ドイツ艦隊は1日午後ヤーデ湾にたどり着きます。
ジェリコーもドイツ艦隊主力が帰投したとの連絡を受け、自艦隊を帰還させました。
損失
イギリスの損失は、3隻の巡洋戦艦を含む、合計14隻、排水量にして115,000トンと兵員6,094名を失った。ドイツは合計11隻、62,000トン、2,551名を失った。他にもイギリスの巡洋戦艦ライオンやドイツの巡洋戦艦ザイドリッツが大破する被害を負った。イギリスの損害のほうが大きかったが、戦闘終了後、イギリスには即時戦闘可能な弩級戦艦と巡洋戦艦が合わせて24隻残っていたのに対してドイツは10隻だけとなり、残存戦力でイギリス艦隊が優勢を維持した。
引用 ウィキペディア
これ以後ドイツ海軍は戦艦による戦いはやめて、潜水艦を用いる無制限潜水艦作戦を実施するようになりました。
ドイツ帝国艦隊の最後
第1次世界大戦終了後、ドイツ帝国艦隊の全艦艇は休戦協定に基づき、その処遇が決まるまでイギリスのスカパー・フローで抑留されていました。
ドイツの全艦艇が接収されるのに反対していたドイツの指揮官ルートヴィヒ・フォン・ロイターは、1919年6月21日に全艦に自沈を命じ、74隻中52隻が自沈しました。自沈できなかった艦は、浅瀬に乗り上げ座礁しました。
ユトランド沖海戦までの経緯はこちらをご覧ください ↓